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 禁断のお酒−アブサン 解禁から2カ月

アブサンは19世紀末にボードレールなど多くの芸術家が愛飲したが、中毒者も多く出た。(モティエ博物館提供) Keystone

今年の3月1日、スイスで1世紀ぶりに蒸留酒アブサンが解禁されて、2カ月が経った。アブサン(仏absinthe)の原産地、ヌシャテル州では約4万本(2万リットル)のアブサンが生産、販売され好調なスタートを切った。

スイス西部ヌシャテル州のアブサン発祥の渓谷、ヴァル・ド・トラヴェールではアブサン解禁の熱狂に便乗してアブサンチョコレート、アブサンソーセージからアブサンシャンプーやクリームまで製造を始めた。

アブサンは薬草、香草をアルコールに浸したリキュールだ。透明な緑色をしているため「緑の妖精」と名づけられている。主成分はニガヨモギ(Artemisia Absinthum)、アニス、ウイキョウ、セイヨウヤマハッカ(メリッサ草)、ミント、ヤナギハッカ(ヒソップ)など10種類ほどの薬草が使用されるのが本場スイスのアブサンの特徴だ。  

 アブサンというと19世紀のフランスの芸術家、ボードレールの詩やロートレックの絵画『アブサンを飲む女』を思い浮かべる人が多いだろう。このためフランスのリキュールというイメージがあるがアブサンはスイスで生まれた。

発祥地のレジスタンス

 「発祥地は間違いなくここ」と太鼓判を押すのはアブサンの老舗、クブラー・ブラックミント社のイブ・クブラー氏。お爺さんの代から語り伝えられた話によると、ヴァル・ド・トラヴェールのコンヴェ町のエンリオ姉妹が霊薬の処方箋を仏人オルディネール医師に売ったものらしい。これをスイス人ルイ・ぺルノー(現ぺルノー・リカール社)氏が1764年に商品化したという。その後、ぺルノー氏は労働力の安い20km離れたフランス側のポンタルリエに工場を移した。

 この渓谷で当時、50ヘクタールの畑を使い3,000人ほどの人口がアブサン産業に従事していた。禁止の打撃が大きかったためヌシャテルの住人はアブサン禁止令を全面的に受け入れることがなかったという。財務省管轄のアルコスイスのマルク・ジロン氏も「これまでアブサンについて調べることは難しかった」と語る。ヌシャテル州ではアペリティフ(食前酒)として飲む習慣が絶えず、密造者が代々受け継がれたレシピーをもとに細々と製造を続けていたのだ。ジロン氏は「禁じられたからこそ愛飲家と産地住民との連帯感で続いたのかもしれない」という。現在のところ5件の生産者が登録されたが「密造」を続ける人も多いだろうという。

禁酒になった理由

 アブサンはスイスでは1910年、フランスでは1915年に禁止されたため「幻の酒」となった。この理由にはニガヨモギに含まれる成分のツヨン(thuyone)に脳の神経系統を変質する作用があり、幻覚、痙攣、自殺癖などといった症状を起こすことが判ったからだ。当時はこのツヨンの量を調整したり、確かめたりする技術がなかったことも大きい。

 現在、アブサンに含まれるツヨンの量は許容量が35mgまでと定められている。これは当時の7分の1である。またアルコール度も当時は70%と強く、これがアルコール中毒になる原因でもあった。現在、市場に出ているアブサンのアルコール度は50度前後のものがほとんど。

 スイスで製造禁止に至った理由は、あるアブサン中毒の男が妻子を鉄砲で撃ち殺したという惨事が引き金になったという。しかし、関係者の話ではこの男はアブサンだけではなく白ワイン常用のアルコール中毒であったという。当時、最も安値だったアブサンに対抗するワイン業者やビール製造業者のロビーの結果という話もある。当時、失業などでアルコール中毒者が多かった社会的背景があった。

ボードレールのアブサンと同じ味?

 さて、解禁されたアブサンの味だが昔の物と比べると苦味が取れてまろやかになったという。前出のクブラー・ブラックミント社のイブ・クブラー氏は「コカコーラだって1945年と今では味が違うでしょう。1世紀も経てば人々の嗜好が変わってきますから」と語る。

 解禁前に「アブサンのエッセンス」として売っていた代用アブサンのアルコール度は45度ぐらいだ。解禁後は正式なアブサンとしてアルコール度が53度に上がったため、「アロマ(香り)が強くより微妙な味が出ている」とクブラー氏は語る。

 解禁になって個人が作る密造酒も美味しくなったという。これはアブサンの主成分であるニガヨモギの畑を栽培できるようになったからだ。今までは東欧産の香りの弱い乾いたニガヨモギの葉を使用していたのが香り高い地元産が使えるようになったのだ。

 スペイン、英国など禁止されたことがない欧州諸国ではアブザンが何十種類も販売されている(フランスでは未だに禁止)。しかし、「多くのアブサンに色がつけられていたり、甘かったりと味が全く違う。使用する香草も少ない」と語るのはアブサン祭り委員のニコラ・ギガー氏。だから、地元では安物の多い「邪道アブサン」と差をつける為に今後、地理的表示(AOC)に申請する予定だ。

禁断の味とスーパーの味

 新しく製造者となったピエール=アラン・ブニオン氏はすでに2万5千本も売れたと顔が綻ぶ。密造していた時代は1年間で400リットル製造していたため、今は製造が間に合わないらしい(19日付けル・タン紙)。クブラー氏もこの2カ月で、売ろうと思っていた1年分のストックが売れてしまったという。

 しかし、アルコスイスのジロン氏は「まだ、今後どれだけ売れるかを見るには早すぎる」と語る。今は「目新しさ」でどんなものか試す人が多い段階だからだ。クブラー氏も「一年経ってみないことには人々の消費動向は判らない」と慎重だ。

 意外なことにこの解禁令を喜んでいない地元民も多いという。ジロン氏によると「それは禁断の味のする“1リットル”をひっそりと腕に抱えて製造者のところで買うほうが、スーパーで買うより趣があるからね」と語る。「禁断の味」がしなくなった今、どのくらい消費者が魅力を感じ続けるかは今後、判明するだろう。


swissinfo  屋山明乃(ややまあけの)

 <アブサンとは?>

- アブサンは薬草系の蒸留酒(リキュール)。成分はニガヨモギ、アニス、ウイキョウなど10種類の薬草をアルコールに浸したもの。

- 少し苦いため、グラスに入れたアブサンの上に角砂糖を穴のあるスプーンの上にのせ、上から水を垂らして飲む人もいる。通常、水を加えて飲む。水を入れると透明な緑色から乳白色に変化する。仏のパスティスやギリシアのウゾと似ているアニス系の味。

- 味がフランスのパスティス(pastis)に似ているのは、禁止になったアブサンに代わるものとして、毒性のあるニガヨモギを用いずアニスの成分が強いパスティス(仏語でpasticherは模倣するという意)が作られた。

- スイスでは1910年に製造禁止になり、今年の3月1日から1世紀ぶりに解禁された。

- 6月18日には恒例のアブサン祭りがヴァル・ド・トラヴェールで行われる。今年は解禁初の祭りでアブサンの試飲ができることが期待される。

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