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スイス-日本共同で鞭毛の動きを解明

石川尚氏が使うクライオ電子線トモグラフィーで、鞭毛の研究が1歩大きく進む swissinfo.ch

連邦工科大学チューリヒ校の石川尚氏のグループと日本の情報通信研究機構の大岩和弘所長グループはこのほど、精子の尾など、鞭毛 ( べんもう ) が波打つように屈曲運動する仕組みを解明した。

この研究の結果は、米科学雑誌「ネイチャー・ストラクチュラル・アンド・モレキュラー・バイオロジー」の電子版に発表された。詳しい研究内容とその医学的な意味をチューリヒ市内にある石川尚 ( いしかわたかし ) 氏の研究所で聞いた。

小さくても重要 鞭毛・繊毛の働き

 鞭毛と繊毛は形が違うだけで、両者とも細胞の表面にある毛のような小器官のことを指す。鞭毛は動物の精子やプランクトンが動くためにある小器官で、繊毛は生物の表面にあり、毛のように密集して生えている。繊毛は自ら動いたり、細胞を動かしたりして、生物のあらゆる器官で大切な役割を担っている。例えば、人間の気管支にある繊毛は、吸った空気をきれいにして肺に送る。目の細胞にある繊毛が機能しなくなると、網膜の病気になったりする。

 さらに人間の体の左右を決めるのも、受精卵の鞭毛が関係していることが最近の研究で分かった。受精卵の表面にある鞭毛は、全て同じ方向に円を描くように動いているが、これが一部もしくは全て逆回りに動くと、心臓が右にできてしまったり、全部の器官の左右が逆になったりする。

 小器官ではあるが、動物の体の中で重要な役割を持つ鞭毛や繊毛。その動きの仕組みはこれまで、はっきりと分かっていなかった。これを解明したのが石川氏の研究グループだ。

スイスと日本の研究技術で成果を出す

 実際に研究に使われたのはプランクトンの鞭毛だ。人間の鞭毛と基本的には同じだ。長さ10ミクロン ( 100分の1ミリメートル ) の鞭毛を石川氏は、新しい方法であるクライオ電子線トモグラフィーを使って観察した。これは、CTスキャンの方法を使った電子顕微鏡で、研究対象となるサンプルを液体窒素を使って急激に凍らせ、サンプルを回しながらさまざまな方向からデータを取る方法だ。

 「今回の鞭毛運動の研究は、スイスと日本のそれぞれの優れた研究分野が融合して可能になりました。まずスイスは、生体の高分子、つまり、多数の原子が共有結合してできる巨大分子 ( Macromolecule ) の立体構造を研究する伝統があります」
 と石川氏は説明する。連邦工科大学には、有機化合物の構造を分析する方法である「NMR」を開発し、田中耕一氏とともにノーベル賞を受賞したクルト・ヴュートリッヒ教授が、石川氏と同じ建物で研究を続けている。NMRは抽出した分子の立体構造を高い解像度で捉えるが、石川氏が使うクライオ電子トモグラフィーはそれを1歩進めて、細胞中の分子の立体構造をとらえることができる。

 「また、モーターたんぱく質の研究では日本が優れています。今回の成果は、こうしたスイスと日本の技術が融合した結果です」
 モーターたんぱく質とは、細胞を動かすモーターの役割を担い、ヌクレオチドというDNAを構成する物質をエネルギーにして動く。鞭毛のモーターたんぱく質は「ダイニン」と呼ばれる。

 石川氏は日本で、筋肉の動きの仕組みを、筋肉特有のモーターたんぱく質である「ミオシン」を分析しながら研究を進めてきた。筋肉は伸縮するだけなので、ミオシンは簡単な動きができるだけで十分だが、屈曲運動をする鞭毛のダイニンの動きの仕組みは、より複雑だ。

みんなが同じことをするとできない

 鞭毛の切断面を顕微鏡で見ると、9本の微小管が見える。これは鞭毛の骨格に当たる。微小管には多くのダイニンが列をなして付着し、ダイニンが微小管を動かしていることが分かる。石川氏のグループは、クライオ電子線トモグラフィーを通し、ヌクレオチドを吸収してダイニンが力を出す前と出した後を比較して観察したところ、ダイニンは力を発生するに従い、左側から右側に8ナノメートル  ( 1ナノメートルは100万分の1ミリメートル ) 動くことが確認された。ダイニンのこうした動きが、微小管の滑るような動きを生むことが分かった。

 また、研究者はこれまで、1個のダイニンを取り出して観察することでその動きの秘密を解明しようとしていたが、屈曲運動については、あまりうまく説明できていなかったという。そこで石川氏のグループは、ダイニンを自然界にあるままで、つまりダイニンが列をなして付着している微小管1本を取り出し、クライオ電子線トモグラフィーで観察したところ、ヌクレオチドのエネルギーをもらって運動するダイニンと、運動しないものがモザイク状に混在することが発見された。運動するダイニンの割合は全体の52%で、ヌクレオチドの濃度を変えてもそれは変わらなかった。

 「ダイニンがお互いに協力して屈曲運動をしているようなのです」
と石川氏は推測する。屈曲運動には全部のダイニンがあえて同じ反応をしないことが必要なのだ。
「9本ある微小管のダイニンの動きもそれぞれ違います。社会の中でも、みんなが同じことをやっているとできないが、役割を分担すると何かができるということがあるのと同じです」

 人間の健康に大きくかかわる鞭毛や繊毛だが、ダイニン同士の「協力の仕方」に支障をきたしただけで、病気の原因になってしまうこともあるという。
「今回の研究から、例えば、気管支の繊毛が正常に動かないために肺の病気になりやすいといった場合は、肺の中に不純物がたまる前にその人の遺伝子を調べて原因を追究し、空気の悪いところを避けるといったアドバイスが、病気になる前にできるようになるのではないでしょうか。医薬品が開発される前に、病気を予防するためにこの研究の成果が使われるほうが早いと思います」
 と石川氏はこの研究の実践的な展望を語り、締めくくった。

佐藤夕美 ( さとうゆうみ ) 、swissinfo.ch

1967年生まれ
東京大学理学部物理学科卒業
1995年博士号取得後、3年間埼玉県理化学研究所で研究 
1998年-2004年アメリカ国立衛生研究所 ( NIH )
2004年8月から連邦工科大学チューリヒ校 ( ETHZ ) の生物学科でグループリーダーを務める。

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