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一家に一台「ジロル」

チーズを食する前の、ささやかな楽しみ。綺麗な花弁状に削れた時は、嬉しさもひとしお。 swissinfo.ch

ジュラ地方の家庭、並びにパーティやアペリティヴなど人が集まる機会に不可欠な台所用品がある。その名は「ジロル」(La Girolle)。同地方名産の、見かけも名前もユニークなチーズ、「テット・ド・モワン」(Tête de moine=フランス語で修道士の頭という意味)を削る専用器具である。

ジロルは、ジュラ州ラジュー(Lajoux)村のニコラ・クレヴォワズィエー(Nicolas Crevoisier)さんによって発明された。1928年生まれのニコラさんは大家族出身。円錐形のテット・ド・モワンチーズを削り、皆に分けるのに時間がかかってしょうがない。もっと簡単に、手際良くチーズを削る方法はないだろうかと常々考え続けていた。その考えを実行に移すきっかけになった出来事は、1970年代、まだジュラがベルン州からの独立を目指していた時代、ジュラ当局がカナダ・ケベック州より100人の要人を招待した際の歓迎パーティ中に起こった。ニコラさんを含む計14人が協力して会を催し、ケベック人達をジュラの名産品でもてなしたのだが、それらの食品の中にテット・ド・モワンも入っていた。特異な形のチーズを100人分削るという作業にはかなりの労力を必要とし、ニコラさんは、専用器具の必要性を強く感じた。

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元々ニコラさんは精密機械技士で、同村でメタフィル(Métafil)という名の会社を営んでいた。その技術を生かしてチーズの形に合わせた円形の器具を作り、ジロルの原型が誕生した。発明当初は周囲の人間から「何と大胆なことを」と驚かれ、様々な批判が集中したという。ジロルが普及した今でこそ、この器具の真ん中にある先の尖った軸にチーズの中心を突き刺すという方法は何でもないが、一昔前は、斬新かつ「貴重なチーズに対する侮辱」とも取られる行為だった。「これこそ会社経営者の本分」と、ニコラさんはバッシングを物ともせず改良に励み、やがて、誰もがこの発明品に夢中になった。

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ニコラさんは1981年に特許獲得。この年、テット・ド・モワン製造者協会で成果を発表してみると、同席したすべての協会員は、画期的な発明品を前に歓喜の声を上げ、この日一日で少なくとも300台を売ったという。1982年からは本格的なジロル生産に踏み切った。数千も売れればいいだろうという発売当初のニコラさんの予想は外れ、年間平均10万~12万台を生産、現在までに三百万台以上を売り上げている。製造主は、前述の会社、現在の名はMétafil/laGirolle SAである。1986年にはジュラ州政府から「発明大賞」を授与された。

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栄光の歴史を歩み始めたジロルとその製造会社にも、危機はあった。特許の有効期限は長くても20年。ちょうどその期限切れの2002年から、ドイツ、オランダ、中国などの会社が擬似製品を販売し始めた。そのため、Métafil/laGirolle SA製ジロルの売り上げは30%も下落した。しかし、品質にこだわり抜いた自社製ジロルに、ニコラさんも現社長ピエール・ロム(Pierre Rom)さんも、絶対の自信を持っている。40年の歴史を持つMétafil社の精密技術を生かした金属刃、それを軸にはめて回転させるだけで、チーズは見事な花弁状に削り取られていく。我が家では20年近く使用しているが、一度も修理に出したことはない。土台は、森林管理評議会(FSC =Forest Stewardship Council)承認のカエデの木を使用している。森林を違法に伐採して得た木材ではないという証明付である。(注・同社製品で土台が強化プラスチック製のカラフルなジロルもあり)また、2003年、ジロルとテット・ド・モワンチーズ半サイズをセットにして売り出したところ、外国市場での売れ行きがぐんと伸びたという。ジュラの小さな村の発明品は、国境を越え、海を越え、日本にも届くようになった。2004年、当時のスイス連邦大統領、ジョゼフ・ダイス氏は、日本公式訪問の際、小泉純一郎元首相へのお土産としてジロルを持参している。

ジロルの発明と普及により、誰もが簡単に食するようになったテット・ド・モワンは、12世紀、ジュラ地方の寒村ベルレー(Bellelay)の修道院内で、修道士によって作られ始めた歴史あるチーズである。18世紀末、修道士達がフランス革命軍によって追い出され、修道院が閉鎖されても、このチーズ製造は絶えることがなかった。近代技術を取り入れている現在でも、品質にこだわり抜いた方法で作られ続け、ごく日常的にジロルと共に一般庶民の食卓に上がっている。このチーズにまつわる様々な逸話があるが、次の機会に紹介してみたい。

マルキ明子

大阪生まれ。イギリス語学留学を経て1993年よりスイス・ジュラ州ポラントリュイ市に在住。スイス人の夫と二人の娘の、四人家族。ポラントリュイガイド協会所属。2003年以降、「ラ・ヴィ・アン・ローズ」など、ジュラを舞台にした小説三作を発表し、執筆活動を始める。趣味は読書、音楽鑑賞。

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