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V アイガー東山稜登攀 -4-

雪線以上の山

 この夏の登山によって、私はどの程度にアルプスを知ったか。それは雪線以上の山は如何なるものであるかということである。岩と雪と氷と低い気圧と気温、強い紫外線と、激しい天候の変化。一本のロープに結び合った協力のもとで、自分の能力をいっぱいに発揮しなければならない。精神と肉体の緊張と努力の継続、このようなものが雪線以上の登山中で経験するところである。そしてこれがアルプスでの登攀者の途なのである。登攀者は、堅忍不抜の意志を中核として、敢然として山のもつ危険の前に立って、その障碍を克服して目指す頂に達しなければならない。この敢闘の精神に悦びを見出し、これを最も重しとする登山に対する考え方は、アルプス登山の黄金時代の終りの頃にすでに芽生えていた。
 アルプスの未登峰が登り尽されるにつれて、より困難な登路(ヴァリエーション・ルート)を求めて登るとか、より困難なロッククライミング(岩登り)とか、ガイドレスクライミング(専門の案内者を伴わない登山)とかを試みるものが現われた。この不断に新しい困難の途を求める登り方が登山の真髄であると強く主張し、それを実践して、登山界に大きた影響を与えた先駆者はA・F・マンメリーである。彼は一八九五年、ナンガ・パルバットで消息を絶ったが、彼の登山とは要約すれば山のもつ困難と闘い、勝つことであるという点に価値を認めたことは、当時正統派といわれる登山者との間に、大なる論議を巻き起したのであった。フレッシフィールドであるとかジョン・ラスキン (ラスキンはアルプスの讃美者であったが、登山者ではなかった) の思想と真向から戦った。マンメリーをもって、近代登山の祖とするもののあるのは一理あることである。彼の主張は、確かに登山という行為の内容の一端を、つとに徹底して主張したものであった。今日の登山界の中に見る岩登りなど専門化した登山は、この意味で解釈することができよう。思うに彼は古代ギリシヤの競技精神を、登山に敷衍したものというべく、正統派とは自然観と人生観の相違にあったというべきである。

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