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「エスカラード」はジュネーブ人の誇り

ジュネーブの子供達は「エスカラード」祭が一番好きという。 Keystone

ジュネーブっ子がもっとも楽しみにしているお祝いはクリスマスではなく、カーニバルでもない。12月の「エスカラード」祭りだ。1602年12月11日の夜、サヴォア家がジュネーブ支配を狙った夜襲、「エスカラード」(梯子作戦)の裏をかき、ジュネーブが独立を勝ち取った歴史的な日を祝う。

旧市街では騎馬隊、楽隊など約800人の人々が当時の衣装を着て行進、六百頭の馬、松明の明かりが石畳の旧市街を照らす光景は必見だ。「1602年カンパニー」という祭り実行団体が、戦いで命を亡くした18名の死者の名前を読み上げる儀式もある。

歴史の狭間

 ジュネーブがフランス領に組み込まれるそうになっていた1602年。対抗宗教改革で揺れていた時代でカソリックのサヴォア家(現在仏のサヴォア県)のシャルル・エマニュエール・ド・サヴォアはプロテスタントのジュネーブ支配を諦めていなかった。そして12月11日にはエスカラード(梯子作戦)と呼ばれる夜襲をかけ、一気に城壁を越え市内に侵入しようとした。

 奇襲を不断の警戒によって妨げることが出来たのは警告を受けたとも、運が良かったとも言い伝えられる。ともかく、この日、警備隊や義勇軍だけでなく、市民もともに戦い、300人以上にも及ぶサヴォア軍の奇襲を撃退したのである。

ジュネーブの独立

 翌年、サンジュリアンの和約によってジュネーブは正式に独立した。現在スイスに帰属しているという運命をも決めることになったこの「エスカラード」はジュネーブ市民にとってはスイス建国記念日(8月1日)より大切だ。

チョコレートのお鍋

 有名な逸話は「メールロワヨーム婆母さんのお鍋」。深夜、サヴォア軍が梯子をかけ、城壁を登っているのを目撃したお婆さんは火にかかってグツグツ煮えている大きなスープ鍋を敵にぶちまけたという。この野菜スープがジュネーブを救ったということでエスカラードの象徴に。さらに400年経って、チョコレート製のお鍋にマジパンでできた野菜が入っている商品に変化した。学校では大きなチョコレート鍋を「こうして、共和制の敵は滅びたのでアール!」と叫び、剣で鍋を割るクライマックスに欠かせない品物になっただけでなく、チョコやマジパンを楽しみにしている子供達にも重要だ。

エスカラードが好きなわけ

 ジュネーブ市民に「どうしてそんなにエスカラードが好きなのか」聞いてみると、「チョコレートが食べられるから」(ヴァレリー・モノちゃん)、「学校で仮装ができるから」(ジャリル・ぺルノー君)など子供たちの理由はそれぞれだ。大人でも「中世時代に舞い戻れるから」(アラン・サンシュルピス氏、30歳)などと語っており、今でも祭の歌はジュネーブで育った人なら全部暗記しているという。

 ジュネーブ市の儀典長で、エスカラード行進に子供時代から3世帯に渡り参加してきたというドミニック・ルイ氏は「10歳から57歳まで、今年で47年目」という。「エスカラードは私たちのアイデンティティーだから大切なのです」と目を光らせ、「子供時代には毎年、参加するのが夢でした。今は歴史への夢です」と大変お似合いの衣装で嬉しそうに語ってくれた。


スイス国際放送、 屋山明乃(ややまあけの)

– ジュネーブの建国記念日でもある「エスカラード」はサヴォア家の夜襲を撃退、独立を守った1602年12月12日を記念する。

– 学校などでは12月12日、旧市街では今年は11日から14日まで様々な祭典が行われる。

– ジュネーブの学校ではこの日、子供たちは仮装をして学校に行き、伝説の野菜スープを食べ、チョコレートの鍋を割ってお祝いする。

– 子供たちは当時の方言でこの歴史物語を語る「チェケレノ」という歌を歌いながら歩く。

– 普段は閉鎖されているモノティエ通りがこの期間だけ開放され、ローマ時代の城壁跡が見学できる。寒さを紛らわすためにヴァンショー(熱いワイン)も配られる。

– 市庁舎の向かい、昔の武器庫ではエスカラードの象徴である野菜スープもふるまわれる。

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SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部

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