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VIII 秩父宮殿下の思い出 -7-

殿下の日本アルプス

 昭和二年(一九二七年)の夏、秩父官殿下にお伴して日本アルプスに登った。徳本峠を越えて上高地に入り、西穂高、奥穂高、北穂高、槍、小槍、笠ケ岳、蒲田、平湯、高山という行程であった。殿下はこの登山も心から楽しまれた。
 この登山中、一行が西穂高から奥穂高へと登っていたときのことである。よく晴れた日であったが、午後早々に山稜の両側に小さな白雲のかたまりがいくつかわくように浮び出た。このことは雷雨の前触れであることを私は感じた。というのは、かつて軽井沢のトツクリ岩を登ったとき同じような現象を見、たちまち激しい雷雨にあった経験をもっていた。西穂高の稜線は岩場なのでピッケルは使わず、ルックサックに差込んでいた。そのピッケルの先端が急にブンブン鳴り出したのである。私は即座に全員のピッケルを山稜に残し、急いで飛騨側の崖を降り数十メートルほど下がったところにわずかな棚を見付けて、全員に体を伏せさせた。そのころ雷雨は本降りとなって青紫色の稲妻は山稜を縦横に走っていた。ピッケル先端のうなりを聞いてから本降りとなるまでの時間は、避難するに精一杯の短い間であった。一行は身動きもせず、数時間雨に打たれて雷雨の通過をまって、奥穂高小屋に入ったのであった。狭い山稜であう雷ほど困るものは少ない。
 雷については、未知の分野が多いといわれている。たとえレーダーの発達が雷に対する警戒に新しい手段を与えたといっても、雷雨の現象は約十キロ直径ぐらいの小範囲のことが多いとのことである。注意の予報が出されていても登山の現場では、その危険の存在を身近かに判断できるのはなかなかむずかしい。梅雨明け近くに続く安定した天候は登山の最盛期であると同時に、雷の発生しやすい時期である。そのうえ、夏の雷は日中、山岳地帯で発生するものが多い。であるから、この時期の登山には、私たちは雷を伴う積乱雲に注意しながら、その発達する前の時間を利用する。急場では一刻を争って、山稜とか高い場所から低い場所へ移り、身辺の金具類を捨てて地面に平伏するほかに避けるみちがないように思う。

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