
【解説】兵士も議員も市民が兼業 スイスの民兵原則

広義の民兵制度はスイス民主主義の象徴だ。為政者と一般市民の間に一体感をもたらす一方、「社会的差別」の温床になるという批判もある。
スイスでは昨秋、選挙で村参事(議員)に選ばれてしまったのを理由に村からの移住を決めた男性がニュース外部リンクになった。就任を拒めば最大5000フラン(約87万円)の罰金が科される前科がつく可能性があった。この公職義務を定めた法律(アムトツヴァング)は、軍隊以外も含む広義の民兵制の極端な一例だ。

おすすめの記事
「スイスのメディアが報じた日本のニュース」ニュースレター登録
民兵制はスイス政治独自の制度の一つだ。スイスの一部の州では、望まない公職への就任を強制されることがある。ただ実際に強制されるケースはまれだ。
スイスの民兵制度とは
広義の民兵制(Milizsystem/système de malice。以下「民兵原則」)はスイスの民主主義に関してしか聞かれない概念だ。消防署や裁判員、教育委員会、議会などの公的な役職は一般市民が担うべきだ、という考え方に基づく。
政治学者のマルクス・フライターク氏、ピルミン・ブンディ氏、マルティナ・フリック・ヴィッツィヒ氏の著書「Milizarbeit in der Schweiz(仮訳:スイスの民兵活動)」によると、民兵原則はスイスで「参加の金本位制」とみなされている。大半の民兵職はスイス平均と異なり、報酬が低い。
背景には、国民が自らの信念で社会的・政治的に責任を負うことで、より自立して意思決定できる、という考え方がある。本業と並行することで、収入を公的機関に依存せずに済む。外部からの視点が官僚機構の肥大化を防ぐ効果も期待できる。
同時に、民兵原則は国民と政治の間の溝が深まりすぎるのを防ぐ狙いもある。国民自身が政治的責任を負うことで、親密感や一体感が生まれる。
公職に就いていないスイス国民も、法律を提案する「イニシアチブ(住民発議)」や議会の決定に異を唱える「レファレンダム(住民表決)」を通じて政治に直接影響を与えることができる。
だが現実には、民兵原則の結果として時間とお金に余裕のある人が公職に就くことが多くなる。政治学者のウルフ・リンダー氏とショーン・ミュラー氏は、「無償または低報酬という実態は社会的差別を生むが、見過ごされやすい」と指摘する。
男女の偏りもなお大きく、民兵原則に要因があるとされる。2020年、政党や役所の役職に志願した女性はわずか0.5%。男性は1.7%だった。 自治体の役所では夜間に会議が開かれることも多く、育児・介護の多くを背負う女性には参加しにくい。待遇が低いため、保育所の利用も難しい。そもそも通常の職業並みの待遇があれば兼業する人は減り、夜間に会議を開く必要もないはずだ。
民兵原則の起源
Milizsystem/système de maliceは元は軍隊用語で、古代ローマと都市国家アテネに起源を持つ。スイス軍もまた、職業軍人ではなく民兵原則に従って組織されている。イタリアの政治理論家ニッコロ・マキャヴェッリは、中世スイスにおいて「『市民と兵士の一体化』というローマの原則が復活」したと綴った。
だが民兵原則は、スイス連邦の建国よりも前から協同組合の運営やランツゲマインデ(青空議会)など、市民生活の屋台骨となっていた。
今日では民兵原則は衰退しつつあり、危機に瀕しているとさえ言われる。特に小規模自治体では公職の担い手が不足しがちだ。前述の「スイスの民兵活動」は、地方レベルで「制度疲労の兆し」が出ていると指摘した。
専業政治家への懐疑心
小規模自治体の政治家は、要職を含めて全員が兼業だ。高等政治においては、民兵原理は板挟みになっている。政治家は「職業」とみなされず、市町村や州の議員はそれだけで生計を立てられるほどの報酬を得ていない。連邦議員ですら、閉会中に別の仕事に勤しむ人が多い。
本職を持っていない国民議会(下院)や全州議会(上院)の議員は、有権者に懐疑的な目で見られやすい。だが連邦議員もフルタイムで務めるような設計になっていない。2017年の調査によると、連邦議員の労働時間は中央値でフルタイムの半分ほどしかない。これに追加して選挙運動や公共活もあるが、下院議員で年間720時間、上院議員で480時間にすぎない。
スイスの一般的な職業のフルタイムは週42時間とされるが、連邦議員レベルでもそれだけの労働時間を費やすことはないわけだ。
隣国ドイツ、オーストリア、イタリア、フランスの議員と比べると、スイス議員の収入は大幅に低い。一般的な職業はスイスの方が圧倒的に高いのと対照的だ。ブラジルやコロンビアなど平均賃金が低い国々の議員さえ、スイス議員よりは好待遇を受けている。
兼業政治家の存在は、既得権益の温床となる。
国際NGOトランスペアレンシー・インターナショナルのスイスは、「スイスの連邦議員は最大のロビイスト」と指摘し、議会活動とロビー活動の混在を批判する。
閣僚だけは高給
一方、スイス連邦内閣(政府)を構成する7人の連邦閣僚の年収は47万7668フラン(約8300万円)。米国大統領やドイツ首相の年収を上回る。
輪番制の大統領職を担う年は、さらに年1万2000フラン(約210万円)が支給される。
つまりスイスの民兵原則は、政府の最高レベルまで貫かれているわけではない。
だがそこにたどり着くまでの過程で、誰もが民兵原則を経験している。カリン・ケラー・ズッター財務相は、地元自治体の参事として政治キャリアをスタートした。
その後も州議会、州政府、そして連邦議会へと階段を上がってきた。そして今年、初めて連邦大統領という重責を負っている。
編集:Mark Livingston、独語からの翻訳:ムートゥ朋子、校正:宇田薫

おすすめの記事
「政治家に任せっきり」にしない スイスの直接民主主義

JTI基準に準拠
swissinfo.chの記者との意見交換は、こちらからアクセスしてください。
他のトピックを議論したい、あるいは記事の誤記に関しては、japanese@swissinfo.ch までご連絡ください。