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星空と静寂をただ楽しむ旅



道路というよりはサーキット場。ラオスで

道路というよりはサーキット場。ラオスで

(swissinfo.ch)

ドーリー、ヴォルフガング・マイドリンガー夫妻は50年間で約70万キロメートルの道のりを旅した。当初はフォルクスワーゲン社のバスで、今では自ら改造したイヴェコ社のライトバンで旅をしている。

マイドリンガー夫妻は、アジアが蒸し暑い春季に入るとタイ在住のスイス人宅に車を預け、スイスへ一旦帰国する。夏の間はスイスに留まり、暑さが遠のく頃に南アジアへ戻って行くのだ。

地球を旅するために

 1980年代、マイドリンガー夫妻はフォルクスワーゲン ( VW ) のバスで主にアフリカ大陸を旅した。まず、サハラ砂漠地帯のアルジェリアへ、その後さらにタンザニアやナミビア方面まで南下した。また、アフリカだけではなく、インドへも車で旅を続けた。

 夫妻は4~5週間だけの旅ではすぐに物足りなさを感じ始めた。そこで、車の整備士で最重量級クレーン運転士だったヴォルフガングさんは、より長期間、旅に出られるような職を見つけた。彼は、プール監視員と運動場の管理人となったのだ。当然、泳ぐ練習もしなければならなかった。しかし、新しい職を見つけてからは、夏季に時間外労働をすることで冬季の3カ月間から4カ月間は休暇を取って旅行ができるようになった。今日まで訪れた国は、既に150カ国に上る。

 夫妻は、探検のために自ら改造し、21年間愛用しているイヴェコ( Iveco ) 車で、ほぼ50万キロメートルの道のりを走行した。本格的に旅をし始めたのはヴォルフガングさんが定年を迎えた後になるが、最近の約4年半は旅行に出掛けたままでいる。 ( 右下リンク参照 )

海外から見たスイス

 アフリカ、アジア、南アメリカの人里離れた地域のどこでも、スイスの評判は良いとヴォルフガングさんは語る。
 「多くの人々は、わたしたちが秩序ある国、スイスに住むことができて幸運だといいます。スイスは全てが清潔で、全てのシステムが整っていると言われます」

 永世中立国スイスは例外なく好意的に取らえられている。スイスは常に赤十字と関連付けて考えられ、これまで一度も植民地保有大国ではなかったことも評価されている。

 「長い間海外にいると、スイスに住む人々の名誉や利益にとらわれている俗物的な思考や態度に気づきます。いずれにせよそれは悪いという訳ではありませんが」
 とヴォルフガングさんは語る。
しかしながら、スイスはどこへ行っても清潔で、道路は定期的に清掃、整備されるので、夫妻はそういったスイスを気に入っていると言う。

少なくても満足

 「海外へ行くと、少ない持ち物でやり繰りし、質素に生活することを学びます。洗濯機がないため、川か洗濯場へ行き、自分たちで服を洗わなくてはなりません。そのため服は長い間同じものを着ます。シャワーもいつも浴びれる訳ではなく、せいぜい多くて2日に1度、洗髪は1週間に1度だけです」
 とドーリーさんは語る。

 また、料理をする時に鍋がたった2つしかなくても、シンプルに料理された食事は大概美味しいという。
 「わたしたちにはテレビも新聞もありません。毎日、外に座って過ごせる夜が好きなのです。星空と静寂をただ楽しむのです。じっと座ってその日体験したことや、知り合った多くの親切な人たちを思い、喜びを感じることはとても素敵なことです。贅沢などわたしには必要ないのです」
 とドーリーさんは語る。

危険な状況

 所変われば品変わるように、国が変われば、道も変わるようだ。ヴォルフガングさんはボリビアのいわゆる「死の道程」について説明する。
 「その距離は26キロメートルあります。道はとても狭く、岩山の外側の部分が打ち砕かれてできています。大きな2台の車がすれ違うことができる待避所はほんのわずかしかありません。道にはガードレールもなければ、壁もありません。脇道はなく、1000メートル下まで垂直になっています」

 毎年、車種を問わず多くの車が崖から落下する。
 「あの崖から転落して生き残れる人は誰一人いません。事故の犠牲者も救助されることはないのです。運転手の多くは酔いが回る作用のあるハーブを噛んで運転しているので、多くの事故が起きるのです。これはアルコールを摂取して運転する状況と似ています。そうなると運転手は注意散漫になり、危険にも気づきにくくなります」

 また、ヴォルフガングさんはアフリカでライオンに遭遇した危険な状況も説明する。

戦争、そして外交官の助け

 旅の間、マイドリンガー夫妻は戦争に巻き込まれることもあった。1999年、夫妻はケニアへ向かう途中にエチオピア・エリトリア国境紛争に巻き込まれた。何週間も彼らの家族は居場所を知ることができなかったため、最終的に外務省は国際捜索を開始した。

 ヴォルフガングさんは探訪紀で次のように記している。
 「最終的に、スイス大使館はエチオピアの警察から、車両ナンバーZH 205176のイヴェコ車が歩哨を通り過ぎたとの知らせを受けたのです。わたしはこれまでこの歩哨検問地点は無益だと思っていました。しかしその後は根本的に考え方を変えました。また、ベルンの外務省にも電話を入れ、今回の軍事処理にはどれだけの金額がかかったのか、わたしは一体いくら支払うべきなのか尋ねました。外務省の回答は『もし費用がかかるのなら、また後でお伝えします』とのことでした。そこでわたしは、スイス人は海外でも助けてもらえるのだという確信と共に丁寧にお礼を言いました」

 しかし、夫妻は海外のスイス大使館で別の経験をしたという。ブラジルでは二重格子の門前でとても長い間待たされたのだ。
 「領事か大使が高級なベー・エム・ヴェー ( BMW ) 社の車で大使館に入ってきて、またほかの車が一台わたしたちの前を通り過ぎました。スイスナンバーが付いたわたしたちの車を見たにもかかわらず、彼らの誰一人わたしたちに助けが必要か聞こうとしませんでした」

 ところが、旅行中は悪いことばかりでもなかった。
 「アフリカのモーリタニア ( Mauretanien ) にある普通の郵便局で ( 電話が繋がるのを待っていた時に ) お茶を出してもらう親切を受けました。もし、生まれ変わったとしたら、わたしはスイス大使かスイス領事になりますよ」

 マイドリンガー夫妻は70歳前後にして健康そのものであることに喜びを感じている。しかし、体を酷使する旅は明らかに身体的負担になる。

 そこで、夫妻は次なるアジア旅行の後は、イヴェコ車を船でナミビアまで運搬し、スイスが寒い冬の間、南アフリカ大陸を車で旅するという。
 
エティエンヌ・シュトレーベル、swissinfo.ch  
( 独語からの翻訳、白崎泰子 )

主な旅先

1957年-シチリア島 
1958年-デンマーク
1966年-ユーゴスラビア、ブルガリア、トルコ、シリア、レバノン、ヨルダン、イスラエル、ギリシャ
1968年-フランス、スペイン、モロッコ、モーリタニア
1974年-カナダ、アメリカ、メキシコ
1976年-ブラジル、ウルグアイ、パラグアイ
1979年-オーストラリア
1980年-南アフリカ、ジンバブエ、ボツワナ、ナミビア
1985~1986年-チュニジア、アルジェリア、ニジェール、チャド、カメルーン、中央アフリカ共和国、ザイール、ウガンダ、タンザニア
1991年-オーストリア、チェコスロヴァキア、ポーランド
1995~1996年-ギリシャ、トルコ、イラン、パキスタン、インド ( ゴア )
1996年-中国、香港、マカオ
1997~1998年-フランス、スペイン、モロッコ、モーリタニア、マリ共和国、ブルキナファソ、コートダジュール、ギニア、セネガル、ガンビア
1998~1999年-ギリシャ、トルコ、イラン、アラブ首長国連邦、オマーン、サウジアラビア、ヨルダン、イスラエル、キプロス島
2004~2007年-アルゼンチン、ブラジル、パラグアイ、チリ ( イースター島 ) 、ペルー、ボリビア、エクアドル ( ガラパゴス諸島 ) 、コロンビア、ベネズエラ、アメリカ、メキシコ、ベリーズ、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカ、パナマ、エルサルバドル、グアテマラ、カナダ、アラスカ、ハワイ
2009年-ポーランド、リトアニア、ロシア、モンゴル、中国、チベット、ラオス、タイ

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