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横浜で日本とスイスの出会いに思いを馳せる

日本・スイス国交樹立150周年の今年、両国は全面的に協力して様々な催しを行い、さらなる友好と絆を深めている。横浜開港資料館で150周年記念関係の展示をしていると聞き、日本での夏期休暇中、東京に行った帰りに足を運んでみることにした。

このコンテンツは 2014/09/02 09:02
道路側に面した、ひときわ目を引く看板 swissinfo.ch

最寄り駅の一つであるJR桜木町駅に降り立ってみると、冷夏にあえぐスイスとは対照的に、カンカン照りの酷暑が待ち構えていた。そのため、路線バスでも行ける開港資料館に、タクシーで向かった。

大通りに面しているとはいえ、資料館は豊かな緑に包まれ、非常に静かな佇まいだった。建物自体は、もともと英国総領事館として1931年に建築された。1979年、横浜市が買い取り、2年後、開港100年を記念して編さんされた「横浜市史」の収集資料を基礎に、日本の開国を約した日米和親条約が締結された地において開港資料館としてオープンした。

成長を続けるたまくすの木。横浜の歴史の生き証人だ swissinfo.ch

中庭の真ん中には大きなタブノキ(通称たまくす)が立っており、ペリー来航時に描かれた絵画にも登場している。大火、関東大震災という2度の災害にも朽ち果てることなく、このたまくすは、ひこばえ(樹木の切り株や根元から生えてくる若芽)で再生を遂げ、現在もたくましく成長を続けている。

歴史の生き証人であるたまくすを畏敬の念を持ってしばし見上げた後、新館に入り、まず1階を見学した。ここでは黒船来航前夜から横浜開港、そして繁栄までの歴史が日英両言語で分かりやすく説明されている。ペリーが乗船していたとされる軍艦の模型も興味深い。

そしてお目当ての企画展示「スイス使節団が見た幕末の日本」がある2階へ。部屋の入口でまず目を引いたのは、ヌーシャテル民族誌博物館より画像提供され、パネルに複写された白黒写真だった。横浜開港当時の町並や人物などが、生き生きと映し出されている。その中には、当時、横浜で殺害されたロシア人やオランダ人が埋葬されている外国人墓地があり、この時期に撮られた中では珍しい類の写真だということだ。

展示室内では撮影禁止のため、このチラシで写真やデッサン画の一部をご紹介する swissinfo.ch

また、1863年に日本に到着したスイス使節団の特命全権公使エメ・アンベール(Aimé Humbert)著「幕末日本図絵」内の、デッサン画の複写も展示されている。日本の庶民の生活や町の様子が表情豊かに、そして誇張なく描かれている。これらのデッサンにはアンベールが日本で入手した写真の模写も含まれているそうだが、描写が丹念で繊細であることこの上なく、アンベールが大層な腕前の絵師であるということに変わりはない。

展示は、使節団の一員であり、横浜で商社を営んで成功を収めると共に駐日スイス総領事を務めたこともあるカスパー・ブレンワルド(Caspar Brennwald)の日記をなぞっている。日記は、ブレンワルドが使節団の参事官兼書記官に任命された1862年12月10日から始まり、スイスを出発してから江戸で通商条約を締結し、横浜で商売をしていた1878年までの約15年間の出来事が多岐にわたって詳しく述べられている。

全5冊、550ページにわたる日記の記述は一部が英語やフランス語、大部分が美しいドイツ語で、ほぼ毎日書かれていることから、大変筆まめな人物であることが窺える。

個人の日記とはいえ、歴史資料としても非常に興味深い。たとえば、スイスを出発して日本に向かう道中、一行は蒸気船や鉄道を乗り継ぎ、アジア諸国も訪れたが、その土地に住むドイツ語圏のスイス人やドイツ人が各国で活発に商業・文化活動を繰り広げ、互いの交流を深めていることが詳しく述べられている。現在のような通信機器もない時代、海外における同胞の結び付きの固さが想像できる。

新旧の横浜の地図を重ね合わせている(旧館にて撮影) swissinfo.ch

日本には無事到着したが、当時、国内は攘夷運動による外国人襲撃がたびたび起こり、各地では事件が絶えなかった。日記には、ブレンワルドが親しく交際していたフランス人少尉カミュの惨殺が非常な遺憾の念とともに記されている。

劇的な大事件でなくとも、淡々とした記述も見逃せない。日本との条約締結にはオランダが一役買っており、オランダ総領事館であった長応寺(現・東京都港区)を活動拠点としていたが、1863年5月28日の午後、その寺でスイス国旗を太鼓の音に合わせて掲揚したという文章がある。

通商条約締結前の、今読むと何ということはない部分だが、実は、ブレンワルドが江戸で初めてスイス国旗が掲揚され、150年以上にわたる日本とスイスの交流の歴史の原点とも言える瞬間に立ち会った場面だ。

同資料館では、ブレンワルドが1865年に設立したシイベル・ブレンワルド商会(Siber Brennwald. & Co.)の現在の姿であるDKSHジャパン社の協力を得て日記の複製を入手し、翻訳作業を進めている。

翻訳作業は、同館の調査研究員と外部関係者による横浜史料調査研究会によってなされ、私が訪れた時には1865年12月31日まで作業済みということだった。日本-スイス間交流の事始めを知るための一級資料日本語版の完成が楽しみであり、いつの日か出版されることを強く望む。

ビジネス街に面する門の前で。古き良きヨーロッパの香りがする建物が町に溶け込んでいる swissinfo.ch

小さな企画室一室だけの展示ながら、内容は大変豊か、かつ分かりやすい陳列方法で見やすかった。2014年10月19日まで公開されているので、スイスに関心を寄せる日本在住者のみならず、一時帰国や休暇などで日本に行くスイス在住者にも、ぜひご覧になっていただきたい。


マルキ明子


プロフィール:マルキ明子

大阪生まれ。イギリス語学留学を経て1993年よりスイス・ジュラ州ポラントリュイ市に在住。スイス人の夫と二人の娘の、四人家族。ポラントリュイガイド協会所属。2003年以降、「ラ・ヴィ・アン・ローズ」など、ジュラを舞台にした小説三作を発表し、執筆活動を始める。趣味は読書、音楽鑑賞。

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