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スイス銀行業界にはびこるロシアマネーとの持ちつ持たれつ

Red Square
「ロシアで稼いでいないとしたら、ロシア営業部に何十人も雇う必要はない」―あるスイスのプライベートバンカーはこう語る Keystone / Yuri Kochetkov

スイス銀行業界にとって1月は繁忙期だった。ロシア人エリートがアルプスで新年を迎え、家族でスキーを満喫した後に資産相談に立ち寄るという流れが定例化していたからだ。

サン・モリッツのある銀行員は、顧客のために部屋をまとめて押さえる裏技を思い起こしていた。銀世界で乗馬競技のポロを観戦し、シャンパングラスを鳴らし、凍った湖の上を馬が疾走するのを眺める――こうした余興も、今年はロシア人顧客を誰一人招き寄せることができなかった。

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FT

過去10年の大半の期間、ロシアマネーはスイス銀行業界を経由してきた。だが近年、ロシアと西側諸国との関係が悪化したことで、スイスの銀行にとって新たな収益源だったものが金融・評判上のリスクに一変した。

多くのロシア人富裕層は2月のウクライナ侵攻開始に先駆けて、政治介入から資産を守ろうと親戚の名義に書き換えたり、ドバイなど監視の緩い地域に移したりした。そして今、スイス銀行業界は制裁対象の個人との関係を断ち切るため、大規模な掃討作戦を遂行中だ。中立国スイスは、欧州連合(EU)が課した対ロ制裁の全てを踏襲している。

1100人を超えるロシアのエリートが、財産を安全に隠し持てると考えてきた国で「ペルソナ・ノン・グラータ(好ましからざる人物)」に指定された。石炭や肥料で一財を築いたアンドレイ・メルニチェンコ氏や銀行家のピョートル・アーヴェン氏など、スイスの常連客もこれに含まれる。UBSやクレディ・スイス、ジュリアス・ベアなど大手行は、ロシアとのあらゆる新規取引を取りやめると公言した。だが、それは言い逃れに過ぎないとの批判がくすぶる。問題となっているのは既存のロシア人顧客だからだ。近い将来ロシアで新しく資産が生み出されるとは誰も期待していない。

「ロシアの汚いお金に関して、スイスには酷い過去がある」。著名ロシア政治評論家で対ロ投資経験もあるビル・ブラウダー氏はこう話す。スイス銀行業界が制裁の実施に本気で同調しているかは疑わしいと言い、「スイス人は何かをしていると思われたいが、実際には何もしたくない」とくさす。

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米国の独立政府機関である欧州安全保障協力委員会、通称「ヘルシンキ委員会」もこれに同意する。5月に発表した報告書で、スイスとその銀行は「ロシアの独裁者ウラジーミル・プーチンやその取り巻きのイネーブラー(後援者)だ」と批判した。スイス政府はアントニー・ブリンケン米国務長官に抗議の電話をかけた。連邦政府の報道官によると、イグナツィオ・カシス大統領は「可能な限り強い言葉で(報告書の内容を)否定した」という。

掴めぬ実態

冒頭で紹介したサン・モリッツの銀行員と同じく、この記事のために本紙(英フィナンシャル・タイムズ)が取材したスイスの銀行員は全員匿名を希望した。更に多くの人間が取材に応じること自体を拒んだ。スイスには厳しい銀行秘密法があり、顧客について話すと長期刑を科される可能性がある。ロシア人顧客について語ることは完全なタブーだ。

2年前に引退した東欧・ロシア担当の元銀行員は、「(2000年代に)こうした顧客を担当していたときは、全く違う付き合い方をしていた。今や大きな声ではとても言えないようなことだ」と打ち明ける。「(ロシア人顧客は)大金を稼ぎ、それも瞬時に稼いでしまって、その扱いに困っていた。基本的に理想的な顧客だった。そのお金の出自さえ尋ねなければ、の話だが。そして基本的に、我々は尋ねなかった」

スイスにどれだけのロシア資産が置かれているのかは分からない。スイス銀行協会が3月、国内銀行のロシア人口座に預けられている資産は1500億~2000億フラン(約21兆~28兆円)に上るとの試算を発表し、物議を醸した。同協会によると、昨年末時点でスイスの銀行の預かり資産総額は7兆8790億フランに上り、うち半分以上が海外顧客の富だ。

これを皮切りに、スイスメディアの報道合戦が始まった。ドイツ語圏の日刊紙NZZのような保守的な論陣でさえ、スイスが今後も世界の独裁政権と関係を持つべきなのかを問いかけた。だが国内ではロシアとの経済関係を擁護する声も多い。低税率で企業を誘致するツーク州の財務局長は3月、「探偵のように振舞い」ロシア資産に鉄槌を下すのは自分の仕事ではないと言い切った。翌月には3万7千社が籍を置く同州には連邦政府に報告すべき制裁対象資産は存在しないと発表した。

連邦経済省経済管轄庁(SECO)は4月までに97億フランのロシア資産を凍結した。これは他の主要金融センターによる凍結規模に匹敵すると当局者は胸を張る。だが連邦政府は一部の事案を撤回せざるを得ず、5月に34億フランを凍結解除すると発表した。SECOのエルヴィン・ボリンガー氏は「十分な根拠がなければ」資産を凍結できないと説明し、政府は国内70行以上から制裁対象の口座に関する情報を得ていると明かした。個々の銀行による開示状況はまだらだ。クレディ・スイスのトマス・ゴットシュタイン最高経営責任者(CEO)は3月の記者会見で、同行の中核事業であるウェルスマネジメント部門の預かり資産のうち4%がロシアのものだと明かした。およそ330億フランに相当する。

世界最大のウェルスマネジメント部門を抱えるUBSは、「欧州経済領域(EEA)ないしスイスでの居住資格のないロシア人」の資産が220億ドル(約3兆円)存在すると明らかにしたが、全体としてどれだけの資産を保有しているのかについては疑問を残した。連邦移民事務局(SEM)によると、スイスに永住するロシア人は約1万6500人で、スイス国籍を取得した外国人はロシア人が最多だ。

ジュリアス・ベアは、ロシア人顧客の数や資産額を直接は開示していないが、モスクワにある子会社が保有する資産は約4億フランになると回りくどい説明をしている。他の中小民間銀行数十行の情報開示は更に乏しい。

文書破棄要請

業界の重鎮さえも、何が隠されているのか疑問を抱いている。20年来スイスのプライベートバンキングで上級幹部を務める人物は、多くの銀行が制裁対象者と密接な協力関係を築いてきたことが軽視されているのは間違いないと話す。「ロシアで稼いでいないとしたら、ロシア営業部に何十人も雇う必要はない」

この幹部によると、多くのロシア人顧客はモナコやロンドン、アジアなどスイス国外に置かれたスイス銀行の支店を通じて取引してきた。そうした資産が全てスイスの法規制によって捕捉されているかどうかははっきししないという。スイスの銀行には世界中から預かる資産の真の所有者を記録する義務があるが、第三者が真の所有者の黒子となることが容易な領域では捕捉が難しい。

外交官からコンサルタントに転身しロシアの著名人を相手にしてきたトマス・ボラー氏は、これまで数年「ロシアに殺到」していたスイスの銀行の自由奔放な態度は一変したと話す。同氏はスイスの現行の制裁方針を支持する。「武装中立は、経済的な無関心と同義ではない」

「顧客のためにあらゆることをするのはスイスの美学だ」

一方、スイス銀行業界の文化は他の西側諸国のそれとは異なるとも指摘する。大手行でさえ、ウクライナ危機が拡大していた時期にあってもロシア人顧客との関係維持に固執していたという。本紙は3月、クレディ・スイスが取引相手のロシアのオリガルヒに法的リスクを与えかねない文書を破棄するよう求めていたと報じた。

チューリヒにある銀行の顧客管理担当者もこれに同意する。制裁が発動しても、支配的なアプローチは「顧客のために何ができるか?」であり、「政府のために何ができるか?」ではないという。だがこの人物はこうしたアプローチを擁護する。「顧客のためにあらゆることをするのはスイスの美学だ。もし私が時計職人だったら、技巧の限りを尽くした最高の時計を作りたいと考えるだろう。もし私が警官だったら、ロシア人犯罪者の逮捕に最善を尽くすだろう。だが私は銀行員だ」

法的な曖昧さ

制裁対象の個人の家族や友人にも制裁が適用されるかどうかについて、スイスの法律は曖昧だ。これが抜け穴となり、リスクのある顧客がスイスの銀行を悪用するのを助けてきた。ある銀行員は、スイスの銀行はロシア人顧客の配偶者や子供の名義に「数十億」の資産が譲渡されるのを目の当たりにした。

ある銀行のCEOは最近、制裁の適用に「グレーゾーン」があることを本紙に明かした。1つの問題として、銀行の法務部門はどんな資産譲渡が制裁を回避する行為とみなされ、何がそうでないかについて連邦政府から明確な回答を得るのに苦労しているとのことだった。

長く銀行業界に携わってきた人々の中には、新規顧客の獲得やその資産の出所を確かめるに当たり従うべき新しい規制を批判する声が多い。あるジュネーブの銀行員は、「KYC(本人確認)原則は単に『その人を知っているか?』という話でしかなかった。今では『その人の経済的・私生活について細部まで行っているか?』という意味になった」と話す。

多くのロシア人たちが銀行はもはや安全な逃避先ではなくなったことを認識している。スイスの銀行が他国の政府と顧客口座に関する情報を共有することで大きな譲歩を見せた2018年以降は特にそうだ。ヴィクトル・ヴェクセルベルク氏は18年に米国の制裁対象リストに加えられたが、スイスに住んでいるという事実は同氏を守らなかった。クレディ・スイスとUBSはともに同氏への融資を打ち切った。

スイス銀行協会は、加盟行が最高の国際基準を順守していると強調する。ユルク・ガッサーCEOは、スイスの銀行は「疑わしい資金には関心がない」と主張し、制裁対象資産を速やかに選別するための厳格な手続きを踏んでいると訴える。「スイスの銀行はこれまでも今も、顧客資産の受け入れに極めて慎重かつ勤勉に当たっている」。制裁の対象ではないロシア人起業家との間で膨大な取引があると認識することも重要だと指摘した。

金融犯罪に詳しいバーゼル大学のマルク・ピート名誉教授(刑法)は、過去10年間の事実として、外貨隠匿の仲介人となってきたのは銀行家ではなくスイスの弁護士だと指摘する。「スイスの銀行はこれまで、ロシア人顧客との関係に安住していた。ロンドンと並び、ロシア人にとってスイスは西側諸国への玄関口だった。だが今、銀行にそれほど問題があるとは思わない。問題があるのは他のあらゆる仲介業者だ」

「今、誰もが知りたがっているのは高級ジャケットの出自だ」

ピート氏は、スイス法が弁護士と依頼者間の秘匿特権に強大な効力を与えていると指摘する。弁護士は依頼人の情報に関する当局の開示要求をほぼ全て拒否できるからだ。しかしスイス弁護士会はこれに強く反論する。「職業上の秘密主義は犯罪行為を保護するわけではない。弁護士は法律を熟知し、何をすべきか知っている」

ある業界の大物は、銀行の立場を悪びれもせずこう弁明した。「今、誰もが知りたがっているのは高級ジャケットの出自だ。だが10年前はどこで誰が作ったか、原材料は何かを知りたがる人は誰もいなかった。ファッション業界と同様に銀行業界も変わったが、銀行業界への批判のようにファッション業界を悩ませているものは何もない」

ただファッション業界は時と共に開放的になってきたが、スイスの銀行は変化とコンプライアンス(法令順守)が声高に叫ばれる中でも、顧客を巡る秘密を可能な限り保持したがっている。それは国際的な危機にあっても変わらない。

英語からの翻訳:ムートゥ朋子

Copyright The Financial Times Limited 2022

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