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スイス最古のコレクションから生まれる未来の博物館

ジュネーブ美術・歴史博物館のマーク・オリヴィエ・ウォーラー館長は、博物館のロッカールームを展示スペースの中央に設置した
ジュネーブ美術・歴史博物館のマーク・オリヴィエ・ウォーラー館長は、博物館のロッカールームを展示スペースの中央に設置した Eduardo Simantob/swissinfo.ch

ジュネーブ美術・歴史博物館(Musée d’Art et Histoire)のディレクター(館長)を務めるマーク・オリヴィエ・ウォーラー氏は、想像力豊かなキュレーターであり美術評論家でもある。博物館の四方の壁を超える大胆な試みについて、そして未来の博物館像がなぜアフリカやアジアから生まれると考えるのかを語る。

博物館の現在のスタイルは、大衆を啓蒙するために百科事典を刊行する動きなどと共に目覚めた、啓蒙思想の中で生まれたものだ。それから200年の間、西洋の博物館は、植民地・帝国主義の時代に世界中から集められた略奪品の保管場所にもなってきた。2世紀の間、美術品や工芸品の展示・分類方法はほぼ変わっていない。

新世代のキュレーターや博物館のディレクターは、こうした時代遅れのコンセプトに果敢に挑んでいる。美術品の原産国返還をめぐる議論を通し、植民地時代の遺産を元に戻そうとしているだけではなく、21世紀の博物館がどのように機能すべきかを問いかけている。

ウォーラー氏もそうした「ラディカルなキュレーター」の1人だ。そのキャリアを通して多くの実験的な試みを実践しながら、「アートスペースの在り方とは?」「あるオブジェを芸術たらしめるものは何か?」という、2つの重要な疑問(あるいは彼が言うところの『強迫観念』)への答えを模索し続けてきた。

ウォーラー氏は06~12年の間、パリで最も有名な現代アート拠点であるパレ・ド・トーキョーの館長を2度務めた後、ジュネーブ美術・歴史博物館の館長を引き継いだ。1776年からスイス最古の美術品や工芸品、考古学的オブジェを所蔵する同博物館をswissinfo.chが訪れ、現代アートと博物館の未来についてじっくりと話を聞いた。

第1次世界大戦で負傷した兵士のために義肢やマスクを作成した彫刻家、アンナ・コールマン・ラッドの作品から着想を得てクネーブル氏がデザインした義肢を装着した、古代ギリシャ像「水浴するアフロディーテ」(紀元前4世紀) 
マーク・オリヴィエ・ウォーラー氏は、国際美術展「ウィーン・ビエンナーレ」でオーストリアを代表するウィーンのアーティスト兼デザイナー、ヤコブ・レナ・クネーブル氏を招き、博物館コレクションのオブジェと新しい作品を対話させるユニークな展示を企画した。写真は、第1次世界大戦で負傷した兵士のために義肢やマスクを作成した彫刻家、アンナ・コールマン・ラッドの作品から着想を得てクネーブル氏がデザインした義肢を装着した、古代ギリシャ像「水浴するアフロディーテ」(紀元前4世紀) Eduardo Simantob/swissinfo.ch

swissinfo.ch:コレクションを持たないアート空間であるパレ・ド・トーキョーを経て、現在は膨大なコレクションを持つ伝統的なスイスの博物館を指揮されています。これまでのキャリアとの「決裂」を意味しますか?

マーク・オリヴィエ・ウォーラー:「継続」です。パレ・ド・トーキョーでは水平的なレベル、つまりアーティストや創作、革新とダイレクトにハイスピードで仕事をします。ですが博物館のようにコレクションを扱う場合、水平方向、垂直方向の両方を軸にしながら仕事をすることができます。同館では現代アートに焦点を当てると同時に、コレクションをベースにして展示を企画できるのです。

私は、今日の芸術機関をどう定義すべきかと自問し続けています。1995年に、「How can we inhabit an art venue?(仮題:アート会場はどう存在するべきか?)」という記事を執筆しました。この問いが、ヌーシャテル芸術センター(CAN)を運営していたころから私が行ってきた全てのことの基礎になっているのです。CANでは、カフェレストランに入って裏口の階段を上がるとアート会場に着くようになっていました。

博物館のコレクションの中からヤコブ・レナ・クネーブル氏が見つけたビクトリア朝のドレスは、19世紀の「研究と不確実性の時代」に誕生したスピリチュアリズム運動(心霊主義)を思い起こさせた
カトリック諸州と手を組んだサヴォイア家に対抗し1584年、ジュネーブ州はこの木製テーブルの上で、プロテスタント州のベルン州及びチューリヒ州と同盟を結んだ。博物館のコレクションの中からヤコブ・レナ・クネーブル氏が見つけたビクトリア朝のドレスは、19世紀の「研究と不確実性の時代」に誕生したスピリチュアリズム運動(心霊主義)を思い起こさせた Eduardo Simantob/swissinfo.ch

swissinfo.ch:どのようなタイプの鑑賞者を求めていますか?

ウォーラー:私の中心には、「人々はなぜこの場所に来るのか」という問いがあります。芸術に興味がある人や、幸運にも両親からアート会場や美術館に連れて行ってもらった経験のある人には、その答えは明らかですが、大半の人はそういった経験がない。なのになぜ美術館に来るのか?私も同じ疑問に直面しました。私は芸術に関心のある家庭に生まれたわけでもなく、これまで出会ったもの全てが偶然でした。私が若いころのヌーシャテルには、現代アートシーンはなかった。だからこそ私は、人々がアートに出会える機会を作る時、このようなセレンディピティ(予期せぬ発見や幸運を手に入れる力)を大切にしているのです。

07年か08年に英紙ガーディアンがパリ特集を企画してガイドと評価をしたのですが、その中でパレ・ド・トーキョーが1位に選ばれました。私は、「なんだって?先鋭的な展覧会を企画しようとしているのに、このような反応があるなんて!(笑)」と思ったものです。ですが後から、「パレ・ド・トーキョーに行って恋に落ちるのも素晴らしいことじゃないか。その展覧会はその人の記憶を永遠に刻むだろう!」と思い改めたのです。

古代ギリシャのものから1970年代の壁紙デザインまで、様々な時代のキッチンをテーマにしたインスタレーション
古代ギリシャのものから1970年代の壁紙デザインまで、様々な時代のキッチンをテーマにしたインスタレーション Eduardo Simantob/swissinfo.ch

swissinfo.ch:ではジュネーブで恋に落ちてもらうにはどうしますか?

ウォーラー:博物館にある全てのものが、かつては現代美術であったことを見せることができれば、それは人や時代をつなぎ、現代アートよりもはるかに幅広い何かを構築する方法になります。

ジュネーブ美術・歴史博物館には、工芸品の他にも、時計製造や貨幣、応用美術などがあります。それらは芸術家と呼ばれる人ではなく、クリエイティブな心を持った職人が手掛けたものかもしれません。私の中では、創造性のある職人と芸術家の間に違いはありません。

swissinfo.ch:古くから存在する、現在進行形の質問なのですが、工芸品やオブジェをどのように芸術的観点から評価するのですか?

ウォーラー:それは特にフランスの革新的芸術家、マルセル・デュシャン以降、多くの哲学者が取り組んできた問題です。ですが誰も真の答えを出すことができていません。

私はパレ・ド・トーキョーでの仕事を終えた後、同じくらいワクワクし、挑戦したいと思えるような芸術機関を見つけられませんでした。「シャレー・ソサエティ(Chalet Society)」を作ろうと思ったのはそのためです。この空間は一種の学校のようなもので、私がアウトサイダーのアーティストと一緒に実験的なことができる、親密な空間でした。

ディレクターのウォーラー氏のオフィス。レッド・ツェッペリン、野球ヘルメット、フランスの灰皿などが見える
ディレクターのウォーラー氏のオフィス。レッド・ツェッペリン、野球ヘルメット、フランスの灰皿などが見える swissinfo.ch

そこでは、キリスト教修道会や分派が弟子用のプロパガンダとして制作し、アーティストのジム・ショーが所有していた教育的なオブジェのコレクションを展示しました。一見すると、アートには見えないようなものばかりですが、ジムが選んだのは画家や製図者、デザイナー、写真家など、非常に才能のあるアーティストの作品でした。アートにも見えなければ、普通のオブジェにも見えない、そんな中間的な存在のオブジェたちでした。

もしもそれらのオブジェがパレ・ド・トーキョーに展示されていたら、それは即座にアートとみなされたことでしょう。会場に足を踏み入れた途端、「ここであなたが見ようとしているのものはアートですよ」と語りかける、何か権威的な存在を感じるからです。ですが、シャレー・ソサエティは芸術機関とみなされていなかったので、普通のオブジェとアート作品の間にある緊張を感じることができたのです。

swissinfo.ch:あなたが、作品「泉」(編注:便器を噴水に見立てた作品)で芸術作品を批判したデュシャンに言及するのはそのためですね。

ウォーラー:それがデュシャンが達成しようとしていたことでした。1917年、何の変哲もないものを芸術作品に変えることはとても簡単でした。

歌川国貞(1786-1865)の描いた「菖蒲湯の湯を運ぶ女中」に囲まれてシャワーを浴びるアントニオ・カノーヴァ(1757-1822)作の「ヴェヌスイタリカ(Venus Italica)」
歌川国貞(1786-1865)の描いた「菖蒲湯の湯を運ぶ女中」に囲まれてシャワーを浴びるアントニオ・カノーヴァ(1757-1822)作の「ヴェヌスイタリカ(Venus Italica)」 Eduardo Simantob/swissinfo.ch

芸術には良いものと悪いものがあって、それが良いか悪いかはあなたのセンス次第。より高い権威に頼れないのですから、人々はとても混乱します。

あなたのセンスは、あなた自身の物語と信念に基づくものです。あるオブジェが解釈されればされるほど、よりまとまりのある、凝縮された、効率的なものになるのです。

私が言いたいのは、良い作品、例えば19世紀のアカデミックな絵画であっても、1つか2つの解釈しかできないものは良くないということです。だからこそ、それは歴史に属さないのです。そういう意味で、デュシャンは最も偉大な芸術家の1人といえるでしょう。それぞれの世代が新しい解釈で彼を再発見していますから。

swissinfo.ch:では博物館という機関で働き、鑑賞者にそれを届け、伝えなければならない場合、こうした信念とどう折り合いをつけているのですか?

ウォーラー:オブジェをあるべき姿で、中立的な方法で展示する責任がある一方で、来館者が博物館という機関の権威に委縮することなく、自分の解釈を自由に述べることができるような環境を作ることが必要だと思っています。

swissinfo.ch:それは未来の博物館の指針となるものでしょうか?

swissinfo.chの取材当日、ビデオパフォーマンスのためにウォーラー氏が寝るはずだったベッドを見守る古代エジプト王ラムセス2世の巨像(紀元前1290-1224年)
swissinfo.chの取材当日、ビデオパフォーマンスのためにウォーラー氏が寝るはずだったベッドを見守る古代エジプト王ラムセス2世の巨像(紀元前1290-1224年) Eduardo Simantob/swissinfo.ch

ウォーラー:それだけではありません。博物館は都市プロジェクトでもある必要がある。私が目にしてきた未来の博物館に関する記事や分析のほとんどは、博物館の四方の壁の内部で起こることだけに目を向けています。

ですが私は、博物館は来館者が自分がすでに博物館の内部にいるのか、それともまだ外にいるのか分からなくなるような、都市のプロジェクトとして拡大していく必要があると考えています。スケートボードをしているうちに、突然アートの展覧会の中に入り込んでしまうような状況を想像してみてください。

swissinfo.ch:現在も、コレクションの出所に関する問題や、植民地時代に略奪された美術品の返還を巡る議論があります。博物館というコンセプトはまさに西洋のものですが、こういった問題は博物館の未来にどう関わってくるのでしょうか?

ウォーラー:この問題を「キャンセルカルチャー」に絡めて考えるべきです。例えば、奴隷貿易に関わった人物の銅像を展示すべきか否か。私ならば展示して、正しい情報を添えます。それは私たちの文化の一部なのですから。博物館でも同じことです。博物館は西洋の植民地時代に作られたものですが、私たちはそれを浄化する必要はなく、甘受すべきなのです。ですがなぜこのようなツールが必要なのかを人々に理解してもらうための全ての重要なツールと共になされるべきです。

未来の博物館像ですが、その答えはアフリカかアジアの一部の地域から出てくるのではないでしょうか。北米や欧州からではないでしょう。そこでは、作品を展示する際に多くの制約があり、西洋的な考え方をもってしても、創造的な展示方法を探す必要があるからです。

(英語からの翻訳・由比かおり)

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