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現代アート、保存と修復への挑戦

Christoph Balsiger / swissinfo.ch

アートの保存・修復業界はこれまでにない難問に直面している。現代アートでは、従来とは異なる技法が用いられたり、老朽化が早く寿命の短い素材が使用されたりするからだ。そうした中で保存される作品もあれば消えていく作品もある。

 合成物質は時間とともにひび割れし、彫刻のスペア部品は手に入らなくなり、視聴覚機器は使いものにならなくなる。また、今までに試されたことのない物質、分解性物質、最新メディアの利用や1970年代以降のパフォーマンスおよびコンセプチュアル・アートの出現により、アート修復という職業もまた、変化を強いられ新たな専門化が進んでいる。

 さらに、すべての現代アートが保存されるべきかという問いに、事態は複雑になる一方だ。

 「一つ一つの作品が、すべて新たな挑戦だ」と言うのは、ジュネーブのアート修復家で、業界の第一人者でもあるピエール・アントワンヌ・エリティエールさん。現代アートの強みは、ほとんどの作者がまだ生存しており、修復時の対話が可能なことだ。

 新しい素材を使用した作品は、確かに扱いがやっかいだ。老朽過程がまだ知られていないからだ。しかし、だからといって必ずしもその作品が破損しやすく、低価値だというわけではない。そう語るエリティエールさんは、現在チューインガムがキャンバス中に貼りつけられた作品を修復中だ。

アート修復家は今日、さまざまな劣化しやすい素材を扱わなければならなくなった。ポリウレタン、ワセリン、チョコレート、フェルト、脂肪、チューインガム、さらには腐敗しかかった動物、植物そして食料品など。

また、分解性ポリマー、動く機械、電気、電子装置、IT(情報技術)、写真そして視聴覚資料を用いた作品の登場により、老朽化、浸食、腐食などの問題にも対処しなければならない。

顕微赤外分光法、マルチスペクトル高解像度デジタル化、熱分析、光弾性分析は現在利用されている技術の中でも最も革新的な技術に数えられる。

音の修復もまた、新たな研究を必要とする分野だ。ティンゲリーやカルダーなどの彫刻作品において、音は非常に重要な役割を担っている。

イギリスのテート(Tate)では、時間の経過とともに劣化する物質を用いた芸術作品や、パフォーマンス・アートなどの保存に取り組む特別部門が設置された。

不適切な環境

 エリティエールさんは、芸術作品が損傷する場合、使用されている素材よりも、不適切な展示、保管、搬送に問題があると指摘する。特に、美術館を始めギャラリー、収集家、投資家などが著名な芸術家の作品を競って手に入れようとするようになったことから、必然的に作品の移動も頻繁になり、その取り扱いは大きな問題になっている。

 真菌(カビなど)、クモの巣、虫のふんはもちろんのこと、搬送時に特殊ケースの代わりに利用される気泡シートなどはもってのほかで、エリティエールさんにとっては悪夢に等しい。

 エリティエールさんは1975年にアート修復家になってから、彼自身の仕事内容はほとんど変わっていないと断言する。しかし、若手の修復家に専門分野を特定する傾向があることは認める。彼のアシスタントを務めるアニータ・デュランさんは、寿命の短い芸術作品の修復に関する学位論文を書いた。代表的なのは、一瞬しか存在しないパフォーマンス・アートだ。

 アート修復という職業が専門化されたことにより、科学者を始めとするさまざまな業界の専門家との共同研究が必要不可欠となった。ニューヨーク・メトロポリタン美術館(New York Metropolitan Museum of Art )、 ニューヨーク近代美術館(MoMA)、ロサンゼルスのゲティ美術館(Getty)そしてロンドンのテート・ギャラリー(Tate)では、劣化しやすい素材の保存方法を探すため、科学者がフルタイムで研究に取り組んでいる。

 このような状況に伴い、修復の費用もうなぎのぼりだ。さらに、その作品の状態を査定するため、搬送前後に、保険会社が修復専門家に同席を求めるようになったことも費用上昇の原因の一つになっている。

 プラスチックアート専門のシルビー・ラメル・ルツェさんは、次のように語る。「さまざまな化学物質が、(芸術作品の製作に使用される)合成物質の製造に役立てられているのは確かだが、進化が早すぎて我々の理解が追いつかないのが現状だ」

 そのためラメル・ルツェさんは、例えばアルマンが1960年代以降に廃物を利用して作った彫刻作品の劣化を遅らせるために、化学者や学芸員と共同で作業を行っている。「時間を止めることはできない。できるのは時間を遅らせることだけだ」

 とはいえ、「すべての芸術作品の時間を止める必要はない」と、ローザンヌ美術館(the Musée des Beaux‐Arts de Lausanne)のベルンハルト・フィビヒャー館長は指摘する。腐敗や劣化は、ダニエル・シュぺーリの食べ残しを使ったスネア・ピクチャー(Snare Picture/使用された食器や食事の残りなどの日常の一コマをそのまま固めて展示する芸術作品)や、ディーター・ロスのチョコレートで作った彫刻の一部なのだ。

 「20年から30年後にはこうした作品のほとんどが消滅している。これは受け入れなくてはならない事実だ」

 フィビヒャー館長はさらに、芸術作品が生き続けることができるように記録を残すことの重要性を説く。例えばランドアートのような、ある特定の自然環境の中でのみ表現が可能な芸術作品は移動させることが不可能であり、保存するためにはきちんと記録することが必要だという。

マシュー・バーニー (1967~)アメリカ人。パフォーマンスやビデオを融合させた彫刻のインスタレーションを制作。彼の、タピオカが詰められたマットレスとワセリンで描かれた線画は、保存が困難なことで有名。

ヨーゼフ・ボイス(1921~1986)ドイツ人。影響力を持つパフォーマンス理論家。時の流れを暗示するほこりで覆われた彫刻は、最近まである修復家の善意で定期的にほこりが振りかけられていた。

ダン・コーレン(1979~)米国若手アーティスト。チューインガムやコンフェッティをキャンバスに「偶然的に」散らした作品は、それだけですでにアート修復家を悩ませるに十分。

ダミアン・ハースト(1965~)イギリス人。偶像的作品、ホルムアルデヒド(防腐剤)漬けのサメ「The Physical Impossibility of Death in the Mind of Someone Living(生きている者の心の中では肉体は滅びることがない)」の腐敗が進み過ぎたとき、彼はサメ自体を取り換えてしまった。

ディーター・ロス(1930~1998)ドイツ人。どこにでもある芸術とは縁のなさそうな物、例えばチョコレート、チーズ、毛虫などを使った作品を創作。

サルキス(1938~)フランス在住トルコ生まれのアメリカ人コンセプチュアル・アーティスト。彼のインスタレーションが再現不可能であることを自ら認識。

ダニエル・シュぺーリ(1930~)ルーマニア生まれスイス人アーティスト。食べ残しの食事をそのまま作品として展示したスネア・ピクチャーが有名。

芸術家の声

 世界的に有名なスイスの芸術家トーマス・ヒルシュホルンは、彼の作品が後世に受け継がれていくために何がなされるべきかという、スイスインフォの問いに対し、次のように答えた。

 「私の作品は永遠だ」

 ヒルシュホルンの世界の原動力となる素材が、包装に使われる紙やテープ、色あせしやすいフェルトペン、雑誌や切り抜きなどであることを考えると、彼の発言は意外だ。

 ヒルシュホルンの言を借りれば、すべての芸術作品は永遠だ。アート修復家はそのために日々仕事に取り組んでいる。使用されている素材の非永続性と闘いながら。

 「ヒルシュホルンは(アート修復家の)お手本だ」と、前出のエリティエールさんは言う。なぜなら、彼はアート修復家が自問すべき問いを投げかけているからだ。

 「芸術作品は時間を創り出す」と、ヒルシュホルンは言う。

 万一彼の作品が修復不可能となった場合、同一の複製を作ることに同意するかという問いに対するヒルシュホルンの答えはこうだ。

 「私の作品は消滅しない、つまり複製の必要などあってはならない」

 しかし中には、作品が複製されたり修復されたりすることを歓迎する芸術家もいる。アート修復家にとっては、それを事前に知っておくことが重要だ。例えば、ダミアン・ハーストは自分の作品に使った動物が腐敗した場合には、いわゆる「アフターサービス」を提供しているし、悪評高いカリフォルニアのポール・マッカーシーは、彫刻が破損しても喜び勇んでその部分を交換する。ただし、さらに衝撃的なものが取りつけられることもあり、必ずしも歓迎はされないが。

 ジュネーブ近現代美術館(Mamco)は昨年、現代コンセプチュアルアーティスト、サルキスのインスタレーションを全館に展示した。サルキスは自分の作品が展示する場所や空間によって創り出されていることを認識している。学芸員のソフィ・コストゥさんによると、彼は自身の作品を演奏するたびに異なる音楽のように捉えているという。

残すべきか残さぬべきか

 「芸術作品は常に変化するものであり、それを保存し生かしておくのが我々の役割だ」とコストゥさんは続ける。だからこそ、かの有名なイブ・クラインの青の単色画がよくプレキシガラスで守られていることに遺憾を示す。単色画は万一損傷した場合、最も修復が困難な画法の一つだ。クラインが開発したこの青色は、インターナショナル・クライン・ブルー(International Klein Blue)と名付けられ、特許を取得している。そのうえ特殊ガラスで守られているため、修復家に仕事のチャンスが巡ってくる日は永遠にやってこないだろうとコストゥさんは考えている。

 「(アートに対して)もっと寛容にならなければならない。それと同時に、すべての芸術作品を保存する必要があるわけではないことを認識しなければ。もし、過去の作品がすべて保存されてきていたとしたら、新しい作品が生まれる余地などなかったかもしれない」

 前出のフィビヒャー館長は、ベルンの伝説的な画商エバーハルト・コルンフェルトさんとともに、ドイツ表現派のキルヒナーの作品を査定したときのことを回顧する。彼が目に付いた汚れを指摘すると、コルンフェルトさんはこう言った。「君の頭にも白いものが見えはじめた。命あるものはすべて老いる。アートの世界でも同じことが言えるとは思わないかい?」

(英語からの翻訳 徳田貴子)

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