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スイス−日本通商条約締結から140年

140年後のいまも、日本との通商交渉が劇を通して伝えられている。シュヴィーツ州のカーニバルで5年ごとに上演。 Keystone Archive

スイスと日本の通商条約が結ばれて本年で140年になる。いまや親密な関係にあるスイスと日本だが、通商条約が成立するまで4年の月日を要した。

日本は黒船の外圧に屈し1856年、米国と通商条約を結んだ。その後、オランダ、ロシア、英国、フランス、ポルトガルなどと次々と条約が結ばれてゆく。スイスは持ち前の粘り強さで交渉を続け、プロイセンに次いで第8番目に通商条約を結んだ国となった。

2月3日に発表になった連邦関税局の統計によると、昨年のスイスの貿易は輸出総額が1千3百7億フラン、輸入総額は1千2百38億フラン。日本への輸出額は51億4千万フランで、日本からの輸入額は26億4千万フランだった。
現在、スイスにとって日本は、輸出で6番目、輸入で11番目(2002年)の貿易相手国である。スイスの日本向けの主な輸出品目は、金額の多い順に時計(4割)、化学工業品(3割)、一般機械、貴金属(各々1割)。日本からの輸入は、自動車(3割)、化学工業品(2割)、電気機械類(1割)となっている。
日本との通商条約を8番目に結んだスイス。交渉はいまでも、カーニバルの劇を通し市民に語り継がれるほどの大きなできごとだった。

スウェーデンと間違えられる

 1853年7月、ペリーが浦賀沖に現れ、1ヵ月後にはロシアがプチャーチンも長崎に来航したニュースは早くも同年10月、ドイツ語圏の日刊紙「ノイエ・チュルヒャー・ツァイトゥング」(NZZ)に報道されている。

 このニュースを受け、当時産業の担い手であった時計業界は日本と貿易を始めようと準備にかかった(中井昌夫著「1864年における日瑞外交の開始について」より)。これに繊維業界も加わり、連邦政府の支援を要請した。政府は時計業界の代表である、ルドルフ・リンダウをスイス国使節として認め、貿易の可能性を調査するよう依頼。1859年9月3日、長崎に上陸したリンダウは、シーボルトなどと交流を深め、貿易を始めるためには、江戸幕府と条約を結ばない限り難しいことを知らされた。

 団長のリンダウが民間企業の出身でありながら政府を代表するという立場だったことや、日本人通訳がスイスをスウェーデンと誤訳したことなどから、なかなか幕府はスイス使節と会おうとしない。交渉は失敗しリンダウは日本を立ち去る。

巨額の資金をつぎ込むスイス

 再び交渉が始まるのは1861年。幕府がオランダの総領事を通して、プロイセンと同条件通商条約を結ぶ用意があるかと問い合わせてきたのがきっかけとなった。 

 知らせを受けたスイス政府は、10万フランの予算を充て、再び準備にあたった。当時のスイスの政府の総予算額は1千7百46万フランで、日本との交渉のための予算は軍事費を削減して捻出されたという。4万フランが日本への贈り物として地方の特産品などの買い付けに使われた。買い集めに時間がかかり、予定より遅れて使節は日本へ向けて出発する。前出の「1864年における日瑞外交の開始について」では、贈り物は「日本は条約締結の際、条項の上では、外国に認めた権利の対価を求めないものの、間接的な反対給付を寄贈品の形で求める」とスイス政府が日本を分析したから、とある。

 第2使節の団長エーメー・アンベール率いる6人は、1863年4月9日長崎に到着。その年は、幕府との会談は成立しない。最終的に、プロイセンとの条約と同等の条件、つまり、スイスの希望が全面的に認められ、通商条約が結ばれた。条約は2月6日に署名され、同時に発効した。本国から帰国を急かされていたアンベールは、その日のうちにオランダの軍艦で日本を出国した。

 巨額の資金をつぎ込んだことに対してNZZは、「自分の力以上の冒険をしてはいけない」と批判したが、スイス人の持ち前の粘り強さで通商条約は成立して以来、スイスにとって日本は重要な貿易相手にとして今日に至っている。

通商条約とカーニバル

 スイスの発祥の地シュヴィーツ。春を告げるカーニバルでは、5年おきにヤパネーゼン・シュピールという「日本人劇」が上演される。地元のスイス人の名士ばかりで構成されるヤパネーゼン・ゲゼルシャフト、「日本人会」がすべてを担う。「日本人劇」は通商条約の成立に先駆け、スイスが江戸幕府との交渉に難航していた1863年に初上演された。現在は、3万5千フランの費用と出演者が百人にも上る大規模な劇である。

 シナリオは毎回書き直されるが、大筋は同じ。通商を迫る使節は、貿易で得られるであろう利益に目がくらみ、性急になる。一方、テンノウはすべてをお見通。スイス人をたしなめ、正直で誠実であることの大切さを諭す。今年のテンノウに任命されたペーター・シュタインエッガー氏は、「シンプルであることは価値のあること、というメッセージを伝えている」と、劇はスイス人を諭すことにあると語る。
 現地に16年住む主婦の押川恵美さんは、「日本との通商交渉を一度失敗したという経験を忘れず、いままで語り継いで来たことに意味がある」と見る。

 日本との通商外交の歴史が小さな田舎町に140年の間、言い伝えられて来た。スイスと日本の交流の意味の深さを物語る一面と言えよう。

スイス国際放送 佐藤夕美 (さとうゆうみ)

2003年のスイスの貿易
輸出総額1千3百7億フラン
輸入総額1千2百38億フラン
日本への輸出額51億4千万万フラン
日本からの輸入額26億4千万フラン

スイスにとって日本は
輸出で6番目
輸入で11番目の貿易相手国(2002年)

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SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部

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