スイスの視点を10言語で

「ムスキー」で点字学習

ムスキーを使えば、これまでの5倍から6倍の速さで点字を学べる

点字の生みの親ルイ・ブライユ生誕からちょうど200年。盲人が読み書きできるようにと彼が考案したシステムも、いよいよ電子化時代に突入した。

今回、少しばかりのハイテクを利用し、非常に実用的な点字の学習システムを作ってこの二進コードをもっと速く学べるようにしたのはスイスの研究者だった。

読み書きには点字

 マウス・ソフトウエアシステム「ムスキー ( Mouskie ) 」の開発者フィリップ・ラシーヌ氏は、この製品が発売されれば、世界2億人市場でほかにライバルを持たない商品になるはずだと言う。

 ムスキーはもともと、スイス南東部のヴァレー/ヴァリス州でヴァレー・エンジニアリングスクールに務めるラシーヌ氏と「スイス盲人協会 ( SZB/l’UCBA ) 」フランス語圏支部会長ジャン・マルク・メラ氏の交流から生まれた。

「ジャン・マルクと一緒に、盲人がコーヒーマシンを使ったり料理を作ったりできる新しい可能性について考えていました。私は美学コンサルタントでもありますが、これも重要な要素です。盲人用だから不恰好でもいいということはありません」
 
ラシーヌ氏とメラ氏の論議にはよく「ブライユ・システム」、つまり点字が上がった。メラ氏は
「コンピューターが読み上げるテキストを聞くなど、ほかの方法が出てきたため、点字を習いたがらない人々が増えています。盲人がコンピューターを使い出した当初は、コンピューターが点字に取って代わると考えられていました。しかし、合成した音声を聞いても読むことも書くことも学べません。その解決策は点字しかないのです」
 とメラ氏は言う。

早くて簡単

アルファベットを6つの点の組み合わせで表現する点字は、過去2世紀にわたってほとんど変化していない。教師が生徒の指の下に木のくいをあてがうという昔のやり方もまだ残っている。

「『コンピューター反応』の血が流れている若い『任天堂世代』にとっては、このシステムによって点字の世界に活気が生まれるに違いありません」
 とラシーヌ氏は言う。

ムスキーは視覚を失ったり損なったりした人のために考案された。ユーザーは普通のコンピューター用キーボードで文字を打つ。その文字は大幅に拡大されて画面に映し出される。ラシーヌ氏が開発したソフトウエアがこれを読み上げ、それに対応する点字コードをマウスの形をしたデバイス ( 周辺機器 ) に送信する。そして、このデバイスが文字にマッチしたピンを持ち上げて、ユーザーの指に触れるというわけだ。

「面白さはさておき、このシステムにはスピードがあります。触れて記憶させるときにはそのときの速度が非常に大切であり、このことはすでに立証済みです」
とラシーヌ氏。そして、ムスキーを使うと、通常の5倍から6倍のスピードで点字を習うことができる。

「異なるアルファベットを使うだけなのに、点字の習得は新しい言語を習うようなものだと誤解している人は少なくありません」
 と言うラシーヌ氏は、比較的簡単に点字を覚えたらしい。

ムスキーはまた、これからまったく目が見えなくなってしまう人々を精神的に支える役割も果たす。点字を早くマスターすれば視覚を失っていくプロセスにより良く対応でき、早く自立できるようになるからだ。

世界に普及する可能性

 ムスキーは、ヴァレー/ヴァリス州にある会社「ネットアトリエ ( NetAtelier ) 」と、ローヌ川の丸い小石を見てデバイスのデザインがひらめいたというデザイナーのジャン・モーリス・ヴァローネ氏の協力を得て、3年の月日をかけて開発された。

 電子技術を開発したのはヴァレー・エンジニアリングスクールだが、ラシーヌ氏はその開発費用として30万フラン ( 約2500万円 ) 近くを提供した。また、フランクフルト、ワルシャワ、ロンドン、そして2008年に世界盲人連合 ( WBU ) の総会が開催されたジュネーブなどの見本市でもこのデバイスを紹介した。人々の関心は大きく、ムスキー普及の見通しはとても明るいとラシーヌ氏は話す。

 ムスキーの大量生産は、マウスの外殻の生産を行うミラノの工場と、内部の電子技術および組み立てを行うドイツのシュトゥットガルトの工場に分かれる。そして販売に関しては、スイス、ドイツ、アメリカ、イギリスの盲人協会の協力が得られることになった。

swissinfo、マルク・アンドレ・ミゼレ 小山千早 ( こやま ちはや ) 訳

ルイ・ブライユは1809年1月4日、パリ近郊の町クプヴレ ( Coupvray ) に生まれた。馬の鞍や引き具を作る父親の工場にいるとき、先のとがった工具で左目を負傷し、3年後に傷が病菌に冒されて視力を失った。

10歳のとき、奨学金を得て、パリにある目の不自由な青少年のための王立施設で学ぶことになった。子どもたちは浮き出た文字を読むことを学んだが、筆記のためのシステムは存在しなかった。

夜、兵士が指示をやり取りできるようにとシャルル・バルビエ軍隊長が考案した方法にヒントを得、ブライユはその3年後、浮き上がった点を使ったシステムを考案した。

バルビエのコードは音声を使うほか、12の点を基礎にした複雑なものだった。ブライユの6点式では文字、数字、シンボルなどを点字に書き換えることが可能になった。

ブライユは結核のため43歳で逝去。彼の遺体は有名なパリのパンテオンに安置されている。

眼鏡やコンタクトレンズをつけても新聞が読めない人、あるいは日常生活に支障のある人は視覚障害とされる。

スイスでは視覚障害者に関する統計は取られていないが、スイス盲人協会は8万人から10万人いると推定している。

視覚障害者を援助する協会や民間基金は多い。その資金は寄付や障害者保険、収入創出活動などによって作られている。

スイスには、視覚障害者用リハビリセンター、学校、工場、社会的な団体、図書館、盲導犬用スクールなどがある。

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SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部

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