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世界が注目したベーシック・インカム導入案は否決、スイス国内と海外の反応

77%の否決にもめげず「23%が賛成」と大きな文字を掲げて喜ぶ、ベーシック・インカム賛成派の人々 Keystone

スイスの国民投票で5日、国民全員に無条件に必要最低限のお金を支給するベーシック・インカムの導入案が76.9%の反対で否決された。しかし、このイニシアチブ(国民発議)を提起した側は、「今後さらに大きく取り上げられるテーマだ」と楽観的に結果を見ている。日本を含み世界から注目されたベーシック・インカムの導入。国内と海外からメディアの反応を拾った。

 ベーシック・インカム導入賛成派は、すべての大人に月2500フラン(約27万円)、子どもに625フランを支給することで、すべての人が人間としての尊厳を維持でき、またこの最低限の収入を基盤に、本当にやりたい仕事に就けるといったポジティブな側面を強調していた。

  これに対し政府を含む反対派は、同程度の稼ぎがあった人が今後仕事を続ける意欲を失い、労働者が減少すると指摘。企業の国外移転が促され国の税収が減り、平均所得の低い国から多くの外国人がスイスに流入すると危惧した。

 また、ベーシック・インカムのお陰で、(最低限の保障があるがゆえに、失業手当や子どもの教育手当てなど、多岐にわたる手当てが必要でなくなり)社会保障制度がシンプルになるという賛成派の主張に対して反対派は、財源確保のためには大幅な歳出カットや増税が必要のほか、社会保障にはベーシック・インカムではまかないきれないサービスや支援が不可欠なため、ベーシック・インカムが既存の社会保障制度に取って代わることはできないと主張した。

国内の反応、「スイス国民の23%が賛成」 

 投票結果が出揃った5日午後、バーゼル・シュタット州やジュラ州では、ベーシック・インカム導入案への反対が約64%で、スイス全国の76.9%を大きく下回ることが判明した。こうした動きを味方にして、バーゼル州の支持派は「スイス国民の23%が賛成した」という大きな文字を建物の外壁に設置された巨大スクリーンに掲げた。

 仏語圏のル・タン紙がインタビューした、ベーシック・インカム導入提案グループの仏語圏代表、ラルフ・クンディグ氏も同様に、「23%もの国民が賛成してくれた。名誉なことだった」と話した。「緑の党からしか賛成がなかったので、敗北ははじめから分かっていた。だが、ベーシック・インカムについての議論を巻き起こすことが、今こそ重要だと思う」

 「このテーマは今後もっと大きく取り上げられる。なぜなら、ベーシック・インカムは労働界の変化に対する解答だからだ。失業者のいない時代は終わりを告げ、デジタル化がもたらした変化に対応する社会が必要とされる今、遅かれ早かれ抜本的な改革が求められているからだ」

 これに対してル・タン紙は、労組に関わる社会民主党のジャン・クリストフ・シュワブ議員の反対意見を載せている。「ベーシック・インカム導入は、適切でよい労働に就くという労働者の権利を根本的にくつがえすものだ。現在の労働界での問題への解決は、もっと違う方向から見ていく必要がある。労働の不平等や不安定さを減らし、オートメーション化やデジタル化した経済などへの対処を探ることだ」

海外のメディアの反応、「労働はスイス人にとって神聖な権利」

 中東の衛星テレビ局アルジャジーラの電子版は、スイス人の労働意欲を強調した。「スイス人の多くが無償でお金を支給されることに反対した。なぜなら、スイス人にとって仕事をすることは、侵すことのできない神聖なまでの権利だからだ。2012年にも、有給休暇を年4週間から6週間に増やす案件が国民投票で否決されている。競争力が低下すると恐れてのことだった」 

 フランスのフィガロ紙も同様に、2012年の国民投票を引き合いに出し「労働を崇拝するスイス人にとって、無償でお金を受け取ることは受け入れがたいものなのだ」とコメントした。

 左派の仏紙リベラシオンは、ベーシック・インカム導入案が否決されたことに驚かないとして、「政府もほぼすべての政党も、このユートピア的でお金のかかる案に反対した」と書き、仏紙ルモンドも「スイス政府は昨年末に、社会保障制度においても移民労働者の削減対策においても、このベーシック・インカム導入は危険だと表明していた」とした。

 日本のメディアも、ほぼ全社がベーシック・インカム導入案を取り上げ報道した。今回スイスが注目された理由は、「フィンランドが(ベーシック・インカムの)効果を検証するため失業者など一部の国民を対象に来年から試験的に導入するほか、オランダでも自治体レベルで試験的に始まるなど、ヨーロッパを中心に導入に向けた動きがある」(NHK)ためであり、「資本主義国家では本格的に導入した事例がないこともあり、スイスの投票結果が注目されていた」(日経)からだ。

 また日経は「直接民主制が浸透したスイスでは10万人の署名が集まれば、国民からの提案を投票に諮ることが決められている。ベーシック・インカムの提案は、制度の実現よりも問題提起を目指した面もある。所得を巡る案件では2014年に時給22スイスフランの最低賃金を設ける提案を否決したことがある」と書き、スイスでは、社会制度を根本的に見直すこうした案件が国民から提案され、国民がそれを決めるという直接民主制にも触れている。

ベーシック・インカムに対するポジティブな見方

 オーストリア紙のクローネンツァイトゥングは、未来の社会とベーシック・インカムについての議論が起きたのはスイスがはじめてではなく、欧州の多くの国ですでに行われていたとし、オランダやフィンランドでは試験的な導入がやがて行われると書いた。

 スペイン紙のエル・パイスは、労働界の変化という背景の中でこうしたベーシック・インカムを捉える。「スイスでは大多数が反対したが、ベーシック・インカム導入案は、それを国民投票にかけたことで、オートメーション化が進む労働環境の中で労働の未来を疑問視するするよう提示したのだ」

 イタリアの左派紙イル・マニフェストも同様の捉え方でこう書く。「マルクス的な提案は夢と消えた。しかし、ベーシック・インカムは経済のロボット化やデジタル化で大きく変化する労働界の問題に解決を与えたかもしれない」

 そして最後に英紙インディペンデントは、「ベーシック・インカム導入案の否決で、今後欧州でこの議論が消えたというわけではない」と強調した。「スイスが極端な形で社会保障制度を変えないということは、はじめから明白だった。だからといって、この議論が消えたわけではない。労働環境と経済システムの建て直しに関する議論は、このベーシック・インカム導入案のお陰で始まったと言ってよいだろう。そうした議論が煮詰まる間、家事や老いた両親の面倒をみるといったデジタル化できない労働に価値を置くことも考えながら…」

労働を「崇拝する」働き蜂のスイス人が、無償でお金をもらうベーシック・インカム導入に反対したとみる見方は面白い。確かに、スイスインフォに寄せられたスイスの若い人たちのコメントでも「ベーシック・インカムがあっても働きたい」という人が多かった。だから、働き蜂のスイス人というのはその通りだが、一方で若い人たちはベーシック・インカムに賛成する人が多い。極端なシステムの変化を嫌うスイス人でもだ。なぜだろう?それは恐らく、多くの海外メディアも指摘するように、オートメーション化やデジタル化などで劇的に変化する社会が多くの失業者や格差を生み、このままでは未来の社会はギクシャクとしてなり行かないと感じているからだろう。そして、これに対す抜本的な対策は今のところ出ていない。

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