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スイスの国際舞台での活躍度上げる

2003年1月ダヴォス会議でカルミ・レ外相とコリン・パウエル米国務長官のツーショット。 Keystone Archive

今年から新しく就任したミシェリン・カルミ・レ外相は積極的な外交政策を敷き、スイスが国際舞台でかなめとなる役割を果たそうとする試みが目立った。                                         

これまでは永世中立国のスイスでは国際会議に場所を提供するといった程度の「外交」が好まれていたが、カルミ・レ外相はこの1年間、スイスが積極的に国際政治に参加する意欲を見せた。                                         

イラク戦争勃発前の本年2月、スイスは人道会議をジュネーヴで開催した。12月には「ジュネーヴ合意」といわれる、イスラエルとパレスチナの非公式和平案の調印がなされた。今年から就任したカルミ・レ外相はこの1年間、これまでとは違って、明確に国の立場や意見を表明し良きにせよ悪しきにせよマスコミを賑わせた。

開かれた外交

 開かれた透明な外交を提唱しているカルミ・レ外相は、イラク戦争前に戦いにより人権が侵されると声高に訴え、人道会議をジュネーヴで開催した。しかし、コンセンサスをモットーとする閣内で他の閣僚に相談をしなかったことから、就任早々命取りになりかねない事態をもたらした。しかも米国が不参加で、そもそも当事国のイラクを招かなかったことも批判された。2日間にわたる会議では、29カ国から21の人道援助団体が参加。カルミ・レ外相は、NEOと各国政府が始めて顔を付き合わせられた良い機会だったと成果を強調した。戦争を開始する前に、民間人の犠牲について考える機会を与えられたとの評価もあった。

中立国がイラク戦争に反対

 スイス世論はイラク戦争に反対だった。2月には大きな反戦デモが各地で行われた。国連の合意がないままの米国による戦争だとスイス国民は非難した。戦争開始に際して政府は、中立の立場の声明を発表。政府は、米軍の空路使用を認めたものの、人道資材の運搬のみにと限った。昨年9月に国連に加盟したスイスとしては米国を批判すべきであるという意見と、中立国としてこれまでどおり、静観すべきだという意見と、閣僚間でも意見は対立。カルミ・レ外相が戦争反対を表明すると、国内のデモはさらに拡大していった。

国内人気

 外相の初めての訪問国は朝鮮半島だった。スウェーデン、ポーランド、チェコなどと並んで南北の国境地帯に監視委員を派遣しているスイスだが、北緯38線を足で跨いだ世界はじめての外相となった。北朝鮮の核開発問題でも発言。中立国としての役割を十分果たしたと評価された。

 カルミ・レ外相の「開かれた外交」は国内での人気から見ると成功したと言えよう。12月10日の信任投票では226票のうち206票を獲得し、ロイエンベルガー交通エネルギー相に次ぐ票数を得た。保身がまずありき。永世中立を盾に八方美人的な外交を繰り広げ、国際交渉会議の開催施設を提供することぐらいが外交だったスイスが、国連加盟を経、節目、節目ではっきりした態度を表明するようになった。どうやら、スイスに新しい外交が生まれつつあるように見うけられる。

スイス国際放送  ジャン・ミシェル・ベルトゥード(意訳 佐藤夕美 (さとうゆうみ))

2003年1月 ミシェリン・カルミ・レ外相就任

2月15日 イラク戦争直前にジュネーヴで2日間にわたる人道会議を開催

5月20日 カルミ・レ外相 北朝鮮訪問

12月1日 ジュネーブ合意宣言(イスラエルとパレスチナの平和案)

12月10日から12日まで 国連主催の世界情報社会サミットがジュネーヴで開催

2003年はスイスの外交は活発に動いた。
新しく就任したミシェリン・カルミ・レ外相は、スイスの態度をはっきり表明することで国際政治にスイスを大きく印象付けた。
特に、イラク戦争前の人道会議、北朝鮮訪問、国際情報社会サミットなど、スイスの国際政治への貢献度をアピールした。
一方で、EUとの関係は難航。第2の二国間交渉の達成時期は予定が立たない状態だ。

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SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部

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