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ビクトリア州ヘプバーン・スプリングスの道路(Flavia Leuenberger)
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ヘプバーン・スプリングスのユーカリの木(Flavia Leuenberger )
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ヘプバーン・スプリングスにあるロカルノ・スプリングス。余暇を楽しむ人たちが集う人気の場所だった(Flavia Leuenberger)
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ヘプバーン・スプリングスとデイルスフォードで毎年開かれる「スイス・イタリア祭」。スイスのイタリア語圏の歴史や文化、ライフスタイルに触れる(Flavia Leuenberger )
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デイルスフォードにあるスイス生まれのアッティリオ・チネッティさんの墓(Flavia Leuenberger)
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オーストラリアでは一般的な郵便受け(Flavia Leuenberger)
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ヘプバーン・スプリングスにある、クリケットバット屋「チネッティ・ウィロー」の看板。ゴールドラッシュに沸いた当時のオーストラリアでは、クリケットが人気のスポーツだった(Flavia Leuenberger)
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チネッティ家の郵便受け(Flavia Leuenberger)
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社長のイアン・チネッティさん。70歳(Flavia Leuenberger)
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チネッティ・ウィロー社のオフィスには、ティチーノ州ゆかりのものがずらり(Flavia Leuenberger)
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自分の会社チネッティ・ウィロー社の作業場に立つイアン・チネッティさん(Flavia Leuenberger)
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チネッティ・ウィロー社のオフィスにはティチーノ州にまつわる雑誌が置かれている(Flavia Leuenberger)
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チネッティ・ウィロー社で見つけた、ティチーノゆかりの名字が書かれたトランプ(Flavia Leuenberger)
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チネッティ・ウィロー社のクリケット場を眺めるティチーノ出身のクロード・ロッシさん(Flavia Leuenberger)
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19世紀半ば、イタリア語圏のスイス・ティチーノ州に住む約2千人が、より良い暮らしを求めてオーストラリアに移住した。それから約150年。この「イタリア系スイス人」の名残はオーストラリアに深く根付いている。移民がたどった歴史を写真で振り返る。
このコンテンツが公開されたのは、
2018/02/24 09:00
Flavia Leuenberger Ceppi, swissinfo.ch
ベリンツォーナホテル、ロカルノ・スプリング、チネッティという名前のクリケットバット製造者、ラヴァンデュラ農場。いずれもティチーノの人たちがここに根付いたことを示す生き証人だ。メルボルンから北西に離れたデイルスフォードやヘプバーン・スプリングスにある。
1850年、オーストラリアを目指した移民2千人のほとんどは、ふるさとの谷の貧しい暮らしにあえいでいた。また、グラウビュンデン州南部のヴァル・ポスキアーヴォ(ポスキアーヴォ谷)の人たちもいた。移民はみな、地球の反対側にある異国の地で、よりよい暮らしが出来ると夢見た。
当時のオーストラリアは、ビクトリア州、さらにニューサウスウェールズ州がゴールドラッシュに沸き、それが移民を引き付けた。しかし、旅路の先に待っていたのは悲惨な運命だった。移民がオーストラリアにたどり着いた頃には、ゴールドラッシュはもう終わっていた。
多くの移民は手ぶらのまま、多額の借金を背負って母国に帰っていった。ゴールドラッシュの真っ只中だった米カリフォルニア州を目指す人もいた。だが、一部はオーストラリアにとどまり、つつましく厳しい暮らしを送った。彼らの一族は今もオーストラリアに残っている。
スイス人写真家フラヴィア・ロイエンベルガーさんは、米国のティチーノ移民の足跡を追いかけ、続いてオーストラリアを訪れた。2015年のスイス報道写真賞を受賞した経歴を持つロイエンベルガーさんは、今もなお故郷の文化を大事にしている多くの家族と出会い、その姿をフィルムに収めた。
「オーストラリアでは、その人の出身を知りたいときは『あなたにとってのホームはどこですか(Where is home for you)』と聞く。日常的に使われる「『どこに住んでいるの(Where do you live)』とは全然違う」とロイエンベルガーさんは話す。
「『あなたにとってのホームはどこ』が持つ意味は非常に深い。必ずしも壁で四辺を囲まれていない、ある一つの場所を指すこともある。19世紀末のティチーノ移民が、それを顕著に体現している」とロイエンベルガーさんは話している。
(英語からの翻訳・宇田薫)
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