アフリカの盲点
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制作

スイス人写真家が切り取る

「アフリカの盲点」




 「アフリカの盲点」と題した写真展が、チューリヒ近郊のヴィンタートゥールで開かれている。アフリカを長く取材してきたスイス人写真家ドミニク・ナーさん(33歳)が、紛争などによって国民の生活が危ぶまれている4つの国にスポットを当て、現地の様子を鋭く切り取った。

南スーダン、ソマリア、マリ、コンゴ民主共和国はいわばアフリカの黒い点だ。それは、国民の安全や基本的な生活サービスが欠落しているから。この4カ国が抱える問題は植民地時代の歴史や、他の外的要因が深く関係している。

国が不安定な状態にあるため、依然として利潤を追い求める諸外国の権力者たちの標的にされる。度重なる紛争や内戦などで国の政治や社会はぼろぼろだ。ナーさんは、これらの国々で長年活動してきた。写真展「盲点」では、アフリカという広大な大陸に息づく人々の生活を鋭く切り取っている。

写真展では、写真に対する疑問にも向き合う。何を見せればいいか。不快なものをいかに美しく表現できるか。人種に対する固定観念を避けるにはどうしたらいいのか。

ナーさんは1983年、スイス北西部のアッペンツェル州で生まれ、香港で育った。その後はトロント、カイロ、ナイロビを転々とし、今はスイスに住む。この若い写真家が、自身のたどった半生と仕事について話してくれた。




コンゴ民主共和国、サク、2012年

マリ、バマコ、 2013年

「とても安全な環境で育ちました。父は香港で良い仕事に恵まれました。私の学校のクラスメートは外国人ばかりで、いつも別れと隣り合わせの生活だったから寂しかった。学校ではオタクっぽい子どもでしたね。目立たず、陰に隠れているのが好きでした」


南スーダン、Thonyor、2015年

「学校の旅行でラオスを訪れた時、1台のカメラを持って行きました。家に帰ってきて、その写真を父の友人で写真家のHugh Van Esに見せたんです。彼はベトナム戦争を取材して、ピュリッツァー賞を取ったこともある人物です。そうしたら彼が、僕が将来何になりたいかって聞くんです。私は学校にはもう行きたくなかったので、そう伝えました。そうしたら、じゃあ君は今から写真家だ、と言われて。それで、彼がサウスチャイナ・モーニング・ポスト紙のインターンのポジションを紹介してくれたんです」


マリ、 バマコ、 2016年


南スーダン、Leer、2015年




ソマリア、モガディシュ、2011年

「大学時代に、初めてニューヨークに行きました。電話ボックスに入って、複数の写真編集部に電話をかけたんです。その時の私は、東ティモールとパレスチナ・ガザ地区のルポルタージュで二度、大学のフォトグラファー・オブ・ザ・イヤーに選ばれた経験があった。写真編集部に入るのに、良い宣伝材料になると考えたのです」


スーダン、2015年


マリ、バマコ、2013年

「大学ではいつも、どこかにブレーキがかかったような感じでした。そこで、友人が住んでいる英国のウェールズ行きのチケットを買ったんです。ところがその後、その航空会社が倒産し、帰りのチケットが無効になってしまいました。これは何かの暗示だと思いました。大学は辞めましたが、後悔はしませんでした。2008年、ドイツのベルリンに渡りました」


ソマリア、モガディシュ、2011年


マリ、セグー、2011年




南スーダン、Kok Insel、2015年

「そこで、友人で写真家のカリム・ベン・ケリファから、コンゴに行くよう進められたのです。当時のコンゴは紛争が再び勃発した時でした。アフリカは初めてだったんですが、3日以内には紛争の最前線にいました。週内には、私の写真は至るところに掲載されました。シュテルン(ドイツの雑誌)、シュピーゲル(同)、ニューズウィークのほか、クーリエ・アンテルナショナル(フランスの雑誌)の表紙も飾りました」



コンゴ民主共和国、サク、2012年



コンゴ民主共和国、ゴマ、2009年



南スーダン、Lankien、2015年

「本当は何がしたいのだろう?と考えたことは一度もありません。自分もこうなりたいという道しるべがあったからです。東ティモールは年配のロイターのカメラマンと一緒に行動しました。この仕事は、進むべき道を示してくれる人がそばにいないと、簡単に迷ってしまうし、落ちぶれてしまう」


コンゴ民主共和国、キバティ、2008年




スーダン、ヘグリグ、2012年

「それからカイロに引越しました。この国は、中東とアフリカの両面があって、それぞれの地域で働くことができる。でも私は東アフリカが恋しかったので、ナイロビに移りました。そこで2回もお別れパーティーを開いたのに、また戻ったんです。3回目は何も言わずに離れたのですが、結局戻ってしまいました。今はスイスに腰を落ち着けたいと思っています。顧客の数を減らして、その人たちとその分密な仕事がしたくて」



南スーダン、ベンティーウ、2012年



スーダン、ヘグリグ、2012年

「電子メールやソーシャルメディア、劣悪な電話回線を使って編集部と連絡を取るのですが、それも制限があるのでストレスになります。一度、TIME誌に2011年のソマリア飢饉のルポルタージュを書いたんです。同誌は記事を大きく取り上げてくれましたが、実際誰が読んでいるのか私には分かりません。今であれば自宅に戻り、そういう大事なテーマを違うチャンネルで、例えば小さな本や作品展という形で、世に出します」­

 



マリ、バマコ、2016年

ジャーナリズムでは、写真はシンプルでなければいけない。それには固定観念がどうしても含まれてしまう。TIME誌で働いた時、これは良くて、これはだめだというものがすぐに分かりました。例えばこの写真は3ページ目に載って、すごく大きなスペースが割かれて…と、容易に想像がついたんです。フレッシュな目を持って勝負するということをしなくなりました。自ら体に巻いたこのコルセットが嫌になったんです。この写真展は自分にとって新しい試みです。一歩下がって、自分の仕事から距離を置く―まったく新しい経験です。自分の写真を使って、ほかの人たちと一つのプロジェクトについて一緒に働けるということ。これは私にとっては一歩前進です。

マリ、バマコ、2016年


「インタビューが終わったら、急いで台所を掃除しないといけないんです」。ナーさんはカメラマンを出迎えるなりこう言った。撮影が終わるとすぐ、ナーさんはチューリヒにAirBnB(エアービーアンドビー)で民泊するアパートを出て駅に向かった。

写真

Dominic Nahr

2017年6月に行われたドミニク・ナーさんとのインタビューから一部抜粋

製作


Thomas Kern & Luca Schüpbach

翻訳

宇田薫