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カンボジア・アンコール遺跡の保存修復でスイスが奮闘

世界文化遺産に登録されているバンテアイ・スレイ寺院 swissinfo.ch

カンボジアのアンコールワットから北東へ約40キロ進むと、バンテアイ・スレイという名の小さな寺院がある。「女のとりで」という意味で967年に建立された。地球の反対側からやってきたスイス人のウーリ・サルツマンさんはアンコール遺跡の中で、ひときわこの寺院がお気に入りだ。

「バンテアイ・スレイは他に比べて小さくて、ほんの少しの時間があれば全てを観賞することができる。ちょうどスイスを連想させるんだ」と話す。サルツマンさんは灼熱の太陽の下で、カンボジア人と一緒にこの寺院の保存修復作業をしている。

サルツマンさんは、建築家や考古学者などスイスの各分野の専門家から編成されたチームの一員。カンボジアの文化遺産をカンボジア人の手で修復できるようにと、スイスは、現地で人材育成と修復活動を展開している。同チームは、スイス開発協力局から今後4年間で90万フラン(約7,500万円)の資金援助を受ける。

長い内戦の影響下で遺跡の管理が行き届かず、いつ崩れてもおかしくない状況の同寺院は、熱帯樹が石柱を破損したり、外国人観光客が押し寄せたりと、今も倒壊の危機にさらされている。

長引いた内戦

 カンボジアは第2次大戦後フランス植民地支配から独立した後、冷戦下のベトナム戦争に巻き込まれてしまう。

 ポル・ポト共産勢力が政権を握った1975年から同政権が崩壊する79年までには、知識人に対する粛清でアンコール遺跡の保存修復の作業をしていたカンボジア人の考古学者や技術者はほとんどが虐殺された。同政権下で、虐殺、強制労働による過労や病気などで200万人近くが死亡したと推定されている。

 79年にベトナム軍がカンボジアに侵攻。ポル・ポト派を首都プノンペンから追い出し、ベトナム傀儡政権を擁立するが、ポル・ポト派はその後も反ベトナム政策を掲げる米国や中国などから支援を受けゲリラ活動を展開。大国の利害でカンボジアの内戦は泥沼化していく。

 91年のパリ和平協定で内戦がようやく終結。アンコール遺跡は92年に国連教育科学文化機関(ユネスコ、本部パリ)の世界文化遺産に登録され、同遺跡の修復が国際協調の枠組みの中で行われることになった。

倒壊の危機

 スイスのチームが担当しているバンテアイ・スレイ寺院では、熱帯樹の太い根が絡みついて石積みを破損し、激烈な自然環境による破壊が今も続く。

 保存修復作業では、巨木を根こそぎ伐採するようなことはせず、石積みの負担になるところの部分だけを切り取るという。「自然も考古学の対象という考えから、寺院を保存するのと同じように自然もなるべく元の形に留めておこうという配慮からなんだ」とサルツマンさんは説明する。

 地盤沈下などで塔の一部が傾き、倒壊の恐れがある同寺院では、年に約100万人も押し寄せる外国人観光客も問題となる。

 「外国人がカンボジアを訪れることは、観光事業に貢献することだから喜ばしいことだけど、この寺院の保存修復のためには観光客の数を一定に抑えることも大切なことだ」とサルツマンさんは話している。


 スイス国際放送 ルイジ・ジョリオ   安達聡子(あだちさとこ)意訳

アンコール遺跡は92年、ユネスコの世界文化遺産に登録される。

同遺跡は、緊急の救済措置が必要とされるユネスコの世界遺産リストにも登録されている。

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SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部

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