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「症例X」 - ロカルノ国際映画祭 -

一緒に食卓には着くが、そこにはまったく会話はない pressedienst

ロカルノ国際映画祭は、常に日本映画に注目してきた。昨年は小林政広監督の「愛の予感」が金豹賞を受賞した。今年も新鋭監督部門 ( Cinéastes du présent ) で吉田光希 ( こうき ) 監督 ( 27歳 ) の「症例X」が選出され11日、公開された。

同作品は、今年の「第30回ぴあフィルムフェスティバル」で審査員特別賞を受賞し、ロカルノのアートディレクター、フレデリック・メール氏の目に留まった。2005年のロカルノ国際映画祭の審査員特別賞を受賞した「不完全なふたり」の諏訪敦彦 ( のぶひろ ) 氏に指導を仰ぐ吉田氏の5本目の作品である。

親子の関係

 「この映画は、日本では介護の映画として捉えられたのですが、わたしは母と子の関係を描きたかったのです」
 と吉田氏は語る。

 スクリーンには、若年痴呆症の母と彼女の世話をしながら働く36歳の謙一の単純な日常が繰り返し流れていく。2人の間に会話はほとんどない。固定されたカメラが捕らえるのは、薄汚い冷蔵庫を中心とした台所で食事をする2人の姿だ。カメラのアングルから離れた所で起こっていることは、生活音と声を通して観客の想像に任されている。

 さもまずそうな夕食が繰り返される中、謙一が母親から乱暴に取り上げたタバコをぶっきらぼうに返すという事件が起こる。もっともタバコと一緒に返したライターのガスは切れていたのだが。

 出勤前に母親の薬を2種類袋から出す謙一。病気に効いているのだろうか? 母親が作った不恰好なおにぎりが2つ食卓の上に置かれた夜。「お帰りなさい」とぽつんと言う母親。返事をしない謙一。そんなことしか2人の日常には起こりえないのだが、そんな心のやり取りが、無言で進むこの映画の中ではちょっとしたハプニングでもある。

受け入れる優しさ 

 「これまでの映画製作は、全て自分でやりたいと思っていました。カメラも自分で回すし、台詞も俳優さんにきちんと言ってもらいたいという思いがありました。しかし今回の作品は、映画をみんなで作ることの楽しさを学びました」
 スタッフと相談し工夫しあいながら作っていったという「症例X」は、吉田氏の東京造形大学の卒業作品でもある。

 20代で未婚という吉田氏だが、すでに自分が介護をする立場になることや、される立場になることを「自分だったらどうするか」と自問しながら作ったという。想像力が作らせた作品だが、日本のどこかの家で、常に起こっていそうな状況だと思わせる説得力がある。

 「映画を作る前、介護をしている人たちを取材しました。そこで印象に残ったのは、介護をしている人の怒りさえ ( 介護している ) 相手には通じないと言われたことでした」
 と吉田氏は言う。謙一が思い余って怒りを爆発させても、その怒りは冷蔵庫を殴るくらい。叫ぶことすらない。こうした生活をすでに受け入れようと決心している謙一は、介護をする立場になったらそうするであろう監督自身のようだ。

 自分とは切り離すことのできない親。他人であり他人ではない親をどうしたらよいのか?「症例X」はその答えを直接は与えてはくれない。しかし、介護をしなければならない自分の人生を静かに受け入れる息子と母親の「会話」を伝える映画だ。

swissinfo、ロカルノにて 佐藤夕美 ( さとう ゆうみ )

「症例X」
2007年/ビデオ/67分/カラー
監督・脚本 吉田光希
撮影 小島悠介 柏田洋平
編集 吉田光希
出演 坂本匡在 宮重キヨコ 沢田幸子 野中裕樹

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