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法案を一瞬で白紙にする国民の拒否権、レファレンダム

シリーズ「スイスの民主主義」
これほど激しい展開になることはスイス政治ではめったにない。なぜなら国民にはレファレンダムという拒否権があり、新法は連邦議会で慎重に審議されるからだ 123RF

スイスでは最終的な決定権を握るのは国民だ。それは憲法改正時だけでなく、新法制定時も同じ。スイスの政治制度で最も重要な柱の一つである国民の拒否権「レファレンダム」は政治家にとって厄介で、立法プロセスが複雑になる要因でもある。だが、国民がいつでも拒否権を行使できるからこそ、持続的かつ幅広く支持された解決策が生み出されている。

 ウーリ州の山岳地方に暮らす農家に、国民投票で賛成票と反対票のどちらを投じたか聞くと、こう答えたという。「私はいつも反対票しか入れない。でも今のところ、それでうまく行っているよ」

この記事は、スイスインフォの直接民主制に関する特設ページ#DearDemocracyの一部です。ここでは国内外の著者が独自の見解を述べますが、スイスインフォの見解を表しているわけではありません。

 このジョークは、年金制度改革関連法案が国民投票で否決されたことを受け、同州のベテラン政治家フランツ・シュタイネッガー氏が新聞の取材に語ったものだ。

 この関連法案は連邦議会で可決されていたが、可否を分けたのはたったの1票。でも、国民投票で賛成過半数を得るには不十分だった。 

白紙に戻す

 ウーリ州の農家のようにいつも反対票を投じる人たちが原因で、法案が国民投票で否決されたかどうかは疑問だ。ただ、シュタイネッガー氏のジョークはスイス政治の典型的な点を示している、それは、直接民主制を敷くスイスでは、政治家に持久力が求められているという点だ。

 さらに、強靭な精神力が必要とされる時もある。政府か政党が法案を成立させるには、連邦議会で法案を可決に持ち込むだけでなく、有権者のことも常に頭に入れておかねばならない。年金改革関連法案のように、有権者が国の計画に納得しなければ、水の泡となる可能性があるのだ。この関連法案は連邦議会で7年かけて協議されてきたが、国民投票の結果により一瞬にして白紙となった。

安定した解決策

 スイスのレファレンダムには「強制的レファレンダム」と「任意的レファレンダム」の2種類がある。強制的レファレンダムは憲法改正および超国家的機関への加入に際して強制的に国民投票が行われる制度だ。

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 任意的レファレンダムは法案や特定の連邦決議、国際条約が対象。3カ月以内に有権者5万人分の署名を集めれば国民投票が行われる。

 レファレンダムという制度は、国民が政治決定に追加で参加できること以上の意味合いがある。なぜなら国民はこの制度を通して立法プロセスに決定的な影響を及ぼすことが出来るからだ。そのため政治家が提案を実現するには、連邦議会で連立を組んだり戦術を練ったりするだけでは不十分だ。

 それに加え、政治家はその案が国民の過半数を納得させられるだけのものかどうかを常に考えなければならない。そうした理由から、スイスの政治では幅広い議論が行われ、連邦議会に代表されない人たちの声にも耳が傾けられる。

時間はかかるが持続的

 この追加的ハードルが理由で立法プロセスは時間がかかり、複雑化する。だが有権者の過半数が支持した決定は比較的安定し、政府内で人事交代があってもすぐに揺らぐことはない。

 スイスでは1848年の建国以来、強制的レファレンダムにより200件以上の案件が国民投票にかけられた。そのうち可決されたのは4分の3以上だった。

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 連邦議会が採決した改正法案は任意的レファレンダムの対象となり、その数は1874年の制度導入後から現在までで2459件に上る。そのうちの177件で国民投票成立に必要な数の署名が集められ、国民投票で否決されたのは78件だった。つまり連邦議会を通った案件の大半は国民投票を経ずに成立している。国民投票が行われる場合も、国民は大抵の場合、連邦議会の判断に従っている。

予防線を張る

 レファレンダムの影響力が及ぶのは、国民投票にかけられる案件だけではない。国民投票の可能性を示唆されただけでも、連邦議会の過半数は潜在的な反対派に歩み寄り、レファレンダムを行わないよう働きかけたり、国民投票で反対勢力を最小限にとどめたりしようとする。

 年金改革案では、連邦議会の多数派だった中道派および左派は右派と極左からの攻撃にあい、政治的なバランスを保つのに苦労した。右派の国民党と中道右派の急進民主党は、財源不足にもかかわらず老齢・遺族年金制度を拡充して年金支給額を月70フラン値上げすることに反対していた。

 極左の政党は、女性の定年年齢を64歳から男性と同じ65歳に引き上げることに異を唱えていた。

シリーズ「スイスの民主主義」

スイスは間接民主制と直接民主制が組み合わさった国だ。スイスほど直接民主制が発展している国はない。このことはスイスで国民投票が620回以上(世界記録)行われてきたことからも明らかだ。

#DearDemocracyシリーズでは、ルーカス・ロイツィンガー氏がスイスの直接民主制に関する最も重要で基本となる制度、メカニズム、プロセスを解説する。 

同氏はチューリヒ大学で政治学を専攻。現在はジャーナリストとして執筆活動を行う傍ら、政治系ブログ「Napoleon’s Nightmare(ナポレオンの悪夢)」を共同運営している。

 国民から支持される改革案を打ち出すのは容易ではないが、例えば昨年5月に国民投票で可決されたエネルギー法案のような成功例もある。この法案は原子力エネルギーからの脱却と再可能エネルギーの推進を目指したもので、中道派および右派の保守政党は懐疑的な立場だった。

切り札は「監視」

 左派及び中道派の政党は連邦議会の審議で、エネルギー効率化のための建物改修工事に補助金を出すことなどを認め、経済界からの要求に応えた。だが国民党はこれを不十分としてレファレンダムを行った。ところがその後、急進民主党所属議員の大半が法案の支持に回り、国民投票では賛成が反対を大いに上回る結果となった。

 レファレンダムは、行使せずとも威力を発揮する「ダモクレスの剣」のような効果を政治に及ぼす。直接民主制とはそもそも、有権者がそうした手段を通し、選挙で選ばれた政治家を追加的に監視できる制度だ。

 スイスでは国民が民主主義を信頼する度合いが他国に比べ高いが、それはこうしたことと本質的に関係するからだろう。信頼することは良いことだが、国民にとっては政治を監視するための切り札がある方が、政府や議会をより信頼しやすくなるだろう。

(独語からの翻訳・鹿島田芙美)

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SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部

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