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VIII 秩父宮殿下の思い出 -4-

ベルナーオーバーランドの山群

 ヴェッターホルン登山の翌日は休養をとり十九日、次の登山に発った。それはベルナーオーバーランドの最高峰フィンスターアールホルン(四二七五メートル)に登り、更に岩登りで手強い山とされているグロッセシュレックホルン(四〇八〇メートル)に至るものであった。快晴のアルプスは盛夏の美しさでいっぱいであった。花の咲き乱れるアルプを電車でクラィネシャイデックに登り、そこから、ユングフラウ登山電車に乗り換え、トンネルを通って終点のヨッホ(三四五〇メートル)に達した。ここまでは細川氏の一行も同道で、まことに賑やかであった。
 ヨッホで細川氏一行と分れ、私たち八名はヨッホから下のアレッチ氷河に下り、スキーを履いて氷河をコンコルディアに向って滑走した。氷河上のスキーは、クレヴァスがあるので縄で結び合って滑った。正午コンコルディアヒュツテに着いた。氷河と峰々を前に雄大な景観である。小憩後、再びスキーでグリューンホルンリュッケ(三三〇五メートル)を越え、夕方六時、フィンスターアールヒュッテ(三二三一メートル)に入った。ここからスキーは不要なので連れて来た二人の若者に持たせて返した。
 八月二十日、午前三時小屋発、四時間でフィンスターアールホルンの頂上に立った。アルプスの登山で、小屋を必ず早立ちして午後は早く小屋に帰り着くように行程をとるのは、午前中は比較的天気が安定していることと、雪面が太陽に温められて雪崩の起る危険を避けるためである。頂上から痩尾根をアガシヨッホに下り、尾根を棄ててフィンスターアール氷河に下り、シュトラールエッグヒェッテに着いたのは昼前であった。山小屋は登山の行程を立てるのに便宜な、また雪崩から安全な位置を選んて建ててある。この日の午後の一行は、みな裸になって下着や靴下を干したり日焦けした顔を集めて歌ったりした。
 二十一日、この日も快晴に恵まれ、午前三時小屋を出発した。前の山とは違って、とりかかっているグロッセシュレックホルンは岩場と氷との登りである。七時半頂上に立った。これより急峻な尾根で有名なアンデルソンスグラートを下ってナッシホルン(三七八一メートル)へ、そしてナッシヨッホの雪の峠を越して午後一時にはヴェッターホルン山腹のグレックシュタイン・ヒュッテに着き、少憩の後、上グリンデルヴァルト氷河を下ってグリンデルヴァルトに帰った。
 この三目間の登山はベルナーオーバーランド山群の中心を歩き、雪と岩との楽しみを満喫したのであった。
 二十二日を休養に過ごし、二十三日にはエンゲルヘルナーの岩登りのためグロッセシャイデックを越えてローゼンラウイに入った。ホテルの前に石灰岩の造り出すエンゲルヘルナーの峰々が櫛の歯のように立っていた。この行には麻生武治君が参加した。
 二十四日午前五時ホテルを発って直ちに山にかかり、一時間後には鋲靴を登攀用靴に換えた。山腹にはエーデルヴァィスの群落が美しく咲き乱れていた。トイフェルスヨッホからキングスピッツエ(二六二六メートル)の頂上に九時半に達し、帰途その前山を経て午後四時エンゲルホルンヒュッテ(二〇五〇メートル)に着いて一泊した。
 翌二十五日午前六時小屋を発ち、ゲムゼンサッテルからグロースエンゲルホルン(二七八三メートル)への岩登りを楽しみ、さらに一、二の峰を登って午後三時小屋に帰り、小憩の後ローゼンラウイホテルへと下り、同所で夕食をとった後、夜道をグリンデルヴァルトに帰った。この二日間は岩登りに終始したのである。
 これをもってベルナーオーバーランドのご登山の予定は滞りなく済み、殿下にはこれらの登山を経てますますお元気であった。
 八月二十六、二十七、二十八日の三日間を休養と次の登山への準備などに過した。二十八日の夜はスイス山岳会グリンデルヴァルト支部主催の招待会に一行は出席し、アイガー東山稜登攀の幻燈などもあり遅くまで歓談と山の話が続いた。

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