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貧しかったスイスからの移民 

移民が祖国を離れるとき ハンス・バハマン1911年 ローザンヌ歴史博物館

1人あたりの国内総生産が31,005ドル(2001年)と世界でも有数の裕福な国。しかも、美しい景色の国として観光旅行の目的地として人気も高いスイス。しかし、現在のこうしたスイスの姿は歴史の中ではごく最近のこと。日本でもブラジルを始めとする中南米に新天地を求めて移民となった歴史があるように、スイスも移民の流出国だった。

貧困と飢餓でスイス人が移民として海外に渡ったという歴史。誰もいまは思い出したくない、暗い過去である。

「貧困の時代があったことが忘れ去られたのは、ニューリッチのせいだろう」
ローザンヌ歴史博物館のクロード・モレさんは、スイスもかつては貧しかった事実を思い出してほしいと言う。
「貧困と移民の時代がスイスにもあり、移民として外国へ渡っていった人が家族の一員にいる人もあろう。しかし、こうした暗い時代が社会全体や文化の中で記憶の中に明確に残っていないのが事実」
と語り、個人の記憶としてある移民の歴史が明確な足跡を残していないことは矛盾しているとモレさんは指摘した。
「1803年から2003年まで 二つの世界に生きる」と題された移民の歴史展はローザンヌ歴史博物館で11月2日まで開催されている。スイスは裕福で恵まれていることから、貧困や飢餓から死亡者まで出たということを展示を訪れる人たちに理解してもらうのは難しいという。

スイスを再発見

 19世紀のスイスが産業革命がもたらした荒廃や農業の衰退。失業に伴う貧困によりスイス人が国外へ流出したことは年代記にも記されスイスの真実の姿。しかし、スイスがかつて貧困にあえいでいたという史実をローザンヌ歴史博物館を訪れた人々の多くが、初めて目の当たりにして、驚きの声を発している。
「外国人はもとよりスイス人でさえも、スイスの富は紀元1世紀にはあったものと思っている」
「人口が200万から300万人だった当時に、100年間で50万人が国外に新天地を求めたのは脅威に値する」
といった訪問者の記帳ノートに残された文章が目に付く。一方で、
「このように貧しかった国の現在の発展はすばらしい」
とスイスの幸運を賞賛する言葉もある。まるで日本の戦後の復興と、現在の発展を思い起こすような意見ではないだろうか。

洋服ダンスの思い出

 展示会を準備したモレさん以下キューレーターの4人は、移民として国外へ移住した人々の記録を個人の家の納屋や洋服ダンスの中に見つけた。
「19世紀のスイス人移民は、スイスに新天地を求めに流入した20世紀に移民に酷似している。1830年に米国に移民した人と現在アンゴラからスイスに来た人との違いはほとんどない」
と世界中の移民の共通性を発見した思いだという。また、
「スイス人も一時は新天地を求めて移民したことを思えば、現在スイスに来る移民の受け入れ方も違ってくるのではないか」
とモレさんは語った。

古きをたずねていまを歩む

 20世紀初頭になると、スイスの転機が訪れる。スイスは移民流出の国から、逆に移民の受入国へと変容。受け入れ側となったスイスは、いままでのことをすっかり忘れたかのように、移民に対しての理解度が低くなってしまう。たとえば、イタリアからの移民に対して展示では、
「まったく没交渉。影の労働者で、奴隷に近かった」
とスイスの対応の冷たさを語っている。 

 スイスからの移民が
「祖国と離別した家族へのノスタルジーを抱きながら、新天地における屈辱と貧困と虐待に局面することになる。新天地では立身する前に死んでしまう運命にあった人も少なくない。
「再会できないのは非常に苦しい。天国でまた会おう」と、当時のスイス人移民が書き残している。

スイス国際放送 マルセラ・アギラ・ルビン (佐藤夕美 (さとうゆうみ)意訳)

キーワード

19世紀中旬時点で国外に住んでいたスイス人の数は100万人

1850年から1888年までには200万人もの人が移民として外国へ

現在国外に住むスイス人の数はおよそ60万人

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