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性の多様性 ― LGBTIQを語る 「僕は男でもあり女でもある」 インターセックスに生まれて

インターセックスについて話すエドワルドさん

エドワルドさんがインターセックスだと医師から診断されるまでには長い時間がかかった

(Thomas Kern/swissinfo.ch)

ジュネーブ在住のエドワルドさん(33歳)がインターセックス(性分化疾患)の診断を下されたのは16歳の時。この告知は彼の人生を大きく変えた。「悪夢のような年月」の後、ようやく自分自身を受け入れることを学んだエドワルドさん。ただし、周囲の理解はまだ十分とは言いがたい。医師たちにもっと真剣に向き合ってほしかったという思いも強い。

 男性と女性。憎しみと愛。情熱と絶望。これら両極端の間を行き来するエドワルドさん。そのパーソナリティは会う人に鮮烈な印象を与える。自分を「あまりにも繊細で頑固」と評するエドワルドさんが、人と違うあり方を認めたがらない社会で、理解を得るためどのように戦ってきたかを語った。

LGBTIQとは 女性同性愛者(Lesbian)、男性同性愛者(Gay)、両性愛者(Bisexual)、トランスジェンダー(Transgender)、インターセクシャル(Intersexual)、クィア(Queer:広く性的マイノリティを表す)の英語の頭文字を並べた言葉。またこの他にも性的指向や性別の多様性を定義する他の表現も生まれてきている。

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 心地よく整えられたリビングルーム。レマン湖畔に広がるジュネーブ市の眺めが美しい。この部屋と、タトゥーやピアスを身に付け母ケイトさんと並んで座るエドワルドさんの姿は対照的だ。彼の背後の壁には祖先のモノクロ写真が飾られている。まるで祖先たちも、エドワルドさんがこれから語る紆余曲折の物語に耳を傾けているかのようだ。

 「あなたはミュータントだ。子どもも持てないし普通の人生も送れないだろう」。エドワルドさんにインターセックスの診断を下した医師はこう言った。当時エドワルドさんは16歳、診察室には医師と2人きりだった。

 彼は32歳になった今もこの宣告が忘れられない。彼を支えも守りもしてくれなかった医療への憎しみで、話し声がかすかにうわずる。自分は助けを必要とする年若い患者ではなく、医学上の珍例として扱われている。本人にも母親にもそう感じられた。

女性化する体

 1984年、エドワルドさんが生まれた時には、性的発達が通常と違うことを示唆するような兆候は何もなかった。しかし、彼の母親は「最初から他の子とは違う」と感じていた。暴れん坊だった彼の学校生活はひどいものだった。問題は早くも幼稚園時代に始まり、「10歳で注意欠如・多動性障害(ADHD)と診断された」(ケイトさん)。その後二つの小学校を放校となり、私立の寄宿学校に送られることになった。

 事態がさらに深刻化したのは彼が12歳の頃。他の子どもと同じように彼の体も成長期を迎えた。じきに友達と同じように声変わりしヒゲが生え、大人の男性の体になって行くだろう。普通にそう考えていたエドワルドさんだったが、そんなことは何一つ起こらない。それどころか、体は逆の方向に発達し始める。「腰は女性らしく変わり、乳房も育ち始めた」(エドワルドさん)。少年にとってはトラウマとなるに十分な出来事だった。「寄宿舎では他の生徒に混じってシャワーすることを拒否した。自分が男だとも女だとも感じられなかった。自分は無だと感じた」

 「汚らわしいホモ野郎」。そんな心ない言葉が不安に拍車をかけた。今のエドワルドさんならばこのような悪口を許しはしない。それはゲイの友人たちに対する侮辱というだけでなく、インターセックスに対する無理解の印でもあるからだ。「セックスという語が含まれているためにゲイだと誤解される。インターセックスは性的指向とはなんの関係もないのに」。そう語る彼の声はだんだん高くなり叫び声に近くなる。しかし、しばらくして気を取り直すと「すみません。でもこの点は本当に大事なので絶対に理解してもらいたくて」と弁明した。

 「テストステロンなしでは僕は精神的には10歳並みだった。後先考えずにブチ切れた。限度というものをまったく知らなかった」(エドワルドさん)

悪夢の長い年月

 彼が16歳の時、ようやく性染色体の異常によって発症する「クラインフェルター症候群」の診断が下りた。男性の性染色体は普通XYだが、エドワルドさんはXXYと、X染色体を一つ余分に持っていたのだ。このため彼の体内では性ホルモンであるテストステロンが皆無かあるいはほんの微量しか生産されず、第二次性徴が起こらなかったのである。

 医者は、月1回のホルモン注射治療を指示した。「この注射はひどく痛い。背中の下部に打つのだが、液体は油性なのでゆっくりとしか注入できず時間がかかる。注射をすると、その日1日あるいは夜いっぱい行動することができなかった」

 こういった副作用を抑えるため、医師は注射の代わりにテープを使うことにした。この方法は楽だが、効果が低い。「治療効果がまったく感じられなかった。それに加え、僕のことを良く理解しありのままで受け入れてくれる女の子と知り合った。彼女に、テストステロンなど必要ないと言われた」。エドワルドさんは彼女の説得を受け入れ、治療を中断した。それが悲惨な時期の始まりだった。

 16歳から23歳にかけ、彼は深刻なアイデンティティの危機を経験した。「テストステロンなしでは僕は精神的には10歳並みだった。後先考えずにブチ切れた。限度というものをまったく知らなかった」とエドワルドさんは振り返る。自信の欠如が不安や攻撃性と結びつき、「どこから手をつけていいかわからないほど多くの問題が起きた」。彼は憎しみの感情に翻弄されていた。「みんなが敵だった。自分の母親でさえも。でもこの憎しみのおかげで僕は生き続けることができたのだ」

自転車に乗るエドワルドさん。左腕にはXXYのタトゥーを入れた

自転車に乗るエドワルドさん。自転車とタトゥーは、アイデンティティーを形成する助けになった

(Natasha Carrion)

「ママ、僕は何者なの?」

 憎しみを生きる原動力とするようになったエドワルドさんは孤立する。周囲との間には深い溝が生まれた。「その悪夢は何年も続いた。エドワルドは自分が何者なのか分からなくなってしまっていた。女の子の服を着て『ママ、僕は誰なの?』と私に聞きに来ることもあった」とケイトさんは思い出す。彼女は母親として孤独感や無力感にさいなまされていたが、医師や精神科医からサポートを得ることは叶わなかった。彼らはエドワルドさんの症状を精神的な病という観点から解明しようと、無駄な努力をしていたのだ。「死んでしまいたいと繰り返す子どもにどれだけハラハラさせられるか」と、ケイトさんは目を潤ませながら語る。

 絶望しながらも彼女は自らインターセックスについて情報を探し始めた。調べを進めるうちに、他とは異なる子どもを持つ母親の体験について論文を書こうと決心する。そして、テストステロンの不足が男性の精神状態に及ぼす影響を知り、息子にホルモン療法を再開させなければと確信するに至った。「話し合いを繰り返し、泣いたり叫んだりしたあげく、とうとう僕もそれに同意した。特に(テストステロン不足により)骨粗鬆症のリスクが高まるという点が決め手となった」(エドワルドさん)

23歳で訪れた第二次性徴

 それが一種の解放をもたらした。テストステロン投与のおかげで23歳になった彼に第二次性徴が訪れたのだ。体が変化した。首筋や肩の筋肉が発達し、声も低くなった。何よりも、一定の心の平静と落ち着きを取り戻すことができた。「心がとても軽くなった」と、エドワルドさん。「この時期に僕は大人になったのだ」。それは母親にとっても救いを意味した。「性ホルモンには認知能力を発達させる働きもある。そのおかげで、エドワルドは自分の行動がどんな結果を引き起こすのかも理解するようになった」

 試行錯誤の長い年月を通じ、エドワルドさんと母親の絆は強まった。2人はいろんな意味で他とは違う子どもとその母親の支援を目指し、SAMED他のサイトへという組織を立ち上げる。「僕の物語は彼らの物語でもある。僕らはこういった物語のおかげで強くなれたのだ」(エドワルドさん)

未知数の将来

 将来について質問をすると、エドワルドさんは「僕には将来がない」と言い切った。クラインフェルター症候群の症状の一つに無精子症がある。エドワルドさんにとってこの問題は大きい。「女性との関係がうまくいかないのは、僕に子どもができないのが原因ではないだろうか」。それゆえ彼は、コスタリカ旅行という夢に逃避し、写真に没頭する。

 彼の腕にはXXYというアルファベット3文字のタトゥーがある。インターセクシャルである自分を受け入れたという印なのだ。今ではインターセクシャルであることにいくつかの利点すら見出している。「決断の下し方や自分の体に男女両面性を感じる。重要な決定は女性の面が影響を与え、弱点には自分の体すなわち男性の面が影響している」。彼は今、「フィクシー」というブレーキがない、固定ギアのシティバイクに夢中だ。そんな時、彼の心はとりわけ平和で落ち着いている。

 「タトゥーのおかげで自分の体を受け入れることができ、自転車のおかげで感情をコントロールできている」

インターセックス 手術がもたらす大きな影響

スイスでは性別のはっきりしない子どもたちが毎年約40人生まれている。出生からしばらく経って性別が分かることもある。

生命を救うために緊急の医療的措置が必要な場合もあるが、治療を行う正当性がない場合もある。

過去には性別の判然としない子どもたちに対し、ただちに外科手術を行うケースが多かった。場合によっては親の同意も取らず、修復不可能な影響を後に残すこともあった。

1990年代以降実施されたさまざまな調査により、早期に手術を受けた子どもたちが大人になってから身体的・精神的な症状に悩まされていたことが明らかになった。医師たちの意識には変化が見られるものの、この問題を規制する法律は存在しない。

一方で、人間医学分野において倫理的観点から審議を行う倫理委員会(NEK)がこの件を取り上げ、報告書を発表した。それを受けてスイス政府も2016年、時期尚早あるいは回避可能な手術の実施は、身体の完全性に関する権利を侵害するものであり、修復不可能な治療については子供が自分自身で決定できる年齢に達するまで、できるだけ保留すべきとの見解を示している。

(出典:sda)

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(独語からの翻訳・フュレマン直美)

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