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有能な女性研究者はなぜ大学を去るのか?

女性の研究キャリアへの遠い道のり Keystone

スイスにおける博士号取得者の男女比はほぼ同じだ。ところが、その先の博士研究員(ポスドク)レベルでは、女性が占める割合は大きく落ち込む。そんな現状を鑑み、バーゼル大学は妊娠・出産などで研究現場を離れた女性のために画期的な復帰支援制度を取り入れた。

 バーゼル大学機会均等推進局課のベアーテ・ベッケムさんは、「たくさんの有能な女性ポスドクが大学を去ってしまう」と話す。

 次の統計は、バーゼル大学においてこの離職傾向が顕著なことを示している。

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 「ポスドクの年齢は普通20代終わりから30代半ばまで。研究者として学問の世界でポジションを確立していく時期だ」(ベッケムさん)。しかし一般的にこの年代は妊娠・出産の時期でもある。そのため、家庭と仕事の両立に悩んで大学を辞めたり、よりフレキシブルな勤務条件を求めたりする女性は多い。

 大学側はこういった貴重な才能の損失を防ごうと、育児休業明けの女性ポスドクたちを支援するプロジェクト「ステイ・オン・トラック外部リンク」を発足させた。具体的には、育休明けの女性が研究に専念できるよう、復職直後の1学期間は研究以外の仕事を大幅に減らす。

 「ステイ・オン・トラック」でコーディネートを担当するベッケムさんによると、同プロジェクトは14年の発足以来40人を超える女性研究者たちの支援を行ってきた。

目的にかなった支援

 美術史・映画史家のエヴァ・クーン外部リンクさんも支援を受けた1人。クーンさんは生後15カ月の男児の母親だ。研究室への復帰後、クーンさんが担当するセミナーのうち1件を代理講師に引き継ぐことができた。「ステイ・オン・トラック」のおかげである。その結果、クーンさんは、自身が最も心血を注いでいたというプロジェクトに専念できた。そのプロジェクトとは、他界したベルギーの映画監督でアーティストのシャンタル・アケルマン外部リンクさんの作品をテーマとする、3日間にわたる国際シンポジウムの企画だ。

 クーンさんによるとシンポジウムは大成功を収め、関連書籍の出版も予定されている。「今になって考えると、あの仕事が自分のキャリアにとっての正念場だった。支援はプロジェクト実現に必要な勇気やエネルギーを与えてくれた」(クーンさん)

 植物学者のクリスティーナ・モレーノ外部リンクさんは、3歳未満の子供2人の母親だ。モレーノさんは気候変動に対する植物の反応を研究しており、そのために植物標本を集めている。3千点に及ぶ標本からモレーノさんが分離した同位体は、分析のために前処理を施さねばならない。この単純だが時間のかかる作業に学生たちを斡旋(あっせん)したのが「ステイ・オン・トラック」だった。

 「自分にとってはかけがえのないサポートだった。支援がなければ家族と過ごせる時間を大幅に犠牲にせざるを得なかった」とモレーノさんは力説する。「実験室に詰めていない時間は、中間結果の分析や会議への出席に充てることができた」

 「ステイ・オン・トラック」の長所の一つは手続きのシンプルさだ。ベッケムさんによると、プロジェクトの運営は大学側にとっては比較的容易かつ低コスト。大学の首脳陣も賛同姿勢である。

 「バーゼル大学では、女性研究者たちが(女性の昇進を阻む)いわゆるガラスの天井にぶつかっている現状を把握している」と述べるのは、同プロジェクトを積極的に後押しするエドウィン・コンスタブル副学長だ。「本大学が実践しているこの方法は、優れた女性研究者の大学におけるキャリア支援制度として、全国で応用可能な最善のモデルだと自負している」

労働文化とキャリアパス

 一方でベッケムさんは、大学において女性が「ガラスの天井」に突き当たる理由は妊娠・出産以外にもあると指摘する。長時間労働や硬直した昇進制度といった労働文化も変わらねばならない。例えば、実験室勤務と保育所のスケジュールを調整しようとしただけで、その女性の仕事に対する熱意を疑うなど、女性に対するパターン化した思考態度は、未だに随所で見られる。

 スイス高等教育機関の統括組織スイスユニバーシティーズ外部リンクの事務局次長、ザビーネ・フェルダーさんは、過去の因習や家庭の事情の他、共働きの研究者カップルに特有の問題もあると指摘する。女性研究者たちはパートナーよりも年下であるケースが多く、「メインの雇用対象であるパートナーがどこかの大学に職を得るのに従う形でサブの雇用対象となる事例が多い。また、女性の数は研究分野によっても上下する」。このような事情から、対策面においては多層的に取り組む必要があった。

 大学における機会均等を目指すプログラム「P-7 2017-2020外部リンク」が、1200万フラン(約13億7000万円)にのぼる政府助成金を受け発足したのは去る3月初旬。スイスの高等教育機関全27校がプログラムの対象となるのはこれが初めてだ。

 一つ前の「2013-2016」プログラムが、16年末までに国内の女性教授の割合を25%、助教授の割合を40%に増やすことを目標として掲げていたのに対し、今回はこのような具体的数値目標は見当たらない。目標を達成した機関も一部あったが、前回の目標設定が強気すぎたためだ。しかし、フェルダーさんが強調する通り、少なくともこのテーマが大学の現場で常に議論の的となるなどの効果は認められた。

 フェルダーさんによると、今後、各高等教育機関はそれぞれの責任において自らが設定した行動計画をもとに目標達成を目指すことになる。その際に注視されるのは、医学や経済学など各専門畑で大きく異なるリーダーシップのとり方だと言う。この点でかなりの違いが予想されるからだ。

まだ遠い道のり

 若い女性研究者たちがキャリアパス構築において苦労するのはスイスに限らない。隣国の独仏のみならず、北欧諸国でも女性教授の不足は顕著だ。

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 課題はまだ多い。しかし、バーゼル大学の植物学者モレーノさんは、「家庭を持つことをあきらめないで」と後輩たちにエールを送る。「もちろん困難は覚悟しなくてはならないが」。大事なのは支援を受けること、そしてしっかり計画を立てることだとモレーノさんは付け加えた。

 美術史・映画史家のクーンさんは、母親としての役割が自らの科学的思考法や仕事への意欲に好影響をもたらしたと断言する。これが当たり前でないことは承知の上だ。子育ては大変なものだからだ。しかし、それは一方で喜びも与えてくれる。そしてその喜びを感じるためには、「ステイ・オン・トラック」のような支援制度が必要なのだ。

 「このような形の支援は、次世代女性研究者の育成と彼女らの研究の質を確保するためには必須だ」(クーンさん)

ポスドクとは?

 学問の世界では、今も教授ポストがキャリアの最終ゴールとされる。「博士号はそのために不可欠な一歩。しかし、さらに重要なのはその後のポスドク期だ」とベッケムさん。ポスドク期こそ、研究者としての基盤を固める時なのだ。優れた研究、研究費用の獲得、他大学への出向、教授資格論文(ベテラン研究員が学部生に講義を行う私講師になるための資格)の提出、さらには一流専門誌での論文発表といったさまざまな分野で業績が認められなければならない。

(独語からの翻訳・フュレマン直美)

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