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美術コレクターの巨匠、死去

2004年、バイエラー財団美術館で作品を鑑賞するエルンスト・バイエラー氏 Keystone

ピカソの友人で、セザンヌ、モネなど後期印象派以降の傑作150点を収蔵する美術館を創設した、バーゼルのコレクター、エルンスト・バイエラー氏が2月下旬88歳の生涯を閉じた。

しかし、「バイエラー財団美術館 ( Beyeler Foundation Museum ) 」は後継者も決まり、今後の運営に支障はないという。

クレー100点とセザンヌ、モネなど340点購入 

 「悲報に悲しみに暮れたが、老後は幸せでまた最期も安らかだったと聞いて安心している。2月6日には、バイエラー氏が特に好んだアンリ・ルソー展の開会式に彼が車椅子で訪れた。その時式典に参加したフランスのフレデリック・ミッテラン文化相とも話ができて非常に喜んでいた」
 と、バイエラー財団美術館のキュレーター、フィリップ・ビュットナー氏は話す。

 今後とも同美術館の館長はサム・ケラー氏で、財団はハンスユルク・ヴァイス氏が運営を担当する。ヴァイス氏はバイエラー氏の友人で、大手医療機器「シンサス ( Synthes ) 」の経営者。2004年にバーゼル市からの補助金を打ち切られたバイエラー財団を支援している。

 バイエラー氏という優れたコレクターが誕生した背景には、バーセルという町の、美術に対し寛容で開かれた精神を育くむ土地柄がある。しかし、多くの有名なコレクターが裕福な家庭の出身であるのに対し、バイエラー氏は違った。

 ごく普通の家庭に生まれ、経済や美術史を勉強しながらバーゼルの古美術商の下で働き、美術への関心を育んでいった。古美術商を1945年に受け継いだ後、1947年から、数々の展覧会を企画し、60年間で約300回の展覧会を開催し、美術商として1万6000点の作品を世界中の個人コレクターや有名な美術館に売りさばいた。

 だが、バイエラー氏をコレクターとして著名にしたのは、何といってもピッツバーグのトンプソンコレクションの一部購入からだ。1959年から1965年にかけての購入で、パウル・クレーの作品100点、セザンヌ、モネ、ピカソ、マチス、ミロ、モンドリアン、ブラック、レジェの作品を合計340点、またジャコメッティの作品を80点入手している。

友人としてカンディンスキーの作品も100点購入

 バイエラー氏は一人称で話すときは、いつも「われわれ」と言い、2008年に亡くなった夫人のヒルディさんと一緒に活動していることを話し相手に思い出させた。していた。そしてある時
 「美術商としてのわれわれの一番大切な客はわれわれ自身だ。だからと言って、ほかの大切な客に美術界の傑作を売ることを拒んだわけではないが」
 と茶目っ気たっぷりにウインクしながら話した。

 まず、作品の収集を行い、次いで財団を立ち上げ、さらにそれを美術館にしていくという流れは、徐々に自然な形で成就していった。子どものいなかった夫妻は、自宅を飾るために少しずつ作品を買うことから始めた。

 一方、芸術に深い理解のある優れた収集家がそうであるように、バイエラー氏も支持するほとんどの芸術家と友人関係にあった。そのため1996年にピカソのアトリエから26点の絵を自由に選ぶという特権に預かり、1972年には油彩、水彩、デッサンなど計100点をカンディンスキーの未亡人ニーナ氏から直接購入している。バイエラー氏はまた、未開芸術にも造詣が深かった。

美術史の歴史に名を残す偉業

 バーゼル・シュタット州の州知事ギー・モラン氏は
 「バイエラー氏はまさに偉業を成し遂げた人物。バーゼルの美術界に貢献したのみならず、トンプソンコレクションの一部を購入することで、クレーやジャコメッティの多くの作品を祖国に買い戻し、スイスにとっても重要な役割を果たした」
 と話す。また
「彼がいなければ、バーゼルには『アート・バーゼル ( Art Basel ) 』も存在しないし、また建築家レンゾ・ピアノ氏の設計による美術館も存在しない」
 と続ける。

 「バイエラー氏は近代の芸術を総合的に収集できた最後のコレクターだろう。現代では絵画価格の高騰に伴い、こうした収集は不可能だからだ」
 と語るのは美術館のビュットナー氏だ。

 バイエラー氏の口癖は「良いコレクションは時代と共に生き続けていかなくてはならない」だった。それを具現化するように、リーエン ( Riehen ) にある美術館では常設展のみならず、質の高いマチス、ジャコメッティ、ルソーなど巨匠の特別展が開催され続けている。

 またバイエラー氏の、時代を代表するアートを見抜く美術商としての側面が、世界最大の現代アートフェアーである 「アート・バーゼル 」を生んだ。このアートフェアーは美術史に名を残すであろうし、またバイエラー氏の名も同じく美術界に深く名を刻み続けることは間違いない。

アリアンヌ・ジゴン 、swissinfo.ch
( 仏語からの翻訳、里信邦子 )

1921年7 月16日、バーゼルに生まれる。
1940年、経済と美術史をバーゼル大学で学ぶ。バーゼルの古美術商オスカー・シュロス氏のもとでアシスタントとして働く。その後1945年に同古美術商の後継者となる。
1947年、第1回の展覧会を開く。展示は日本の浮世絵だった。
1948年、生涯連れ添ったヒルディ 夫人と結婚。
1951年、この年から近・現代の芸術家作品展を中断することなく続け、亡くなるまで約300回の展覧会を開催した。
1959~1965年、ピッツバーグのトンプソンコレクションの一部を購入。パウル・クレーの作品100点、セザンヌ、モネ、ピカソ、マチス、ミロ、モンドリアン、ブラック、レジェの作品を合計340点、またジャコメッティの作品を80点買い取った。
1971年、世界最大の現代アートフェアー「アート・バーゼル ( Art Basel ) 」にその後改名される「アート( Art )」の創設を友人と行う。
1982年、「バイエラー財団」を創設。
1989年、マドリッドで初めてこれまでのコレクションを一般公開する。
1994年、建築家レンゾ・ピアノ氏の設計による「バイエラー財団美術館 ( Beyeler Foundation Museum ) 」の建設が開始され、1997年に完成。同美術館は150点の後期印象派以降の作品とオセアニア、アフリカの美術作品を収蔵している。
2001年、「熱帯雨林のための芸術財団」を創設。
2010年2月25日、死去。

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