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国民の権利、その維持と問題点

現在、40を超える法案のために署名活動が行われている Christian Flierl

最近失敗に終わったあるレファレンダムが、政治的混乱を巻き起こしている。レファレンダムの発起者が、その原因は自治体の職務怠慢にあると言い出したためだ。これは、スイスの伝統的な直接民主制の維持が容易ではないことを示す一例だ。

 スイスにはイニシアチブ(国民発議)とレファレンダム(国民審議)という制度があり、これによって国民は政治決定に関与する権利が与えられている。特に政府や議会での発言権が少ない左派政党が、自らの関心事を議会で通過させるためにこの制度を利用することが多い。

 しかし近年は、保守的な右派がこの制度を利用する頻度が増えている。最近も、可決はされなかったものの、右派の国民党(SVP/UDC)が支援する組織「独立した中立国スイスのための運動(AUNS/ASIN)」と左派の社会民主党青年部(JUSO/JS)が協同でレファレンダムを起こした。

 ドイツ、イギリスおよびオーストリアとの租税協定の締結に反対するこのレファレンダムは、必要な数の有効署名が期限内に連邦内閣事務局(Bundeskanzlei/ Chancellerie fédérale)に提出されなかったために失敗に終わった。ドイツおよびイギリスとの協定に関するレファレンダムでは、それぞれ約2800人分の有効署名が不足。これらは期限後に提出されたが、期限を過ぎてからではどうにもならない。それでもレファレンダム発起者側は、署名の到着が遅れたのはその有効性の確認を担当した自治体による職務怠慢があったためだと主張、争う姿勢を見せている。

 この件は、ジュネーブのある自治体の失態が明るみに出たため、広く世間の知るところとなった。この自治体には、署名の提出期限まであと4日と迫ってからドイツとの協定に関するレファレンダム1500人分の署名が届けられた。職員は残業をして全署名の確認を終えたものの、その署名を入れた小包を誤って速達便(翌日配送)ではなく普通便(国内で基本的に2~3営業日内)で返送したため、依頼者(レファレンダム発起者)がそれを受け取ったのは、期限が過ぎた後だった。

 それ以来、このレファレンダムが失敗に終わったのは自治体のせいか、それとも署名をぎりぎりに送った発起者側のせいなのかが公でも議論されることになった。

 この件に関しては、発起者側が連邦内閣事務局の決断に対し異議を申し立てたため、連邦裁判所の判決を待たなければならない。

唯一無二の文化遺産、存続の危機?

 怒りの声はメディアだけでなく各党の政治家からも上がっている。「(自治体の怠慢による)有権者に対する裏切り行為だ」と声を荒げるのはドイツ語圏の大衆紙ブリック(Blick)のオスヴァルト・ジッグ氏だ。かつてスイス政府の広報担当官を務めていた同氏は、この件に関与した自治体が「(署名を期日までに返送するという)任務の重要性を理解していない」と不満をあらわにする。そして、世界で唯一無二の政治的文化遺産であるスイスの直接民主制が存続の危機にあると危惧する。

 ベルン大学政治学研究所所長を務めた経験を持つヴォルフ・リンダー教授は、こうした非難の声に理解を示す一方で、租税協定をめぐるレファレンダム不成立という今回の決定が異議申し立てによって覆されることはまずないと見ている。「このレファレンダムが失敗に終わったのは決定的だ。技術的な問題だけではなく、適正な法の手続きにも関わってくるためだ。自治体が故意にレファレンダムを妨害しようとしていたという主張を通すには、彼らが悪意を持っていたことがまず証明されなければならない」

 署名の有効性を確認した後、それらが即刻返送されなかったことは「確かに好ましくない」とリンダー教授は認める。「レファレンダム発起者は、自治体を信頼し、法に準拠して職務が遂行されることを期待している」

 政治に関わる連邦憲法は、自治体は署名の有効性を確認した後「直ちに」レファレンダム発起者に返送しなければならないと明記している。しかし、この「直ちに」をどう理解するかに関してはさまざまな見解がある。中にはこの表現をあいまいだと考える専門家もおり、厳密な規定を求める声も聞かれる。

 しかし、リンダー教授にとって答えは明白だ。「自治体は署名を期限までに確認し、返送するためにあらゆる努力をしなければならない」。リンダ―教授はさらに、厳密な規定が状況の改善につながるのかどうかと疑念を抱く。「誤りは誰にでもある。それに対してできることはただ一つ、十分な量の署名を集めることだけだ」

膨大な量の署名

  最も多くの署名の処理に追われる自治体はチューリヒ市だ。しかし、同市は租税協定に関するレファレンダムではすべての署名を期限内に確認し、提出した。

 「我々はこの任務に真剣に取り組んでいる」と胸を張るのはチューリヒ市住民課の幹部であるアンドレアス・ビヒセル氏だ。「直接民主制におけるこの任務の政治的意味は十分認識している」。それだけでなく、管理委員会やメディアによる綿密なコントロールも実施されているという。

 今年(10月の初めまで)だけでも、チューリヒ市はすでに33もの連邦および州レベルのイニシアチブとレファレンダムに対応しており、総計14万人分の署名の有効性を確認した(2011年は11万人分)。しかも、いくつかのイニシアチブやレファレンダムが同時に提起されることもまれではない。包括的な計画が不可欠だ。

 投票の全プロセスを担当するチームは8人から成る。しかし、署名の確認は彼らの仕事のほんの一部にすぎない。約1時間で100人から150人分の署名を確認する。作業のスピードは職員の能力だけでなく、署名用紙の状態によっても異なる。また期限直前に何百という署名が提出されることもあるため、ほかの部署の職員も必要に応じて応援できるよう訓練を受けている。

最も優先されるべき任務

 署名の確認は最優先で行われなければならないとはいえ、何事にも限界がある。特に小さな自治体では、署名の量にかかわらず限界に達してしまうことがある。「署名確認のためだけに、しかも必要なときだけに駆り出すことのできる人員を雇う余裕がある自治体などない」とビヒセル氏は言う。

 また、大きな自治体にももちろん失敗はある。チューリヒ市では今年初め、右派国民党(SVP/UDC)が発議したイニシアチブで、6000人分の署名が未処理のままだった。幸い、このミスがイニシアチブの結果に影響を及ぼすことはなかった。すでに十分な数の署名が期限前に集められていたからだ。

スイスの有権者は、イニシアチブを通じて連邦憲法の改正を提案する権利を持つ。イニシアチブを成立させるには、18カ月以内に有権者10万人分以上の有効署名を集め、連邦内閣事務局(Bundeskanzlei/ Chancellerie fédérale)に提出しなければならない。

一方、(随意の)レファレンダムは連邦議会を通過した法律の可否を国民が最終的に判断する権利。連邦議会が同法律の承認を公表した後100日以内に5万人分の有効署名を集め、連邦内閣事務局に提出すると、連邦レベルの国民投票に持ち込める。


これらの直接民主制における国民の権利は、主に議会や政府での少数派、あるいは全く発言権のない政党や団体が利用している。

近年、イニシアチブとレファレンダムは増え続ける一方で、中には商業目的のものもあると批判する声も出ている。

憲法専門家のレネ・リーノウ氏は、そうした(商業目的の)イニシアチブやレファレンダムは、大衆に訴えはするが、実現が困難なものが多いと指摘する。そうしたイニシアチブやレファレンダムの目的は、新しい憲法の制定ではなく何らかの政治的キャンペーンだと言う。

主要政党のほとんどはこれまでに、自らのイニシアチブやレファレンダムを成立させるために、人を雇って署名を集めさせたことがある。リーノウ氏はこれを「経済的余裕のある組織や団体にしかできないことであり、弱小団体に不利な展開となることは明らかだ」と問題視している。

(独語からの翻訳、徳田貴子)

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