スイスの視点を10言語で

世界初 ピアノ生演奏をホログラムに

ホログラフィー映像を撮影中の仏ピアニスト、フィリップ・アントルモン氏。スイス西部ヌーシャテル州ラ・ショー・ド・フォンの音楽ホールにて
ホログラフィー映像を撮影中の仏ピアニスト、フィリップ・アントルモン氏。スイス西部ヌーシャテル州ラ・ショー・ド・フォンの音楽ホールにて Stéphane Etter

スイスのスタートアップ企業の発案・企画で、フランス人ピアニスト、フィリップ・アントルモン氏外部リンク(85)のホログラムが作成され、彼の演奏が永遠不滅になった。これまでに7000回のコンサート、350ものレコーディングをしてきた音楽の巨匠は、「ベートーヴェンやショパンの演奏を今日でも見ることができたら、どんなに素晴らしいことだろう」と話す。

「素晴らしいことだよ。私は常に新しいものを歓迎してきたし、全く懐古趣味ではないからね」。ある日の早朝、音楽学校「パリ・スコラ・カントルム」での指導に出かける前の取材でアントルモン氏は言った。「私のホログラムの作成を持ちかけられたとき、一瞬の迷いもなかった。しかも撮影はスイスのラ・ショー・ド・フォンの、あの伝説的なコンサートホールで行われるという。世界で最も素晴らしい数々のレコーディングがなされたホールだ」

華麗なる経歴

フィリップ・アントルモン氏は、レナード・バーンスタイン、イーゴリ・ストラヴィンスキーなどの巨匠の指揮のもとピアノを演奏した。米国フィラデルフィア、サンフランシスコ、デトロイト、ミネソタ、シアトル、セントルイス、ヒューストン、ダラス、ピッツバーグ、アトランタの管弦楽団・交響楽団、カナダ・モントリオール交響楽団のほか、欧州ではスペイン国立管弦楽団、フランス国立管弦楽団、ロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団、オスロ・フィルハーモニー管弦楽団、ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン交響楽団、アジアではNHK交響楽団、ソウル・フィルハーモニー管弦楽団など、世界の代表的なオーケストラと共演している。

中国や日本を含め世界的に名を知られるこのピアニストは、仏ランスで音楽家の両親のもとに生まれた。SP(78回転)レコードやLP(33回転)レコードの時代、そしてビデオ、MP3の時代を生きてきた。

そして次に挑むのはホログラムだ。「ベートーヴェンやショパンがどのように演奏していたかを、今日でも見られたらどんなに素晴らしいことかと思う。ラ・ショー・ド・フォンでは、最高のスタッフ陣に囲まれて何時間もの間、まるで観客の前か自宅のリビングで弾いているような感覚で、時間が経つのも忘れてレコーディングをした」(アントルモン氏)

永遠という感覚

「時間」。それはスイスのスタートアップ「Cybel’Art」が11月半ば、ヌーシャテル州の時計製造の町ラ・ショー・ド・フォンで試みたホログラム作成の中心にある概念だ。この企画は同社のピエールルイジ・クリストフ・オルネス社長の起業家精神によって実現した。

オルネスさんは、ヴォー州トロシュナにあるオードリー・ヘプバーンの自宅で幼少時代を過ごした。両親はイタリア・サルデーニャ島出身で、40年間、英国人女優のもとで働いていた。2008年に欧州で初めてロバのミルクを流通させたこの根っからの起業家は、「ある日友人から、私にとっては2番目の母とも呼べるオードリーのホログラムを作ってくれと依頼された。その時に、生前の人だったらもっと容易にホログラムを作れるだろうと考えた」と話す。

これまでにマリア・カラスやダリダ、エイミー・ワインハウスなど、故人アーティストのホログラムが作られたことはあったが、存命中のアーティストで作られたことはなかった。「私が無条件に愛するアントルモン氏は、この企画にうってつけだと思った。彼の光、そしてホログラフィーの『遺言』とも言えるものを、彼の個人的な感情とともにつかみ取るのは途方もない挑戦だ」

Un pianiste entouré de deux personnes.
Salle de Musique de La Chaux-de-Fonds, Nov. 2019

「最後の大御所」

米紙ニューヨーク・タイムズが「最後の大御所」と呼んだピアニストの立体映像の記録には、経験豊富な専門スタッフが3日間にわたって携わった。ヌーシャテルの音楽ホールで、技術者たちがアーティストの指先に、音に、グランドピアノに、撮影機材を向けた。

「自分が『幻影』になってしまうのは怖くない。それどころか、後世のために弾き続けることができるなんてワクワクするじゃないか」
フィリップ・アントルモン氏

特殊なカメラがピアニストを真上から撮影し、画素数6Kや8Kという並外れた高画質の映像を実現した。録音には、サッカー場で観客の熱気を拾う最新テクノロジーを搭載したマイクが 使用された。「アントルモン氏の演奏と指先の動きを永久に残したかった。その後、一緒に弾きながらピアノを習得できるようなアプリを開発できるかもしれない」とオルネスさんは意欲を見せる。

新しいテクノロジーに情熱を燃やすオルネスさんは、「アイコン」と「ホログラム」を組み合わせた造語「イコログラム(ICOLOGRAM)」と冠したプロジェクトを立ち上げた。ホログラムをコンサート会場や自宅のテレビの前に映し出したり、AR(拡張現実)メガネで見ることで、音楽の巨匠の演奏を楽しめるようになるという。

「幻影になるのを恐れない」

アントルモン氏の後には、世界で活躍するアーティスト約50人のホログラムが作られる予定だ。オルネスさんのプロジェクトは、スイス連邦工科大学ローザンヌ校(EPFL)の学長を務めたパトリック・アービッシャー氏が主導するプラットオーム「artTech」に、30以上のスタートアップとともに名を連ねている。

「次の問題は、使用・配信に関するもの」とオルネスさんは話す。「米マジック・リープのような大企業と契約を交わす必要がある。人間の『光』、もしくは『幻影』を買ったのは私たちが世界で初めて。本人が存命中は、作品の使用で演奏者に何パーセントかを払い、亡くなった後は会社との契約を通して舞台で使用し続けることができるだろう。つまり、著作権や演奏権の他に、「イコログラム」という新たな形態の権利保護が発生してくる。レコーディングエンジニアとして世界トップのエチエンヌ・コラール氏と共同で録音マニュアルも作成した」

次に待っているのは、アントルモン氏自身とそのホログラムが舞台で共演するコンサートだ。2020年開催予定で、会場は未定。「きっと世界的に注目を浴びるものになるだろう」と話すントルモン氏は、高齢で現役を続ける数少ないピアニストの一人だ。「私は毎日ピアノを弾いている。弾かないとすれば月にほんの2日くらい。自分が『幻影』になってしまうのは怖くない。それどころか、後世のために弾き続けることができるなんてワクワクするじゃないか!」と話した。

(仏語からの翻訳・由比かおり)

swissinfo.chの記者との意見交換は、こちらからアクセスしてください。

他のトピックを議論したい、あるいは記事の誤記に関しては、japanese@swissinfo.ch までご連絡ください。

SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部

SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部