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支援から交流へ


手焼きのパンが運んだ友だちの輪


小山千早(こやま ちはや), シュタンスにて


自分たちで作った和食を前に。左から小澤大地さん、大坂玲臣さん、平田福之助さん、平田美礼さん、新沼奈々さん、須藤秋歩さん (swissinfo.ch)

自分たちで作った和食を前に。左から小澤大地さん、大坂玲臣さん、平田福之助さん、平田美礼さん、新沼奈々さん、須藤秋歩さん

(swissinfo.ch)

中央スイス、ニトヴァルデン準州の村シュタンス(Stans)。8月10日の夕方、教会近くの、とある建物に入ると日本のカレーの匂いが漂ってきた。ここは「日本の夕べ」の催し会場だ。カレーを作っているのは、東日本大震災で大きな被害を被った岩手県大船渡(おおふなと)市の子どもたち。6日から16日まで、中高生6人がスイスを訪れている。

「シュタンスは花や自然がいっぱいで大船渡みたい。リラックスして過ごせる」「言葉は通じないけど、みんな親切でやさしい」。大船渡の子どもたちからは、そんな明るい声が聞こえてきた。この6人をスイスへ招くきっかけを作ったのは、シュタンスの子どもたちだ。

 ことの始まりは手焼きのパンだった。2011年3月11日に発生した大津波の恐ろしい映像は世界中を駆け巡り、各地各国から温かい支援が続々と日本に届いたことは周知だが、当時、スイスの山間部にある小さな村シュタンスでも義捐金が集められた。その中心になったのは、シュタンスの公立学校に通う13歳の男女22人。この交流プロジェクトのまとめ役の1人、マリア・オッパーマンさん(51)が担当する、学校の授業とは別に行われる宗教の授業を受けていた生徒たちだ。

 子どもたちはそれぞれ自宅でおやつのパンを焼いた。1週間で1000個を焼き、パンの上に手描きの日の丸を立てて、福引用の通し番号をつけた。地元の商店にスポンサーになってもらって、CDやゲームなどが当たるようにしたのだ。学校や路上で呼びかけ、売り上げは約8万円になった。

 「午前中の休憩時間には、みんなよくパンを食べるの。近くにパン屋さんがあるけど、それより安く売ったこともあって、みんなこっちを買ってくれた」と約1年前の出来事を思い出すのはアレクサさん(14)。キャラさん(14)、ステラさん(13)とともに募金活動を率いた。マリアさんは「みんなエネルギッシュで、温かい思いやりを感じた。子どもたちがこのような活動を行うことは、被災地支援という意味だけでなく、育成という面においても有意義」と喜ぶ。

 この募金活動は上級生や保護者の間にも広がり、最終的に30万円がカトリック大船渡教会の付属幼稚園「海の星幼稚園」に寄付された。この寄付先探しに協力したのが、震災後オッパーマン夫妻と親交を深めた、三重県名張市在住の内田伊三雄(いさお)牧師(81)と妻のイレーネさん(68)だった。イレーネさんはスイスの出身で、日本に住んで40年以上になる。この2人も子どもたちに同行して、シュタンスに滞在した。

難関

 シュタンスの子どもたちが集めたお金で、海の星幼稚園は砂場の屋根を作った。そのお礼に園児たちが絵を描いて送リ、それをシュタンスで展示したりカードにして売ったりした。さらに、この活動に共感したスイス在住の日本人女性音楽家たちがチャリティコンサートを開き、その収益金50万円が大船渡市立綾里小学校に寄付された。これは、給食の配膳ワゴン6台の購入に充てられた。

 そして昨年10月には、両牧師夫妻の間で「お金を送るだけではなく、大船渡の子どもたちをスイスに招待しよう」という話に発展した。

 しかし、ここからがたいへんだった。「幼稚園の子どもたちは小さすぎて無理だと言われ、もう少し大きい子どもたちを対象にすることにした。大船渡の役場を通じて各学校に希望者を募る書類を配布してもらおうとかけあったが、協会などの団体ではなく個人で行うプロジェクトだったため、協力できないと断られた。在スイス日本大使館にも相談したが、後援はいただいたものの、やはり大船渡市に働きかけることはできなかった」とイレーネさん。

 一方スイスでは、マリアさんと夫のリュディガーさん(58)がジリジリしながら月日がたつのを見送っていた。リュディガーさんは牧師で、以前から日本に深い関心を持っており、2人は実は震災直前の2011年3月に日本を訪れていた。マリアさんの方はもともと日本に全く関心がなかったが、旅行中、日本文化や日本人の注意深い気配りに触れ、心を打たれたという。

 オッパーマン夫妻はこうして突然日本と深いかかわりを持つようになった。しかし、スイスへ来る子どもたちが集まらないのでは募金活動もできない。「お金を集める時間が短かかったことが一番の苦労だった」とマリアさんは振り返る。

言葉は通じなくても

 このような状況を打開したのが、ある人の提案だった。「よし、こうなったら、大船渡の教会に属している子どもたち全員に申し込み用紙を送ろう」。送ってみると、中学1年から高校1年までの6人から次々に申し込みが届き、保護者の賛同もすんなりと得られた。それが今年の6月のことだった。シュタンスでは、教会の関係団体から寄付を募るなどして短期間で6人分の渡航費を集め、日本側でも支援を募り8月の渡航を実現させた。

 その子どもたちは、シュタンスでまずホームステイを体験した。中学3年の平田福之助さんは、女の子が3人いるカイザー家に泊まった。「来る前は期待と不安でいっぱいだったけど、ホームステイは楽しかった」とはにかみながら笑みをこぼす。「パンを売ってスイスへ呼んでくれたみんなに感謝の気持ちを伝えたい」と参加した。大船渡では、祖父や父親の仕事場が津波で流された。「よく遊びに行っていて思い出がたくさんある場所が無くなってしまい、とても悲しかった」。だが、「スイスでは震災を忘れて楽しめる」と元気だ。

 「彼の滞在はとっても快適だった。またこういう機会があったら、ぜひ参加したい」と顔をほころばせるのは、福之助さんを自宅に泊めたエヴァ・カイザーさん。「言葉がもう少し通じたら」と言いながらも、「iPadで翻訳したり、ジェスチャーを使ったりしてなんとかなった」と夫のロルフさんもにこやかだ。

 中学1年の平田美礼(みれい)さんは「外国へ行きたかったし、震災のことを忘れないでと伝えたかった」とスイスへやって来た。出発前は「スイスの人のことを知らないのでドキドキした」が、いざ来てみると、みんなやさしくて親切だった。「日本と同じ感覚で生活できる。スイスと日本は似ている」と言う。スイスのチーズも好物になったようだ。

 この6人は、マリアさんが「スイスに来て以来、みんな疲れを知らないように、いつも元気で動き回っている」と目を丸くするほど活発だ。毎日、スポーツや観光、ワークショップなど、スケジュールが詰まっている。日本から付き添ってきたイレーネさんも「津波で破壊された町で思うがままに遊べない子どもたちが、ここで思いっきり楽しんでいるようだ」と満面に笑みをたたえる。

深まる交流

 「日本の夕べ」の会場に、カレーやてんぷら、豆腐入りサラダ、焼きそば、お好み焼きが並んだ。ホームステイの受け入れ家族や、このプロジェクトの発端となったスイスの子どもたちもテーブルについた。言葉の壁に隔てられたスイスと日本の子どもたちは、二つのグループに別れたまま。だが、夕食が終わると、全員揃ってあっという間に外の庭へと消えた。「まだほとんど話をしていないけど、仲良くなりたい」と言っていたステラさんは、誰と一緒に遊んでいるのだろうか。

 ふるさと大船渡では、自宅を流されて仮設住宅に住んでいる子もいる。制約の多い日常を忘れ、異なった環境のスイスで過ごす時間をみんな満喫しているようだ。だが、子どもたちの心が被災で負った傷の深さも垣間見える。福之助さんは「特別楽しいことをしなくても、普通の生活ができるということが一番」とスイスに来て改めて思った。

 手焼きのパンから出発したシュタンスと大船渡の交流は、これからも広がっていきそうだ。今度は、シュタンスの子どもたちが大船渡を訪れる計画が持ち上がっている。「準備さえ整えば、来年にでも」とみんなの声が揃う。

swissinfo.ch

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