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 「スイスは致命的なシグナルを世界に発信している」

「スイスは、あいまいで不的確、任意の解釈も可能なテロリズムの拡大定義が許容されるというシグナルを他の国々に発信している」 UN-Photo

スイスの新しい反テロ法は無実の人や子供を危険に陥れ、世界にとって危険な先例となる――人権保護に関する国連特別報告者のフィヌエラ・ニー・アオライン氏はこう批判する。

※この記事はスイスのオンラインマガジン「レプブリック」に掲載されたインタビュー記事外部リンクの転載・翻訳です。

レプブリック:このインタビューを行っている今日は911日。当時の米大統領ジョージ・W.ブッシュ氏がアメリカで発生した同時多発テロを受けて非常事態を宣言してから20年近くが経つ。その宣言は今現在も有効だ。つまり、非常事態は20年間続いている。これは法治国家にとって何を意味するのか?

フィヌエラ・ニー・アオライン:私たちは20年間、非常事態の平常化を体験している。それはアメリカという国家レベルだけの話ではない。9.11の同時多発テロは世界的なレベルでも、人権や法治国家をほとんど顧みないテロ対策の構造化を招いた。国連の状況も同じだ。

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スイス下院、テロ対策法強化可決

このコンテンツが公開されたのは、 スイス国民議会(下院)は16日、テロ対策として軍装備の増強案を可決した。国内外から「テロ行為の処罰を超え、単に意思を持つだけで処罰の対象となる可能性がある」との指摘が出ていた。

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レプブリック:国連は特定分野で人権や法治国家をあまり顧みていないのか?それはどういうことか?

ニー・アオライン:9.11の後、テロ対策委員会(CTC)という委員会が設けられた。国連安全保障理事会に付随する組織で、15人のメンバーも理事会とまったく同じ。理事会のコピーのようなものだ。9.11後、委員らは法治国家におけるテロ対策の改善に力を入れること、そしてCTCにその状況を報告することを義務付けられた。

各国から国連人権理事会に提出される報告は遅延や不足を伴うことが多いものの、それぞれの人権状況はきちんと説明されている。だが、CTCの方は提出された報告を公開していない。誰も閲覧することができない。CTCが目を通したら、それらの報告はその後、消えてしまうのだ。

一般市民やメディア、野党に対するテロ対策の悪用を非難された国がその中にあるのかどうかも分からない。分かっているのは、そしてこれは興味深い事実だが、機能障害に陥っているように見える安保理と異なり、CTCでは委員の意見が常に一致しているということだ。

レプブリック:それはどういうことか?

ニー・アオライン:これは「軽い人権」だ。各国、各委員会、ときには国連委員会までもが時おり、人権という概念をただ口にするだけで、不思議なことにそこではもう人権が尊重されているような気になってしまう。実際には、人権尊重の監視義務を負う機構は存在しない。「軽い人権」とは、透明性や具体的な機構で人権保護を本当に保証するのではなく、ただ話題にするだけで独り歩きする人権だ。

レプブリック:国連自体も重大な問題の一つと見なされているのか?

ニー・アオライン:問題は国連ではなく、その加盟国だ。加盟国は安保理を通じてCTCを作った。そして、これはテロ対策を定期的に審査する唯一の国連委員会だ。しかし、これは秘密の委員会でもある。これは奥の深い問題だ。私たちは2年前、この非常事態の平常化を9.11の影響と見なし、そこに焦点を当てた報告書を発表した。

例は山ほどある。トルコでクーデターが失敗に終わった後にエルドアン大統領が宣言した非常事態は、法律上では最終的に普通の状態となった。だが、そうなると、国家の根本的な慣行も変化する。つまり、非常事態法が常規の法律になるのだ。

エルドアン大統領は今でも非常事態だと言い、フランスはパリのテロ事件後に非常事態法を可決した。国家の緊急事態ゆえに種々の権利を制限する例外的な対策であることは、その法律名がすでに警告している。だが、このような法律は今日、普通の法律として可決されている。政府に並々ならぬ権力を与え、ゆえに期限付きの例外的な法律だと明確にすることなく。

このような有害な慣行は世界的な問題だ。そして、今回のパンデミックがそれをさらに悪化させた。と言うのも、多くの政府が現在、新型コロナウイルスの制御に諜報部や反テロ機関を利用しているからだ。

レプブリック:具体的にはどんなふうに?

ニー・アオライン:新型コロナウイルスの危機を乗り越えるにあたり、特別法を発布した国がいくつかあった。アイルランドやフランスもそうだ。公衆衛生が大きな危機に直面し、人々の行動の自由のみならず、言論の自由やプライバシー、経済の自由にいたるまで一時的に大幅な制限を加えるには、この非常事態法の発布が欠かせなかった。

あるいは、テロ対策として作った既存の法律をこの危機に利用した国もある。私たちは2つのNGOと一緒に追跡作業をスタートし、各国が行った種々の制限を記録した。そこで分かったことは、新型コロナウイルスを利用して、国が敷く民主制の許容範囲を長期にわたって大幅に制限した国が少なからずあったということだ。

レプブリック:その一例は?

ニー・アオライン:ハンガリーだ。パンデミックが始まると、ビクトル・オルバン首相は執行権力を構造化した。国の決定は必ず彼の事務局を通じて行うこととした。欧州評議会は、そのような形態は民主主義の原理と相いれないと強く批判したが。

暴力を終わらせることができるのは、法治国家が持つ手段でテロリズムを撲滅するときだけ。

レプブリック:国連のテロ撲滅戦略は4つの柱を中心としている。その中の1つは、すべての人権が尊重され、法治国家に根本的な基礎をきちんと築かせることだ。しかし、民主主義はそもそもテロ対策の中で人権を守ることができるのか、守ろうとするのか?オープン・カフェに座る私たちをなぎ倒すような人間に公正な耳を貸すことなどできないと言う人に対して、どんな答えを返すのか?

ニー・アオライン:私は何十年も武力闘争が渦巻いた北アイルランドで育った。日常の暴力や不安は抽象的な脅威ではなく、現実の生活だった。私はそんな中で育った人間として話をする。だが、ここできっぱりと言っておきたいのだが、とりわけ人権が効果的な対テロ対策を阻んでいると主張する人々に言いたいのだが、暴力を終わらせることができるのは、法治国家が持つ手段でテロリズムを撲滅するときだけだ。

テロ撲滅の闘いの中で法を破り、人権を軽んじれば、勝つことのできない無限の闘いに足を踏み入れることになる。このような抗争における国家の違反がどれほど有害であるかは、無数の研究や評価の示すところだ。それらはすべて、当時国の違犯がときに、絶対に終わることのない暴力のスパイラルを、つまり武装グループとの激しい争いにもつながる無数の抗争を長引かせるばかりか、正真正銘の大砲撃にまで至らせることを示している。

レプブリック:つまり、保安という観点から見ても、人権や法治主義を無視するのは軽はずみだということか?

ニー・アオライン:今日、テロ撲滅の闘いの中で特に大きな問題となっているのが当時国による人権侵害であることは疑いのない事実だ。となると、保安の観点から見ても、人権侵害を甘受したり、それに関与したりするのはやはり非常に単眼的であり、このような行動は火に油を注ぐだけだ。

フィヌエラ・ニー・アオライン氏は弁護士であり、主に人権を専門とする法学部教授でもある。現在は米ミネアポリスと北アイルランドのアルスターで教鞭をとる。北アイルランド紛争中の国家機関による殺人事件を調査した「The Politics of Force(暴力という政策)」など著書多数。

2003年、北アイルランドで育ったニー・アオライン氏を国連事務総長が紛争と和平プロセスにおける男女公平問題の特別報告者に任命。

その後、国連で女性の平等とエンパワーメントに関する顧問を、また国連人権高等弁務官事務所が行った紛争中の性的暴力の弁償に関する調査の顧問を務める。

2017年、国連人権理事会が、ニー・アオライン氏をテロ対策における人権と基本的自由の保護に関する特別報告者に任命。

レプブリック:暴力のスパイラルを打ち破るには、国は現行の法律を守らなければならないというのがあなたの主張だ。一方で、CIA長官であるジーナ・ハスペルという女性は、拷問が行われている刑務所をタイで運営したことがあるにもかかわらず、これまで道徳的な責任をを一切感じていない。これは周知の事実だ。拷問をしても刑務所に送られるわけではなく、逆に世界最強の国で出世しているというのは、いったいどういうことなのか?

ニー・アオライン:アカデミストとして、私はとりわけ明白に、拷問制度の責任者をそのような役職に任命するのはあるべき法治国家の姿と相反すると繰り返し強調してきた。そして、そうしたときに世界中の政府に対して発信する唯一のメッセージは、「狩りの季節だ。拷問は許される。その責任を負うことはない」ということに尽きることも。

だが、私は多くの国家との対話も続けている。拷問を行ってきた人間がその犯罪の責任を負わず、逆に昇進できるという事実に驚がくする人は少なくない。ジーナ・ハスペル氏は拷問の責任を負っている。このことを絶えず思い起こさせるのが私たちの役目だ。そして、権利と法律の息は長いと自覚することも。グアテマラやアルゼンチンでは、拷問の責任が追及されるまで20年も30年もかかった。だが、責任は追及された。

そしてまた、私を根本的な真髄へと連れ戻してくれる事実がある。それは、法に優る人間はいないということだ。アメリカでも法が人間の責任を問うようになる日が来る可能性を絶対に諦めたくない。たとえ、その人間がどんなに高い地位にいようとも。

レプブリック:それまでどうするのか?

ニー・アオライン:それまで、このような価値観を信じてそれを促進し、人権が尊重されれば自国の社会がより安全でよりしっかりと保護されると確信している国々とともに働きかけ続ける。私は国連から委託されている枠内で、警察、軍、保安機関など、非常に多くの情報機関と関わっている。その中の多くは、人権を軽んじる政治的な決定が逆効果であることを理解している。

また、安全と人権の二つはまったく関連性がないわけではないと考えている人も多い。よく一致する考えは、安全と人権尊重は切っても切り離せない関係で、互いに作用しあっているということだ。

100%の安全を求めているのではない。そのような完全な安全は、すべての権利を放棄しなければ得られないからだ。

レプブリック:それでも、この領域の法律が強化されるときには、必ずと言ってよいほど議会の賛同が得られているようだ。スイスも同様であり、法治国家はテロリズムに勝てないという思いが社会の中に潜んでいるようだが。

ニー・アオライン:そのような感情は新しいものではなく、そのため物事を正しい方向に持って行くことができない。イスラエルの元検事総長で最高裁長官も務めたアハロン・バラク氏は、民主主義の大きな挑戦を「片手を後ろ手に縛られて闘わなければならないこと」と表現した。

そしてまた、「法治国家が義務とする民主制は、ルールを疎んじる者に対して不利」というのが当事国の感じ方だとも述べている。最終的に大事なポイントは、両者が同じ手段で闘っているのではないということだ、と。違いは一つしかない。そして、言論の自由を求め、集会を求め、プライバシーを求める社会として、この違いを強調することこそが大事なのだ、と。つまり、私たちは100%の安全を求めているのではない。そのような完全な安全は、すべての権利を放棄しなければ得られないからだ。

レプブリック:それは、コロナが席巻する今の時代に何を意味するのか?

ニー・アオライン:このコロナ時代において私たちの社会の不満の元となっている主な問題の一つは、引き締めと、市民が満足出来るきちんとした生活を送る権利との間のバランスを取ることだ。国際法にははっきりとこう書かれている。「極端な異常事態においては、短期間、市民の権利を制限するべきである」。肝心なことは、それもいつかは終わらなければならないということだ。

この法律はテロリズムの定義を変えている。これは非常に根本的なことであり、深刻なことだ。

レプブリック:国連は5月に初めて、スイスが計画しているテロ撲滅に向けた法の強化を激しく批判した。このインタビューを行っている今日、あなたと国連は、このテロ対策に合意しないよう、スイスの連邦議員に改めて警告を発した。批判は厳しく、かつ明白だ。「スイスの反テロ法は、テロリズムの定義を拡大しており人権の国際水準に違(たが)う。これは政敵の抑圧という、世界的に危険な先例となりうる」。あなたはなぜ、この法律が定めるテロ対策をそれほどまでに問題視するのか?

ニー・アオライン:この法律はテロリズムの定義を変えている。人権、法治国家、そして世界情勢に目を向けたとき、このことは非常に根本的であり、深刻でもある。だが、ほかにもとても懸念される点がある。例えば、この法律が子供まで対象にしていることだ。しかし、核心はやはりテロリズムという概念の新しい定義づけだ。これは国際法の合意から逸れ、誤解の恐れのない通常の明白なひな型からかけ離れている。このようなテロリズムの定義は、政敵を抑えつけるために権威国家に利用されるだろう。

レプブリック:具体的にはどう違うのか?

ニー・アオライン:テロリズムは、スイスではもう重大な犯罪と結び付けられなくなる。それに代わるのが、危険人物や潜在的テロリストと名付けられる人物だ。文面からして、問題となるのはもはやテロ行為ではなく、潜在的な危険というものにすり替わっている。危険人物というのはあいまいな概念だ。悪用し放題であり、法的には非常に問題だ。スイスの法律はさらに、このような潜在的な危険を裁判で裁くのではなく、連邦警察の判断に任せようとしている。そうなると、さらに問題が深まる。

権威国家ではこれが何を意味することになるのか、想像してみて欲しい。そして、これらすべてが子供も対象とする行政措置と結びついているのだ。罪を犯してもいないのに、子供の行動の自由を極端に制限する対策だ。これは間違いなく欧州人権条約の第5条に反する。だが、これは問題のごく一部に過ぎない。

レプブリック:残りの問題とは?

ニー・アオライン:スイスは民主主義国家だ。それも、単なる民主主義ではない。スイス人であるあなたは、時おりそのことを忘れてしまうのかもしれないが。スイスは、他の国々がテロ撲滅という隠れみのをかぶって権力を悪用したときの問責において、伝統的に重要な国家の一つと見なされてきた。今スイスが発信しているシグナルは、これに矛盾するものだ。スイスは他の国々に対し、あいまいで不的確、任意の解釈も可能なテロリズムの拡大定義を許容し、それを合法だとするシグナルを送っている。このようなシグナルがスイスから送られるという状況を、決して甘く見てはならない。

それに、これは非常に危険なことでもある。歴史を振り返れば、これが権威主義の足場を固めるものであることが分かる。国家による反テロ法の悪用は繰り返し発生している。ゆえに、正確で狭義の法に適したテロリズムの定義を伝統的に最前線で守ってきたスイスが致命的なシグナルを世界に発信していることを、私たちは非常に危惧しているのだ。

テロリズムを非常に曖昧に解釈することによって、スイスは間接的に悪用を認めることになった。

レプブリック:世界のどこに?

ニー・アオライン:香港を見て欲しい。中国は今や、香港政府を批判する人間をすべてテロリストと見なしたり、反テロ対策を用いて迫害したりしている。ここでは明らかに、テロリズムという概念のあいまいな解釈は許されない。サウジアラビアでは車を運転する権利を得ようとした女性活動家を拘置するために反テロ法が利用された。トルコでは、弁護士や教授、ジャーナリスト、人権活動家などがテロリズムという非難の元に拘留されている。

このようなことが起こり得るのは、テロリズムという概念がもはや重大な暴力行為と結び付けられなくなり、ほぼすべてを意味するようになったからだ。スイスは今や、自らテロリズムを非常にあいまいに解釈することによって、このような悪用を間接的に認めることになった。エジプトでも最近、人権弁護士のバヘイ・エルディン・ハッサン氏が政府を批判し、反テロ裁判によって15年の禁固刑を言い渡されている。

レプブリック:どんな批判をしたのか?

ニー・アオライン:あいまいな表現の反テロ法を野党の無力化に悪用したという批判だった。

テロ撲滅活動で警察が執り行う処分について定める連邦法は、「テロの危険のある人物」に対する予防措置を焦点としている。「テロの危険のある人物」は、危険が予測されるものの、刑法にはまだ触れていない人物を指す。この新しい法律により、警察はこのような人物に対して接触や出国の禁止、あるいは自宅軟禁を言い渡すことができる。自宅軟禁は15歳以上、それ以外のすべての措置は12歳以上の子供にも適用される。

レプブリック:9.11以降、西洋ではテロ対策がほぼ無限に拡大され、法律が極度に強化され、テロリズムとの戦いがいくつも繰り広げられた。20年後の世界は安全なのか?

ニー・アオライン:それは重要な問いかけだ。9.11以降に講じられたそれらすべての対策は、私たちをより自由に、より安全にしたのか?私が受け負っている委託内容から見ると、この問いかけにははっきりと「イエス」と答えられる。私たちは、イスラム国(IS)という重大な人権侵害を犯した暴力的で強大な非国家主体の隆盛を見てきた。私たちはまた、もう一つの重大な組織的人権侵害であるグアンタナモ基地も見てきた。非合法の組織的な引き渡しや拉致、組織的な拷問、水責めなどが行われた場所だ。

グアンタナモは今も存在する。私は2017年に弁護士としてそこを訪れた。人々が法的根拠のないままそこに拘留され、拷問や屈辱的な扱いにさらされている様子を我が目で見た。同時に保安機関が爆発的に巨大化し、公民権が制限された。そういう意味での答えは「ノー」だ。私には、暴力や過激化の防止がテロ撲滅の目的だというふうに今でも念頭に置かれているのかどうか、分からないからだ。それどころか、そもそもそれが目的であるのかすらも不確かなほどだ。

レプブリック:コロンビア大学でジャーナリズムの教授を務め、雑誌「ニューヨーカー」の編集員も務めるジェラニ・コブ氏は、9.11記念日に次のようにツイートした。「2001911日の出来事が私たちを現在の混沌へとまっすぐに連れ出して行った様子を綴れば、きっと上等の本になるだろう」

ニー・アオライン:9.11は私たちの上に長い影を落とした。9.11によって国連は新しい反テロ構造を作ることになり、それが組織全体の整合性やバランスに重大な影響を及ぼした。以来、国連の中ではテロ撲滅が並外れて巨大な役割を占めているが、これは9.11が世界に残した遺留品だ。これには、人権という役割が当該分野の関係部署間でうまく統合されていないことにも関係している。

もう一つの遺留品は国家レベルのもので、テロ対策の適用が激増したことだ。これは民主主義国家にも見られる現象だ。そして、今ここで取り上げているスイスの法律も9.11の遺留品の一つだ。テロ撲滅に向けた新法を求め、議会に非常に強い圧力がかかるようになったことが原因だが、そのような法律は単眼的で非効率的であることが多い。

レプブリック:9.11が人々に喚起したことは?

ニー・アオライン:9.11のみでなく、ロンドンの爆破事件やマドリッドの襲撃事件、パリやブリュッセルで起こった恐ろしい出来事もまた、人々を不安のどん底に陥れた。このような不安から、多くの人々は自分たちを本当に守ってくれる手段が法治国家にあるのかどうか分からなくなっている。

そして、今日最大の難題はおそらく、このような恐ろしい出来事を体験してきたことにより、「私たちが感じている不安はいかなる手段も正当化して当たり前」と社会が考えるようになってしまったことだ。そしてまた、いくら法の強化を切実に求め、社会の軍事化を図っても、私たちがより自由に、より安全になることはないということをこの社会に再び納得させることも。

レプブリック:代替策はないのか?

ニー・アオライン:安全を持続させる唯一の方法は、非常に古臭い法治国家、人権の擁護だ。私たちを襲う暴力の根源がどこにあるのかを探し出さなくてはならない。北アイルランドはこのことを学んだ。学ばなくてはならなかったのだ。それは長い道のりだった。だが、最後に私たちを暴力から解き放ったのは、軍備の拡張や法律の強化ではなく、長い長いプロセスという根底の上に成り立った和平合意だった。

その際一緒になって働きかけたのは、恐ろしい暴力を受けていた多くの共同体だった。こうして暴力の根底にあるものを一歩ずつ把握し、理解していった。それから、話し合った。そんなふうなやり方で、30年間のテロの後にようやく効果が現れたのだ。

(独語からの翻訳・小山千早)

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