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チャップリンの思い出 ~ コルジエ・スル・ヴヴェイ(Corsier-sur-Vevey)

チャップリンの思い出を語るエリザベス夫人とご主人のフィリップ氏。声楽家のフィリップさんはヴヴェイ音楽院でチャップリンの3男クリストファーに楽典を教えた

(swissinfo.ch)

これからの季節、レマン湖畔は世界中から訪問者を迎え賑わいます。レマン湖を目前にして、その背後に延々と続く葡萄畑の景観は美しく、文化遺産に登録されているラヴォー地区などこの地域は昔から多くの人を魅了してきました。この美しい景色をこよなく愛した訪問者の中には、王侯貴族をはじめ芸術家、音楽家や文豪もいます。喜劇王チャーリー・チャップリンもその一人でした。彼は晩年25年間をスイスで過ごしています。今回はこのチャップリンゆかりの地を紹介します。

 映画俳優、映画監督、コメディアン、脚本家、映画プロデューサー、作曲家、と幅広い活動をしていたチャールズ・チャップリン(Charles Chaplin、1889-1977)が選んだ地はヴォー州(Vaud)コルジエ・スル・ヴヴェイ(Corsier-sur-Vevey)でした。マノワール・ド・バン(Le Manoir de Ban)という葡萄畑を臨む14ヘクタールの広大な邸宅に、ウーナ・オニール・チャップリン夫人(Oona O’Neill Chaplin、1926-1991)と4人の子供たち(スイス在住中さらに4人生まれる)と共にアメリカから移り住んだのは、チャップリンが63歳の時でした。

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 チャップリンの生い立ちは複雑です。ロンドンの貧しい地区で寄席芸人として生計を立てていた、両親の間に生まれたチャップリン。1歳のときに両親が離婚し父親はアルコール依存症で死去。母親も精神に異常をきたして施設に収容されます。幼い頃から孤児院、貧民院を転々とし、どん底生活を強いられたチャップリンは生きるため様々な職業に就きます。俳優斡旋所に通いパントマイム劇などを演じて暮らしていましたが、1908年頃から若手スターとして活躍するようになり、1918年にはハリウッドのみならず世界的な名優となります。

 しかし、第2次世界大戦後の冷戦を背景に、アメリカではチャップリンの作風は容共的であると非難され、1947年の作品『殺人狂時代』以降、彼に対する非難は最高潮に達します。1950年代には赤狩りを進めるアメリカ下院非米活動調査委員会から何度も召喚命令を受けています。そして、ついに1952年、『ライムライト』のプレミアでロンドンへ向かう途中、トルーマン政権の法務大臣から事実上国外追放命令を受けたのでした。これが、チャップリンがスイスへ来た背景です。

(swissinfo.ch)

 チャップリンと聞くと、独特なメイクにちょび髭、山高帽、ぶかぶかのズボン、大きな靴に杖という扮装が目に浮かぶ方が多いのではないでしょうか。高速道路脇にある名所案内の標識やスイス連邦鉄道ヴヴェイ駅(Vevey)近くにあるビルの壁画はどれもこのチャップリンスタイルです。ヴヴェイ駅で下車し、レマン湖畔を東に向かって散策するとチャップリンの銅像があります。この銅像もやはり映画のチャップリンです。胸元に一輪のバラを持っていますが、バラの咲く季節には誰かが切りバラを飾ります。私が訪れた日は真っ赤なバラが山高帽の上におしゃれに置いてありました。ふと、ベルン(Bern)のバラ公園で見つけた「チャーリー・チャップリン」という淡い黄色の交配種のバラを思い出しました。

 素顔のチャップリンはどんな人だったのでしょう。子供の頃はチャールズ・チャップリン邸宅、大人になってからは長女ジェラルディン・チャップリン(Geraldine Chaplin)の家の近所で暮らしたエリザベス・ギブス夫人(Elisabeth Gibbs、トップ写真)に話を聞きました。

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 いろいろなエピソードを聞いて感じたのは、チャップリンは外出してもファンに取り囲まれることのないコルジエ・スル・ヴヴェイでの生活に満足していたことです。送迎車付きとは言え、彼の子供たちは地元の学校へ通っていましたし、学芸会があるとチャップリンは一人でやってきて、地元の児童を含め子供たちの演技を楽しみました。エリザベスさんの妹ミシュリンさん(Michaline)の演技も褒めてくれたそうです。娘のジェラルディンさんは地元の子供たちの誕生会にも来てくれ仲良く遊びました。帽子に白い運動靴という恰好でいつも散歩に出かけたチャップリンに、人々は名優というよりコルジエの一市民として接するよう心がけていました。

 また、チャップリンはクニー・サーカス団(CIRQUE KNIE、2012年11月15日付ブログ「今年もサーカスがやってきた」で紹介)のヴヴェイ公演を毎年楽しみにしていました。チャップリンにとっては1976年秋の公演が最後の観覧となりましたが、その公演に車椅子で来ていたチャップリンにスポットライトが当たり、映画『ライムライト』のテーマ曲が流れると観客席から拍手喝采が起こった、とサーカス会場にいたエリザベスさんの夫で声楽家のフィリップさん(Phillip Gibbs、トップ写真)は語ります。

 1977年12月25日早朝、当時病院勤めをしていたエリザベスさんは、帰宅途中いつもならクリスマスライトで美しいチャップリン邸の大きな樅の木に電気が灯っていないのを見て彼の死去を察したそうです。

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 チャップリンのお墓はコルジエ・スル・ヴヴェイにあります。ウーナ夫人のお墓と並んでいて、いつもきれいに手入れしてあります。チャップリンが亡くなった翌年3月には、棺(ひつぎ)が金銭目的で盗まれる事件が起こりました。11週間後、墓地から17km離れたレマン湖畔の畑で棺は発見されました。この現場には大きな十字架とともに「チャーリー・チャップリン、この平和な場所で安らかに眠る 1978年3月」と刻まれた記念のプレートが置いてあります。コルジエの墓地に戻されたチャップリンの棺はコンクリートで固められています。

(swissinfo.ch)

 お墓からさほど遠くない所にチャップリン公園があります。この公園からは、ヴヴェイの街とレマン湖を見渡すことができます。ブロンズ製のチャップリン帽と杖はコルジエに住んでいた彫刻家の作品です。チャップリンは亡くなった今も、ギブス夫妻や大勢のコルジエ・スル・ヴヴェイの人々の心の中で思い出となって生き続けています。

 チャップリンが幸せな晩年を過ごしたコルジエ・スル・ヴヴェイの邸宅及び敷地はまもなくチャップリン記念館「チャップリンズ・ワールド(Chaplin’s World)」となります。記念館の構想から条件が整うまで10年という歳月が必要でした。また、チャップリンの棺盗難事件をテーマとした映画が現在撮影されています。

 まずは、製作中の映画の公開を楽しみにするとして、2015年には、いよいよチャップリン記念館のオープンです。チャップリンが愛したコルジエ・スル・ヴヴェイの邸宅で、チャップリンは多くのファンから末永く愛されることになるでしょう。

小西なづな

プロフィール:小西なづな

1996年よりイギリス人、アイリス・ブレザー(Iris Blaser)師のもとで絵付けを学ぶ。個展を目標に作品創りに励んでいる。レザンで偶然販売した肉まん・野菜まんが好評で、機会ある毎にマルシェに出店。収益の多くはネパールやインド、カシミア地方の恵まれない環境にある子供たちのために寄付している。家族は夫、1女1男。スイス滞在16年。

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