ヒンギスの復活はないのか

女子テニス、世界ランク1位を209週間制覇したマルチナ・ヒンギス選手は右足首の靭帯故障で22歳という若さでテニス界から引退した(2002年、10月)。ヒンギスが現在の心境をスイスインフォ(スイス国際放送)、フロワドボー記者のインタビューで語った。
女子テニス協会(WTA)のプロ選手権に戻らないのですかという質問に対し「人生で確かなことなんてないでしょ」と笑っていたが、密かに医学の奇跡がないか願っているようでもあった。
スイスインフォ: WTAのプロ選手権に復活しないと決心したのですか?
マルチナ・ヒンギス: 何が起こるか分からない人生で誓うなんて意味がないでしょう。私は引退するという難しい決断をしなくてはならなかった。医学的奇跡でも起こらない限り、復帰は難しいでしょう。
いずれにせよ、長いことテニスコートから離れていればいるほど、世界のトップに戻るのは困難でしょう。テニスは常に進歩しているから。人生には困難でも受け入れなければならないことがあります。現在、苦味を感じていないのは私が現役時代、ずっと運がついていたからです。
テニス界で素晴らしい経験をしました。今でも、ウィンブルドンやローランギャロス(全仏オープン)で活躍するのは難しいことです。もう一度、前と同じレベルでコートに戻り、あの特別な雰囲気を味わいたいとは思います。しかし、それができないので、他のことをしているのです。
スイスインフォ: モニカ・セレス(米国)選手とジェニファー・カプリアティ(米国)選手と今も交流があるようですが、彼女たちは一度、テニス界から去ったと思われていたのに復帰し、再び試合に勝っています。時間が掛かっても戻ってこなくてはとは思わないのですか?
マルチナ・ヒンギス: 私が辞めるという決断したというより、私の体がやめることを強いたのです。数年いろんな手術でほんとうに辛かった。歩けなくなったり、スポーツができなくなったりする前に辞めなければならなかったのは残念です。もちろん、けがをしていなかったら未だにプレイをしているでしょう。
スイスインフォ: 競争が恋しいですか?
マルチナ・ヒンギス: 私にとって競争は毎日続いています。特に、勉強の面でね。(ヒンギス元選手は14歳で学校を休学しプロ入りしたため、現在復学中)競争って何かにベストを尽くすっていう精神のあり方ではないでしょうか。これからの新しい人生でもそういう姿勢で取り組みたいと思っています。
スイスインフォ: 最も嬉しかった瞬間や最悪の思い出はどれですか?
マルチナ・ヒンギス: 最高とか最悪の思い出というものはありません。始めてのトーナメントだったグランド・スラムの勝敗は全て人生経験でした。高レベルだと、勝利に酔いしれるのと負ける苦味とは紙一重。でも生きるか死ぬかといった問題ではありません。常に新しいチャンスが訪れるのです。
スイスインフォ: あなたはスイスから初めての4大大会チャンピオンとしてテニス史に残りますが、先日のロジャー・フェデラーの勝利についてどう思われましたか?
マルチナ・ヒンギス: もし、私がその道の先駆者となったのなら、嬉しいですね。彼にとっては素晴らしいこと。あの瞬間の「やった!」と感じる気持ちはよく分かります。彼が世界1のランクに上がれることを願います。スイスにとってはいいことです。
スイスインフォ: あなたは8歳(1980年)のときにスロバキアからスイスに移住しました。いまは、フロリダにも家を持っていますが、どこが一番自分の家という気がしますか?
マルチナ・ヒンギス: フロリダの家はトレーニングのために理想的でした。が、いまは休暇で使うか米国に用事があるときにしか行きません。
スイスインフォ:あなたは小さいときから母親がトレーナーでしたが、もし子供ができたら同じようにしますか?
マルチナ・ヒンギス: 母親とはいつも良い関係で、今も良い友だちです。私にとって家族は何よりも大切。もし、二つを両立できるのならいいでしょう。わたしの子供には、スポーツに感心を持つように仕向けるでしょう。スポーツは人生の学校であり、人間の絆を強くはぐくんでゆくからです。その後の決断は子供しだいでしょう。
スイスインフォ: 未だにテニスコートに入ると線の上を歩かないように気をつけているのですか?
マルチナ・ヒンギス: まさか。全てそんなことは忘れたわ。昔の縁起かつぎは新しい生活には必要ないわ!
スイス国際放送、(マルチアス・フロドボー、翻訳、屋山明乃)

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