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輪は完成した

ドレント山(Dolent)を下山し、冒険を終えるハーリン氏 PatitucciPhoto

今週初めに終了したジョン・ハーリン3世の「国境物語」。以下ハーリン氏自身が寄稿した最終報告を掲載する。

旅の終わりをすんなり認めるなんて、どこか非現実的な感じがする。けれど、ここレザン(Leysin)から周りを見渡すと、「旅がついに終わった」と実感できる。

 スイスの国境をくまなく歩いた。登った。自転車で走った。カヌーをこいだ。手前にある南西へと続く白い山頂に、旅を開始したフランスの国境が見える。そこは私が2010年に転落した場所。そして今ちょうど旅を終えた山頂だ。

 足を骨折した場所と昨日登頂した地点を結ぶのに、1年以上かかった。この旅を終結させるには、フランス以外にもドイツやリヒテンシュタイン公国、オーストリア、さらにはイタリアとの国境をたどる必要があった。

 かつてマーク・トウェインが言った。「スイスにアイロンをかけて平らにすれば、スイスは非常に大きな国になるだろう」と。私はこの言葉は正しいと証明できる。しかし、国境そのものが山でできた小さな国より、広大で低地の国を旅する方がよっぽど簡単だろう。

 これまでどのくらいの距離を旅して、どれほどの高さを登ったのか、まだ正確な数字は分からない。旅の詳細なデータを得るために、来週、スイス政府観光局のコンピューターを数日間使って、デジタル地形図に行程を書き込む予定だ。

 だが、そんなデータが今回の旅、ましてやスイスの真実を映し出しているわけではない。ただ詳細が知りたいという人がいるため、私はデータをまとめているだけだ。数字は確かに分かりやすい。だが、人生の本当のところというものは、数字では表れないささいなところにあるものだ。私には思い出が大事だ。自分でも驚いたことに、スイスの国境で過ごした105日間は、どんな困難があっても、1日1日が充実していて、やりがいがあった。

55歳の体にむち打ちながら

 55歳の体が峠や山頂を乗り越えることができるのか、この目で確かめたかったし、こんなに長い行程で心が疲れてしまわないか知りたかった。旅を終えて分かったことは、体は持ちこたえたということ、そして心は今でもやる気に溢れているということだった。

 だが、単に挑戦を乗り越えることよりも大切だったのは、スイスの国境を存分に体験できるという、とてつもない贈り物をもらったことだ。旅の当初の目的は、自分の足と心でスイスを感じることだった。実際人に会ったり、土地に足を運んだりして、この小さいけれども偉大な国がなぜ今こうあるのか学びたかった。

 子供の時、ヴォー州のレザンで過ごした数年が良い思い出になっている。そこでの日々が、この国とアルプスの山への深い愛として私の中に残っている。だから、私は大人になってからも何回もスイスに戻ってきたし、2005年には父が命を落としたアイガー北壁にも登頂した。

風景を探求

 「国境物語」の旅のきっかけは、スイスという国ともっとつながりたいと切望したことが大きい。言うなれば、スイスの風景を自分が考えられる限界まで掘り下げてみたかった。

 フェイスブックの「国境物語Q&A」に先週金曜日、「この旅に対しどういう結論を出すのか」と、ある女性が聞いてきた。なぜスイスがスイスであるのか、私に答えを数行でまとめさせて、意見を共有したかったようだ。もちろん、そんなことは私にはできなかった。そんな簡単にまとめられるほど易しいわけがない。これまで私がスイスインフォで書いてきた5万語以上の日記を読んでもらえたら、この旅の面白さが何となく伝わるのではないかと思う。だが、それでも私が体験したことのほんの少ししか記されていないということは分かってもらいたい。

 多くの作家がよく言うのだけれど、文章を書き下ろすまでは、自分が考えていることははっきり分からない。私にもそういうことがよくある。来年、「国境物語」の本を書く予定だが、執筆を進めていくうちに自分が本当に思うことが形となって現れてくるはずだ。

 そうなれば、スイスの歴史をさらに深く探求できると思う。この信じられないぐらい豊かな歴史を私の個人的な経験に結び付けられれば、実際見たものがどんなものだったのかがやっと分かるだろう。

 この旅に興味を持ってくれた読者のみなさんには、感謝してもしきれない。もう旅が終わってしまっただなんて、複雑な気分だ。ゴールにたどり着けたことや、もうじき家族の元に帰れることは確かに嬉しい。

 その反面、国境をたどる旅がすでにお気に入りのライフスタイルになってしまった。またリュックサックを背負って、限りなく面白い国をただひたすら歩きたい衝動に駆られてしまう。そう、スイスを。

1956年生まれ。スイスのレザン(Leysin)とドイツで幼少時代を過ごす。ハーリン氏の父親ジョン・ハーリン2世は1966年、アイガー北壁を直通ルートで初登頂を試みる最中、命を落としてしまった。父親の死後、家族はアメリカに帰国。

2005年、ハーリン氏はアイガー北壁を登頂。その様子はIMAX映画「アルプス(The Alps)」に撮影された。

ハーリン氏は2010年6月に、スイスの全国境をたどる挑戦を開始。だが開始から約1週間後に、両足を骨折するという山岳事故に遭う。

完治後、国境の旅に再挑戦。2010年秋にはライン川をカヌーで渡り、シャフハウゼン州やジュラ州の山を自転車で駆け抜け、レマン湖を再びカヌーで渡った。

2011年夏には反時計回りで東スイスから国境を回り、9月12日、ドレント山(Dolent)の山頂で旅を終えた。この山はスイス、イタリア、フランスの3カ国の国境が混じり合う場所で、1年前ハーリン氏がけがを負ったところから近い。

スイスの国境をたどる旅で、ハーリン氏は高低差約22万mの距離を旅した。これはエベレストを海から山頂まで12往復することに等しい。

最低地点:マジョーレ湖(Maggiore)を走る国境線(193m)

最高地点:デュフール峰(Dufourspitze)(4634m)

(英語からの翻訳、鹿島田芙美)

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SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部

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