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「百の谷」を駆け抜けるスイスの絶景路線 チェントヴァッリ鉄道100周年

ティチーノ州テグナ教会前を通るBCFe 4/4, 18型電気機関車の白黒写真
ティチーノ州テグナ教会前を通るBCFe 4/4, 18型電気機関車。1925年8月24日撮影 スイス交通博物館

スイス南部の深い渓谷の絶景を走るチェントヴァッリ鉄道は、83の橋と31のトンネルを通ってティチーノ州ロカルノとイタリア・ドモドッソラを結ぶ。ゴッタルド鉄道とシンプロン鉄道間の乗り継ぎには最短・最速ルートでもある。険しい山岳地帯に敷設されたこの伝説的な狭軌鉄道が2024年、100周年を迎えた。

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20世紀初頭まで、チェントヴァッリ渓谷とヴィジェッツォ渓谷を行き来する道は、ロカルノ、ドモドッソラのどちらからも存在しなかった。1907年に最初の道路が開通するまで、この2つの渓谷を結んでいたのは狭く険しい馬道だけだった。

その後、鉄道敷設も検討された。ロカルノ市長のフランチェスコ・バッリ(1852~1924)、教師のアンドレア・テストーレ(1855~1936)、技師のジャコモ・ズッター(1873~1939)が中心となって建設計画を進め、フランスのフランコ・アメリカ銀行から融資取付けに成功した。そして1909年にスイスでティチーノ州地域鉄道(FRT)が、1912年にイタリアでアルプス山麓鉄道(SSIF)が設立された。

だが銀行が経営難に陥って1913年に破綻し、工事は遅れた。資金問題に加え、第一次世界大戦の勃発も計画に打撃を与えた。1915年に参戦したイタリアでは、労働者の多くが前線に召集されるようになった。1918年、スイスとイタリア王国は、この鉄道事業における両国と各鉄道会社の権利と義務を明確に定める協定を結んだ。同協定は現在も効力を持つ。

チェントヴァッリ鉄道建設中の作業員の白黒写真 
チェントヴァッリ鉄道建設では基本的な道具しか使えないこともあった。労働者にとっては過酷な作業だった  ティチーノ州地域鉄道アーカイブ

ロカルノとマッジア谷の路面電車

大小の深い峡谷と絶壁に囲まれた山岳地帯での鉄道敷設は、多くのトンネルと高架橋を建設する必要があり、極めて大胆で困難な作業となった。イングストリア渓谷やグラリア川、リベラスカの石造りの橋のほか、イゾルノ川に架かるイントラーニャ橋、カメドのルイナッチ橋はスイスで最も美しい鉄橋に数えられる。

イントラーニャのイゾルノ川に架かる建設中の鉄橋のセピア写真
イントラーニャのイゾルノ川に架かる建設中の鉄橋。1916年ごろ  スイス国立博物館

トンネル建設のほかに、一部の区間では電化システムの見直しが必要だった。チェントヴァッリ鉄道は、ポンテ・ブロッラとロカルノ駅の間で、ロカルノ市営路面電車とマッジア渓谷鉄道(ロカルノ~ポンテ・ボロッラ~ビニャスコ線)と線路を共有するためだ。マッジア渓谷鉄道は、谷間の採石場とゴッタルド鉄道やマッジョーレ湖の湖上輸送をつなぐ目的で、1905年に建設された。

FRTは管理契約で市電とマッジア渓谷鉄道を引き受け、それまで採用されていた交流電化方式を廃止して、チェントヴァッリ鉄道に合わせた直流電化方式に切り替えた。大規模な改修計画の一環として、レーティッシュ鉄道(RhB)から2両、ジュネーブから1両(「サレーヴ」)の蒸気機関車を購入した。そして1923年11月25日、ミラノの鉄道車両メーカー「カルミナーティ&トセッリ」製の電気機関車を導入してこの狭軌鉄道が正式に開業した。

第二次世界大戦中の希望の光

第二次世界大戦が始まって国際列車の接続はほぼ完全に断たれたが、チェントヴァッリ鉄道は大幅な間引き運転で運行を続けた。燃料が配給制になり個人移動が厳しく制限されたことがFRTに有利に働き、鉄道利用者は増加した。

多くの民間避難民やパルチザン、脱走兵、そして窮地に立たされた外国軍部隊にとって、スイスの国境はその命運に関わる重要な意味を持っていた。物資や武器の密輸、不法越境は空前の規模に達した。その多くは自然的に設けられた国境越しに行われていたが、成功したかどうかは別として、チェントヴァッリ鉄道を使った密輸や越境もあった。

スイス赤十字社が手配した列車の窓から顔を見せる避難者たちの白黒写真
スイス赤十字社が手配した列車の窓から顔を見せる避難者たち。1944年ごろ  スイス赤十字社アーカイブ

イタリアの降伏を受け、1943年9月18日、スイス当局は国境閉鎖を決定し、わずかに続いていた往来は停止した。1944年9月10日にはイタリアのパルチザンがファシスト軍を撃退し、スイス国境近くにオッソラ共和国の設立を宣言した。共和国は44日間存続した。

この混乱期、特に同年10月にファシスト軍がこの地域を奪還した後、何万人もの人々がスイスのヴァレー(ヴァリス)州とティチーノ州に逃れた。避難者の多くはチェントヴァッリ鉄道でロカルノに向かい、ティチーノ州内の避難民キャンプや地元住民の家に身を寄せた。

インフラ整備計画と世紀の暴風雨

第二次世界大戦後の利用者増に加え、1950年代初頭まで貨物輸送には高い需要があった。マッジア渓谷の水力発電所やパラニエドラ・ダムの建設資材輸送を受けて、輸送量が年間10万トンを超えることもあった。

パラニエドラ貯水池の建設工事現場の白黒写真
パラニエドラ貯水池の建設工事では、資材がチェントヴァッリ鉄道の貨物列車(写真左上)で運ばれ、シュートを使って直接工事現場に搬入された。1950年代 マッジア水力発電会社アーカイブ

運行開始から25年が経過し、鉄道の全面的な改修が必要になった。FRTは1952年にマッジア渓谷鉄道と合併。老朽化していたロカルノの路面電車は1950年代半ばに路線バスに置き換えられ、1960年に廃止された。その翌年、同社はティチーノ州地域鉄道・バス会社(FART)に社名を変更し、バス事業を正式に統合した。続いてマッジア渓谷でもバスが重要な交通手段となり、1965年11月28日、マッジア渓谷鉄道はビニャスコ発ロカルノ行きの旅を最後に幕を閉じた。

チェントヴァッリ鉄道は1950年末に新車両を導入し、スイス側の架線を全て刷新した。一方イタリア側では、曲がった栗の木で作られた架線柱の大半が残るなど、技術的な遅れがさらに顕著になっていた。スイスの支援で鉄道の改修が完了したのは、1970年代に入ってからだった。

だが、改修工事から間もない1978年8月7、8日、イタリア側で前代未聞の激しい暴風雨が発生。レ~オルジア間では数百メートルにわたって線路が流され、3つの橋が崩壊、多くの土木構造物が損壊した。鉄道土木技師団が不眠不休で被災区間の復旧作業に当たり、1980年9月28日、全線で運航が再開した。

1978年8月の暴風雨で損壊したチェントヴァッリ鉄道のイタリア側の線路の白黒写真
1978年8月の暴風雨で損壊したチェントヴァッリ鉄道のイタリア側の線路  Keystone

その後、スイス側では大規模なインフラ整備計画が始まった。チェントヴァッリ鉄道の終点となるロカルノ駅は、駅前広場の混雑に対応できなくなっていた。その解決策となったのが、サンタントニオとムラルトを結ぶ長さ2.59kmのトンネルと地下駅の建設だった。ロカルノの「ミニメトロ」と呼ばれるこのトンネル区間は、当初予算の3800万フラン(現レートで約65億円)を遥かに超える1億3000万フランを投じて完成し、1990年12月17日に開通した。

地上のロカルノ駅前広場を走っていたころのチェントヴァッリ鉄道の写真
地上のロカルノ駅前広場を走っていたころのチェントヴァッリ鉄道。1967年 連邦工科大学チューリヒ校(EPFZ)図書館アーカイブ

世界でも群を抜く絶景路線

ロカルノとイタリア・ドモドッソラを結ぶこの鉄道(スイス側では「チェントヴァリーナ」、イタリア側では「ヴィジェッツィーナ」と呼ばれる)は、美しい自然と地域の歴史や生活を物語る景観の中を、縫うように走り抜ける。車窓の外には深い渓谷、川、銀白の山並み、滝、栗の木の森、ブドウ畑、草花咲き乱れる草原のパノラマが広がる。途中下車していくつかの博物館(サンタ・マリア・マッジョーレの煙突掃除人博物館など)や密売人たちが通った小道を訪ねれば、かつての人々の質素な暮らしや厳しい日常に思いを馳せることもできる。

標高900mに位置するサンタ・マリア・マッジョーレは路線の最高地点の村で、愛らしい広場や狭い路地、伝統的な建物が魅力だ。この鉄道は線路沿いの景観の美しさはさることながら、ティチーノ州から首都ベルンやフランス語圏に最速で向かえる移動手段でもある。

時代の進歩に合わせ、チェントヴァッリ鉄道も障がい者平等法の現行要件に対応する必要が出てきた。FARTは2020年末、鉄道車両メーカー「シュタッドラー・レール」に、障がい者など多様な乗客により配慮した新型車両8両を発注し、2024年に最初の1両が納入された。

秋の気配をまとうカメド近郊のルイナッチ高架橋の写真
秋の気配をまとうカメド近郊のルイナッチ高架橋  ティチーノ州地域鉄道

ジャン・リュック・リッケンバッヒャー氏は歴史家でルツェルンのスイス交通博物館学芸員。

仏語からの翻訳:由比かおり 校正:大野瑠衣子

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