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一期一会 フィリップ・ニーゼル氏

11月28日、在ジュネーブ日本総領事官邸で行われた勲章伝達式で、フィリップ・ニーゼル氏が旭日中綬章を受章した。在日スイス商工会議所の元会頭であり、2005年に開催された愛知万博ではスイス館の副館長として、天皇皇后両陛下の案内役も務めた。茶の湯の数寄者 ( すきしゃ ) としても知られる。

14歳から日本文化に触れ、日本語を学び始めて以来「日本とスイス間の経済や文化交流の促進と相互理解の増進に寄与したその功労」を賞するという今回の受章に至るまでの、「遍歴」を聞いた。

swissinfo : おめでとうございます。旭日中綬章というかなり位の高い勲章を、しかも61歳という若さで受章なさいました。

ニーゼル : ありがとうございます。それほど、たいした貢献をした覚えがないのに、こうした、高等なものをいただくというのは、いささか、驚きと言うのでしょうか…。恐縮してしまいます。文字通り、恐悦至極です。

swissinfo : 受賞の理由には、約30年前、在日スイス商工会議所の定款の作成に参加するなど、その創立の段階からかかわっていらっしゃったこともあると伺っています。

ニーゼル : それもありますが、第一に、日本語を勉強しまして、( わたしは )  一つの道具として ( 2国間 ) の交流に参加できるわけですね。スイスに興味を持っている日本人に対してスイスを理解していただけるように説明できる。また同時に、日本に来られるスイス人のみならず外国人に、日本の理解を深めるため、説明申し上げたり、案内したり、日本文化の美しいところを見ていただく。そういうことを三十数年にわたってやってきたことが、受章の1つの理由だと思います。

swissinfo : ご自分を道具としてというのは、だいぶご謙遜 ( けんそん ) ではありませんか。

ニーゼル : ヤッパリね。コミュニケーションには、共通の言葉が要るわけですね。相手の言葉を勉強するということは、相手の文化も理解するという意味もありますしね。日本人にとって、おそらく、日本語が分かる外国人ということになりますと、「あ、あの人は、それほど努力している、日本のことは嫌いではないのだな」ということになり、親近感を持つわけです。別にわたしはそれを狙ったわけではないのですが。それが、最終的に役に立ったのではないでしょうか。 

swissinfo : 日本との出会いは、すでに14歳の時と伺っています。しかも、すでに日本文学の無常観に触れられたと。

ニーゼル : 14歳の時に、日本という存在に興味が湧いたのがきっかけです。日本の古典を、仏、英訳で読んでいるうちに、興味がどんどんと深まって。原文でも読んでみたいと思って勉強を始めたわけです。父方の大好きだった祖父を亡くした時と重なっていますが、日本文学の根底には、無常観があると分かったのですね。

swissinfo : ニーゼルさんは、ジュネーブ大学では法学を勉強なさり、平行して日本語を在ジュネーブ日本総領事館で学ばれました。大学卒業後、日本政府の奨学金で1973年秋から1975年春まで日本に留学なさった。留学の前にスイスの外務省から日本の専門家は育てるつもりはないと間接的に言われ、入省を断念されたそうですね。

ニーゼル : 留学後一旦、スイスに戻り1975年、( 医薬品大手の ) チバガイギー本社に入社しました。1976年正月から、日本で働き始めました。そんな時、スイス外務省から、日本にスイスから専門家を送り込むのだがという相談を受けました。わたしはいささか笑いました。やはり、スイス外務省も考え方を改めてくれたのだなと嬉しく思ったわけです。

また、2004年春には、愛知万博のスイス館の副館長を務めてくれないかとスイス外務省から尋ねられました。「一期一会」の精神に則って、受けたわけです。

人生というものは、面白いものだなあと思います。日本政府、納税者の皆さんのおかげで奨学金を頂いた。( 後々、自分の国であるスイス政府から頼まれ事をするようになった。自分の人生は ) そのように行くべき道だったのだと思います。

swissinfo : チバガイギーでは、スモン訴訟を担当されましたね。

ニーゼル : 医者の倅 ( せがれ ) として生まれ育ったので、ある程度「門前の小僧」のように、医学には理解があったわけです。わたしは、法律家であると同時に、医学に通じているために、われわれが販売している薬とスモンの因果関係については、否定できないのではないかと、当初から、印象を受けていたいわけです。それで、この問題はとにかく患者さんの苦しみをどう助けることができるか。治療法の研究に寄与できないかとというのが、私の第一の考えでした。ただ、当初は和解するという会社の心の準備がまだできていなかったのです。

和解で解決すると決まったとき、わたしは大変ほっとしました。しかし、法律的な問題、つまり、訴訟そのものは解決できたわけですけれども、いまだに考えておりますのは、最近は全然話題にはなっていないけれども、今も生きていらっしゃる患者さんの苦難の道は続いているのだなと。私個人として何もお手伝いできない、何もして差し上げられない。苦しみを救うことができないというのは、とても、残念に思っています。

swissinfo : ニーゼルさんとお茶とは、切っても切れない関係にあるのですよね。東大寺でも奉茶をしていらっしゃいます。また還暦では金閣寺でお茶会をなさいました。有名な場所でお茶を点てることは、数寄者として大きな意味があることなのでしょうね。

ニーゼル : 東大寺の開眼1250年の法要でしたが、外国人で始めてそういうことをさせていただいたということは、( 自分に課せられた ) 責任は重大だと…。そういうことをさせていただいたという自負はあります。( 奉茶は ) 醍醐寺が担当した法要にあわせて行いましたが、醍醐寺の仲田順和執行長に「外人でいいのか」と伺ったところ、「何を言います。開眼供養を行なったのは、聖武天皇の昔、インド人だったでしょう」と心強い言葉を掛けてくださいました。

わたしの口から言うとおこがましいことですが、茶の湯の歴史の1ページが開かれたような、気がいたします。その時には、もう、恐れ多いことと、感無量というか、身が縮むような思いもいたしました。今度の旭日中受賞の栄に浴すということも、よく似た気持ちです。

swissinfo : そのほかに、一番思い出に残る茶事のお話をしていただけますか。

ニーゼル : うまく行ったなあとか、皆さんが喜んでくださったなあと思う茶事はたくさんありますが。

大の茶の友を失った時のことです。しばらく悲しさのあまりに、釜を掛ける気が起こらない。京都の祇園祭の白牙という山があるのですが、( その山の由来の ) 白牙の気持ちがわかるような思いがしまして。やっと半年後の秋、わたしの庵で催したその友人の追善のお茶事は特に忘れられません。寒く、霜が降りていたはずなのに、路地の入り口に黄色い蝶が止まっていて、( 茶事の休息の時間である ) 中立ちの時にも、庭にその蝶が舞っていました。やがて、皆さんが席を立ったときには、もういませんでした。席中でも、故人が楽しんでくれているのだろうなという、誰も言葉にはしませんでしたが、共通の気持ちがありました。

swissinfo : 2007年春、還暦を機に引退なさいました。第二の人生はお茶に捧げたいと思われたのですか。

ニーゼル : フランス語で書かれた茶の湯についての基本的な著書がないので、何かを書きたいと思っています。また、ジュネーブ大学で半年の講座をということも伺っております。それを担当することになりますと、大変な準備が要ります。自分の流派をはるかに超えて勉強しないといけないので、それは、チャレンジであり励みになると思います。

swissinfo : 昔の日本、文化を評価していらっしゃるニーゼルさんですが、今の日本をどう思われますか?

ニーゼル : 伝統的な文化を維持するのは、ますます難しくなるだろうなと思うのです。伝統的な文化が消えていく恐れまで感じています。その代わりに新しい文化も生まれてくるわけですから、なんにも悔やむ必要はないのかもしれませんが、わたしは日本の伝統的な文化好きなので、消えていくのを見るのは本当に、嫌です。

日本文化は、もはや日本人だけのものではございません。これは、世界の宝の一つである。だから、好まなくとも、日本人には日本文化を維持する義務があると申し上げたい。( そのために ) お手伝い申し上げます。

swissinfo、聞き手 佐藤夕美 ( さとう ゆうみ )

1947年 ジュネーブ市に内科医の次男として生まれる。
1967年 ジュネーブ大学法学部入学
72年卒業後、大学院へ進学
1973年 日本文部省 ( 当時 ) の国費奨学金を受け、大阪外国語大学で半年日本語を学んだ後、京都大学大学院で国際公法を専攻。
1975年 一旦スイスに帰国後、チバガイギー本社入社
1976年 日本チバガイギー株式会社の法規担当として就任、1996年のノヴァルティス合併に至る。その後、チバ・スペシャルティ・ケミカルズ(株)取締役法務部長。
2005年 愛知万博のスイス館副館長、スイス実行委員会副代表就任、兼務
2007年 チバガイギー・スペシャリティ・ケミカルズ常勤監査役を退職
在日スイス商工会議所理事、関西代表副会頭、会頭を歴任

京都府内に庵を結び、自ら「拙鶴庵若翁」と号し、裏千家の鵬雲斎千宗室御家元 ( 現在の玄室大宗匠 ) より「宗翠」を賜る。2002年には、東大寺大佛開眼1250年慶讃法要で奉茶。
現在、ジュネーブと京都を行き来しながら、スイスと日本の交流に活躍中。

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SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部

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