独占インタビュー(第2話) フィギュアスケート ステファン・ランビエールが振り返るスケート人生 ~ 選手生活とキャリア移行期の苦悩と挑戦

「その芸術性に惹かれて」7歳の時から始めたスケート。「スケートのことを考えなかった日は1日もない」とステファン・ランビエールは話す。「ここは私が最初の一歩を踏みだし、成長した場所だ」と話すスケート場で、子供の頃の思い出や引退を決心するまでの選手としての人生を、懐かしみながら振り返る。

 スケートを始めたのは7歳のとき。マイケル・ジャクソンの音楽、踊り、個性が大好きで憧れ、家では何時間も踊りを真似ては、「マイケル・ジャクソンのことしか頭にない」頃だった。その頃、母親は何かスポーツをさせたいと考えていた。テレビでスケート・ショーを見てその音楽、衣装、振り付けの感性に惹かれ、アイスショー『オペラ座の怪人』に大感動したのがきっかけで、「エレガントなスポーツをやりたい」と思ったランビエールは、「その芸術性に惹かれて」姉が習っていたスケートを選んだ。アイスホッケーのような団体スポーツ競技には興味が持てなかったという。「後に、ダンスをやりたくなったが母が反対し、スケートを続けることになった。でも、ダンスが大好き」とも語る。

 スケートの練習は、学校が終わった後に地元スイス・ヴァレー州のヴィラール・スケート場で行い、週末はジュネーブへ行きホームステイをしながら泊りがけで練習に取り組んだ。ポルトガル人の母親は、地元のスケート場で練習する時、入り口そばにあるカフェからランビエールが滑る様子をうかがい、いつも見守ってくれた。7歳の時に自分の楽しみのために始めたスケートだったが、厳しい規律に沿った練習が始まった10歳頃から意欲が薄れることもあった。だが両親が励まし、後押ししてくれたおかげでスケートを続けることができ、14歳、15歳の時に「スケートが、自分のやりたいことだと確信した」という。

 ランビエールにとって約10年に渡る競技生活は、「人生で素晴らしい時で、とても楽しい時」だったと振り返る。だが、左内転筋を負傷して最初の引退を決意するまでの間は、「ケガが原因で目標を定めて練習することができず、本当に辛い時期だった」と、当時の心境を語る。

 また、自身が創設したスイスのスケート学校で、今は自分が教えるという立場に立ち、「自分の経験と知識を共有することを嬉しく感じている」と言う。今シーズンは初めて世界選手のコーチを務め、平昌オリンピック出場を目指すデニス・ヴァシリエフス選手(ラトビア)を指導している。

*次回は、コーチとして活動しているステファン・ランビエールの新しいプロ生活の様子をご紹介します。記事はこちら他のサイトへ

ステファン・ランビエールStéphane Lambiel) 

1985年4月2日、スイスのヴァレー州マルティニに生まれる。
7歳からスケートを始める。
2005年、世界フィギュアスケート選手権で1位。
2006年2月、トリノ冬季オリンピックで銀メダル。3月、カルガリーでの世界フィギュアスケート選手権で1位。2007年、世界フィギュアスケート選手権で3位。
2008年、ザグレブでのヨーロッパ選手権で2位。
2008年10月、左内転筋の負傷のため、競技生活に終止符を打つと宣言。
2009年1月、プロ宣言後初めて「アート・オン・アイス」に出演。
2010年1月、バンクーバーオリンピックを目指し再び競技生活に戻った後、エストニアでのヨーロッパ選手権で2位。2月、バンクーバーオリンピックでは、4位。3月、再び引退を表明。
2014年、ヴァレー州シャンペリにスイス・スケート学校を創設。
2016年8月からデニス・ヴァシリエフスのコーチを務める。

現在、さまざまなショーに出演しながら、振り付けなど新しいチャレンジをしている。技術面もさることながら、アーティスティックな表現は評価が高く「リンク上のプリンス」と呼ばれている。

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