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動く彫刻を作ったティンゲリーに、再びに光を当てる

ジャン・ティンゲリー、自分のアトリエで。1959年 Martha Rocher / Musée Tinguely, Bâle

動く彫刻で有名なスイス人アーティスト、ジャン・ティンゲリー。ボタンを押すと金属のがらくたがガチャガチャと音をたて動く彫刻。20世紀後半、最もユニークな活動を行ったティンゲリーの「時代の役割」に焦点を当てた展覧会が行われている。

 「ティンゲリー@ティンゲリー(Tinguely@Tinguely)」と題された展覧会は、バーゼルの「ティンゲリー美術館」で開催されている。16年かけたコレクションに大型の代表作が加わったことで、ティンゲリー(1925~1991)の詩人として、また消費社会に反対する挑発的なアーティストとしての側面が浮かび上がってきた。

 「ティンゲリーがいかに創意に満ちた発明家であったかを再発見するためにティンゲリーの作品を再び見つめる必要がある」と、同館のロラン・ヴェツェル館長は話す。

 新しいコンセプトによって配置された作品は、スイスの建築家マリオ・ボッタがデザインしたティンゲリー美術館の四つのフロアーすべてを埋め尽くし、2013年9月まで人々の目を楽しませてくれる。

 展示は時代に沿って行われている。理由は、ティンゲリーの創作の展開をよりよく把握し、また、あるテーマがある時期に継続していたことを理解するためだ。

パフォーマンスで中心的な役割

 今回特に目を引くものの一つが、ティンゲリーが友人たちに宛てた手紙に描いたデッサンだ。時代が進むにつれ色はますます鮮やかになり、挑発的な調子が加わっている。

 「この種の作品からは、まるでティンゲリーが自分の人生を他の人達に委ねていたような感じを受ける」とヴェツェル館長は言う。こうしたデッサンのついた手紙はまだたくさん倉庫にあるが、その内容があまりに個人的なため展示は控えているそうだ。

 また今回の展覧会の目的は、1950、60年代のアバンギャルドのパフォーマンスで中心的な役割を果たしたティンゲリーの一つの側面を明らかにすることでもあるとヴェツェル館長は続ける。会場では、ティンゲリーが仲間を指揮しながら行うハプニングの様子がモニターで流されている。

 あの「クライン・ブルー」と呼ばれる独特の青色の特許を持つイヴ・クラインやアメリカのポップアートの旗手ロバート・ラウシェンバーグは、ティンゲリーのパフォーマンスに参加した有名なアーティストたちだ。妻となったニキ・ド・サンファルとは、「20世紀の最もカラフルなカップル」になった。ド・サンファルは、あふれるばかりの色彩を使った彫刻シリーズ「ナナ(Nana)」の制作をティンゲリーと一緒に過ごしていた時期に行っている。

自己破壊

 ところで、こうしたパフォーマンスで使われたテーマの一つに「自己破壊」がある。これはバーゼルで育ったティンゲリーが、この町の有名なカーニバルで行われる「死の舞踏」からインスピレーションを得たとも、また第2次大戦中に女性の首が爆弾で吹き飛んだ瞬間を目の当たりにしたトラウマからだともいわれている。

 パフォーマンスの多くは1960年の初めに行われたが、その一つに「ニューヨーク市に敬意を表する」というものがあった。これは、ニューヨーク近代美術館の庭で行われたが、実はティンゲリーの作った機械の彫刻が最後に火を噴いて「自己破壊する」ようにプログラムされていた。そのため、パフォーマンス開始後27分で、消防士がやって来て、最後まで行えなかったというエピソードがある。

 もっと後に行われたものは成功している。芸術運動「ヌーヴォー・レアリスム」の終焉(しゅうえん)を祝うために、ミラノ大聖堂前で行われたパフォーマンスでは、ペニスの形の彫刻が「無事」に自己破壊したといわれている。

本物の作品ではない

 今回の展覧会は、騒音で満ちている。金属のがらくたでできた彫刻が、観客がうれしそうにボタンを押すやガチャガチャと音をたてるからだ。さらに機械に組み込まれた太鼓やシンバルなども音をたてる(ビデオ参照)。

 こうして1日のうちに何回も動かされる彫刻は、消耗も激しく、絶えず修理が必要だ。「1日が終わると彫刻は毎日違うものになっている」とヴェツェル館長。

 つい最近まで、ティンゲリーの彫刻の修理を手掛けてきたライハルト・ベックさんは「幸いにも、ティンゲリーの彫刻には詳細な記録がついている。この記録に従えば、元の形に修復できる」と話す。

 さらに、ティンゲリーの助手を長年務めたジョセフ・イムホフさんがつい最近まで生きており、「ティンゲリーの彫刻では何が要なのか」を教えてくれたお蔭もあるという。

 「機械はそれ自身の『生命』を持っている。私たちの役目は個々の機械の『精神性』と『素材』を保持していくこと。修理は主に専門家に外注している」とベックさんは続ける。

 「機械は毎日形を変え修理され続けるため、一般的に言う『本物の作品』ではない。しかし、ティンゲリーが生きていた時代でも、ティンゲリーがいつも作品を修理していたのだから」とベックさん。

 「こうした修理され続ける作品といった点も含め、ティンゲリーがあらゆる点で革新的だったことを今回の展覧会で知ってもらえれば、それが私の喜びになる」とヴェツェル館長は付け加える。

バーゼルのティンゲリー美術館で、2013年9月30日まで開催。

同美術館には1992年、ティンゲリーのニキ・ド・サンファル夫人から53点のティンゲリーの作品が寄贈された。これが美術館の基本的なコレクションを形成。その後、直接購入や寄贈などで、その数は増えて行った。

有能なキュレーターであり、ストックホルム近代美術館館長などを務めたスウェーデン人のポントゥス・フルテン氏からの寄贈は重要。ハルテン氏はティンゲリーにさまざまな影響を与えた人物。

ティンゲリーは、マルセル・デュシャンを信奉しており、「既成品は、それが観客によってアートであると見なされる限りにおいてアートである」という、いわゆる「レディメイド」の概念を支持した。ティンゲリーは、油絵、デッサン、彫刻、機械、インスタレーション、家具、ランプ、ビデオを制作した。

また、生涯を通じてカーレースに情熱を傾け、グランプリレースを見るため世界中を旅行した。

(英語からの翻訳・編集 里信邦子)

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