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芸術界の女性 忘れられたスイスの女性芸術家④マルチェロ

女性を模した彫刻

マルチェロ「La Phyte」青銅彫刻、1880年ごろ

(Musée d’art et d’histoire Fribourg)

2019年は女性芸術家をテーマにした展示会がスイス各地で開かれている――まるでこれまでの遅れを取り戻すかのように。19~20世紀はスイスでも多くの女性芸術家が忘却の彼方に置き去りにされていた。スイスインフォは今週、死後ようやく名声を上げたり再発見されたりした5人の女性芸術家を紹介する。

マルチェロ(1836~1897)

カスティリオーネ・コロンナ侯爵夫人、アデル・ダフリー、それともマルチェロ?フリブール生まれの彫刻家は、芸術家として認められるために男性の名・マルチェロ他のサイトへと偽名を使って制作に当たった。

L.デュモン「マルチェロ」、銅版画、1864年4月

(The Picture Art Collection)

アデル・ダフリーは貴族の家庭に生まれ、フリブールと仏ニースの間で幼少時代を過ごした。17歳の時には彫刻に傾倒し、スイス人彫刻家ハインリヒ・マクシミリアン・インホフに師事するべくローマへ向かった。1856年にかカスティリオーネ・アルドブランド公爵であるカルロ・コロンナと結婚したが、同じ年に未亡人となった。

アデル・ダフリーは生涯を通して、芸術家としてのキャリアと女性としての役割の間で揺れ続けた。若くして未亡人になった彼女は二度と結婚しないと決断し、「彫刻家マルチェロ」として生きると誓った。2年後には芸術の都・パリに移住。1867年のパリ、1869年のミュンヘン、1873年のウィーン各万国博覧会で作品が展示され、芸術家としての名を知らしめた。

だが1879年、結核に侵されたアデル・ダフリーは43歳の若さでイタリアで息を引き取った。短い生涯で無数の彫刻、文章やデッサンを残した。

2014年にフリブール美術歴史博物館で開催された展覧会で、アデル・ダフリーの作品は再び注目を集めるようになった。 

スイスインフォはスイスの美術館のアーカイブから、スイスの美術市場における女性芸術家のプレゼンスを分析しました。結果をまとめた記事は6月7日に配信予定です。Eメールで配信のお知らせを受け取りたい場合は、下のニュースレターにご登録ください。

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(独語からの翻訳・ムートゥ朋子)

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