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スイスが独立を守り続けること – 要塞博物館にて

8月1日はスイス中で花火が打ち上げられる swissinfo.ch

今日、8月1日はスイスの建国記念日。大きな都市も小さな村もそれぞれが花火や焚火で建国を祝う。日本人がスイスの平和について語るとき、永世中立という言葉とアルプスの牧歌的な光景をイメージすることが多い。けれど、スイス国民は平和にパイプをくゆらしながら牛を追っているだけで独立を守ってきたわけではない。今日は、要塞博物館を紹介しながら、私がスイスの国防について考えたことを述べようと思う。

 毎年、建国記念日が近づくと思うことがある。スイスのスーパーマーケット、レストラン、それにおもちゃ屋などがスイス国旗で真っ赤になってしまう。各家庭も州の旗と一緒に赤地に白い十字の有名な国旗を掲げる。建国記念日の食卓を飾るためにランチョンマットや紙コップ、楊枝もスイス国旗柄、そして大量の花火がこの日に消費される。大人も子供も建国記念日を心から祝うのだ。2月11日建国記念の日に、日本が国を挙げて祝っているという光景を私は見た記憶がない。家庭によっては国旗を門に掲げることもあるが、市町村がこぞって花火を打ち上げて祝ったり、テレビでお正月のような特別番組を流したりはしない。どうしてだろうか。

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 日本とスイスの建国記念日に対する意識の違いは、独立国であることへの意識の違いではないかと思っている。日本では、自衛隊に本人や家族が入隊しないかぎりは国防というものを意識することは非常に少ないと思う。自分とは関係のないものだと認識している人がほとんどではないだろうか。スイスではそうではない。日本が海に囲まれ、1500年以上にわたり何回かの国難以外は特に意識もせずに独立を守ってきたのに対して、スイスは小さいけれどヨーロッパの交通の要所をいくつも抱えるため、常に周りの強国に独立を脅かされ続けてきた。そのことがこの国を現実的で具体的な国防に向かわせたのだと思う。スイス国民のほとんどは軍国主義者でない平和を愛する人たちだが、多くの成人男性が隣国からの侵攻に備えた軍事訓練を受けている。そのことが、彼らと彼らを支える家族の「国とは自分たちが守るから存在し続ける」という意識を作り出しているように思う。

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 「平和」という言葉を語る時に、多くの日本人が抽象的で理想論を語るのに対し、スイス人は具体的で現実に即した話をする。「戦争はよくない」という出発点は同じでも、「家に鍵をかけないですむ世界はすばらしい」と語るのではなく「鍵をかけないで泥棒に入られたと嘆くのは愚か者だ」という態度なのだ。

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 スイスには徴兵制度がある。職業軍人だけではなく、有事には一般の男性もすぐに国防に従事できるよう、兵役にあたる年齢の男性は、年に数週間の訓練を受けている。普段、道を歩いていると横を戦車が通り過ぎていくし、週末に電車に乗ると家に帰る軍服姿の青年をよくみかける。射撃訓練に向かう途中なのか、背中にマシンガンを背負った人が自転車で通っていく。同僚を数週間見かけないと思ったら兵役だという。私は外国人で女性だが、これほど身近にスイスの国防を感じる。

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 先日、家から車で15分くらいのところにあるクレスタヴァルトの要塞博物館(Festungsmuseum Crestawald)に行ってみた。スイスにはかなりの数の要塞博物館がある。かつて実際に秘密要塞として使われていた場所が役目を終えた後に民間に委譲されて公開されたのだ。

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 クレスタヴァルト要塞は、1939年のドイツのポーランド侵攻を機に、スイスが侵攻された場合を想定して作られた。グラウビュンデン州のサン・ベルナルディーノ(San Bernardino)峠とシュプリューゲン(Splügen)峠の双方を射程範囲にした二つの大砲を備えていた。つまり、イタリアからの侵攻に対して備えていたのである。この基地では1995年にその役割を終えるまで、実際に定期的な訓練がなされていた。20km先のサン・ベルナルディーノ峠の目標を誤差20mという正確さで射撃する訓練である。さらに、敵軍がこの防御をくぐって峠を越えた場合を想定して、マシンガンによる戦闘の訓練もしていたのだという。

 岩山を掘って作られたこの要塞は4階に分かれており、全て見学するのに2時間近くかかる。90人近くの兵士たちが24時間三交代で勤務していたという。ひんやりとした博物館には、実際に使われていた大砲、マシンガン、通信機器などが展示されている。共同生活をした食堂や寝室、医務室なども公開されていて、実際に彼らが大砲を撃つ訓練をしている様子もDVDによる映像で観ることができる。

 外は風光明媚なスイスの田舎道で、夏の休暇に出かける人びとがのんびりと車で通り過ぎていく。道からは巧妙に隠されているので、ここに要塞があったとはまず気づかない。第二次世界大戦が終わっても60年にわたり、ここで私たちの近くに住むごく普通のスイス人が極秘で訓練をしていたのだ。そして、実はこの近くにまだいくつも現役で使われている基地があるのだと言う。そして、訓練をしている兵士たちは、私が普段一緒に仕事をしているごく普通のスイスの青年たちなのだ。

 ここで私がいいたいのは、徴兵制があり軍事訓練を怠らないスイスの方がいいということではない。徴兵制や軍隊を持つことがいいとは思ってない。世界中に軍隊のまったくない平和な世界が実現されたらどんなにかいいだろうと思う。注目すべきは身近に存在する国防が、国民の意識を大きく変えているという事実だ。日本でも国境の問題や近隣諸国との摩擦で憲法改正論が持ち上がっているが、大半の国民は国防についてどこか他人事だと思っている。何かあったら防衛のために武器を取ることがあるとしても、それは自分や自分の配偶者ではないと感じていると思う。

 スイスではそうではない。毎年、訓練に参加し大砲やマシンガンを撃つ。訓練で撃っているのは人間ではない標的だけれど、本当に戦闘となったら、国から招集されたら否が応でも誰かを撃たなくてはいけないことを知っている。だからこそ、国が侵攻を受けそうな状況に置かれる前に外交的努力で解決されることを強く望むのだろうし、その分政治への関心もずっと高い。日本における人びとの政治関心の低さとは全く違っている。国の政治を預けるのに、名前を知られているだけで政策もまともにないタレントを選ぶことはまずない。この国民の主体性がスイスと日本の大きな違いだと常々感じている。

 スイスの独立は当たり前に保障されてきたわけではない。自然の防壁や神頼みで実現されたわけでもない。長年にわたり一人一人の国民が主体的に守り続けてきたからこそ、現在独立国として存在している。建国記念日は、それを祝う日だ。華やかな花火を打ち上げ、赤地に白十字の国旗をデザインした提灯を掲げて、大人も子供も現在独立しているスイス連邦を祝う。自分たちで守り独立し続ける意志を持ったスイス国民の穏やかな強さを感じる夏の日である。

ソリーヴァ江口葵

東京都出身。2001年よりグラウビュンデン州ドムレシュク谷のシルス村に在住。夫と二人暮らしで、職業はプログラマー。趣味は旅行と音楽鑑賞。自然が好きで、静かな田舎の村暮らしを楽しんでいます。

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SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部

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