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自足できる生活を送るために

スイス労働組合連合の関係者は昨夏、最低賃金に関する調査結果を発表。国民投票に必要な数の署名を集め、今年1月政府にイニシアチブを提出した Keystone

正社員として毎日フルに働いても、貧しい生活から抜けられない人はスイスにもいる。スイス労働組合連合(SGB/USS)は被雇用者全員に適用される最低賃金の導入を求め、イニシアチブを発足させた。

雇用主側はこれに反発するが、同様の対策はヨーロッパの多くの国ですでに導入されている。

 過去数十年の間に、給与の格差はスイスでも極端に広がった。30年前まで、マネージャーの給与は低賃金の社員と比較して最高30倍が普通だった。ところが今では1000倍もの給与をもらっている役員もいる。

 これは世界経済の競争激化による避けられぬ傾向なのか、それともただの欲なのか。議論はすでに以前から活発に行われている。確かなことは、高額給与や億単位のボーナスに対する不満が膨らんでいることだ。豊かといわれるこの国にも、フルタイムの仕事を持ちながら貧困ライン以下の生活を余儀なくされている人は何万人もいる。

 このような背景をかんがみれば、過去数年間で給与の格差を是正する目的のイニシアチブが三つも提出されたことにもうなずける。最初の二つは、マネージャークラスの給与に対する制限を求めたもの。そして、1月23日にスイス労働組合連合が提出した「公正な給与の保護のために(最低賃金イニシアチブ)」では最低賃金の引き上げを要求している。時給の最低金額をスイス全土で22フラン(約1800円)に統一するのが目的だ。月給に換算すると、約4000フラン(約33万円)になる。

有効な対抗策

 「このイニシアチブを通じて、スイスで働くすべての人が満足のいく給与をもらえるようにしたい。現在、フルタイムで働いている人の1割は4000フラン以下の月給しかもらっていない。これでは生計を立てることすら難しい」と言うのは、スイス労働組合連合のチーフエコノミスト、ダニエル・ランパルト氏だ。

 そして、「我々の提案は何よりも重大な欠陥を埋めるためのものだ。被雇用者の半数は包括的賃金契約の保護下に置かれてない。つまり、彼らの賃金も保護されていないということだ」と付言する。

 ランパルト氏はまた、最低賃金の制定はローンダンピングの有効な対抗策を具現したものであるばかりか、失業率の低下にも役立つとみている。「今日、生活のためにもう一つ働き口を探さなければならない被雇用者は数多い」

とんでもない解決策

 しかし、雇用主側は最低賃金の導入に反対だ。スイス雇用主連盟(Schweizerischer Arbeitgeberverband/Union Patronale Suisse)のルート・デラー・バラドーレ氏は、「すべての被雇用者に適用される最低賃金なんてとんでもない。条件や要望は各分野でそれぞれ異なるし、地域によって給与水準や生活費も異なる。この違いは重要だ」と反発する。

 包括的賃金契約に最低賃金を明記することはかまわないが、それを法定義務とすることに異論を唱える。「最低賃金にはリスクも潜む。つまり、労働能力に限りがある人々が市場から締め出されてしまう可能性がある」とデラー・バラドーレ氏は強調する。

 しかし、賃金とは、すべての人が自足できる生活を送られるようにするためのものではないのだろうか。「それについては、自足できる生活は何かということをまずはっきりさせなくてはならないだろう」とデラー・バラドーレ氏。

 「4000フラン以下でも十分生活していける地域もある。チューリヒでは5000フラン(約42万円)あっても足りないだろう。それに、スイス労働組合連合がモデルにしているのは就労者が1人しかいない家庭だ。だが、稼ぎ手が2人いる家庭もたくさんある」 

ヨーロッパの傾向

 しかし、雇用主側のこのような見解は、ここ数十年間でヨーロッパのほぼ全土で見られるようになった傾向と相反する。「全国均一の最低賃金を導入していないのは、もはやドイツ、オーストリア、スイス、そしてスカンジナビア諸国だけだ。しかし、スカンジナビアでは包括的賃金契約によって、ほぼすべての被雇用者に対して最低賃金が保障されている。一方、スイスやドイツのその数はわずか半数にしかならない」。こう説明するのはドイツのデュッセルドルフ経済社会科学研究所(WSI)研究員のトルステン・シュルテン氏だ。

 最低賃金は人の往来の自由化に伴って導入された。多くの国がその導入により、自国の労働者をダンピング賃金から守ろうとしたのだ。

 ドイツもまた、数カ月以内に最低賃金を導入する方針だ。キリスト教民主同盟(CDU)のアンゲラ・メルケル首相が自らその方向に舵を切った。

 「メルケル首相のプロジェクトに反発したのは何より自党のキリスト教民主同盟だった。しかし、ドイツが最低賃金導入の方向に進むことはもはや明白とみられる。西側と東側の格差が考慮されているなど、それはどちらかというと『軽量モデル』といえるが」とシュルテン氏は言う。

雇用問題

 シュルテン氏は、フランスなど、数年前に最低賃金を導入した国家を観察し、肯定的な評価を下す。

 「最低賃金を導入していなかったら、フランスの社会的格差や貧困は今よりもずっと深刻になっていただろう。しかし、一方で最低賃金が雇用に与えた影響は問題だ。最低賃金や社会保障に必要な経費を抑えるために、人材削減に踏み切る企業も出てきている」

 フランス、イギリス、アメリカなどでは、最低賃金と雇用の関係について複数の調査がすでに行われているが、その結果は一様ではないという。「世界のエコノミストの大半は、雇用への影響をネガティブにはとらえていない。ただし、最低賃金は高すぎず低すぎず、という条件付きではあるが」

イニシアチブ「公正な給与の保護のために」はスイス労働組合連合(SGB/USS)が提出。最低賃金を規定した包括的賃金契約の推奨を求めるもので、最低賃金として時給22フラン(約1800円)を要求している。月給にすると約4000フラン(約33万円)になる。

法定最低賃金は定期的に給与や物価の推移に合わせて修正されるが、老齢・遺族年金(AHV/AI)の年金指標の範囲内に限られる。

連邦政府と州政府は特に、各々の地域、職業、分野における一般的な最低賃金の包括的賃金契約への組み入れおよびその遵守を奨励している。

連邦統計局(BFS/OFS)によると、スイスには約12万人の「ワーキングプア」がいる。ワーキングプアとは、フルタイムで仕事をしているにもかかわらず、貧困生活を余儀なくされている人を指す。

スイスで最低賃金導入を決定したのはヌーシャテル州のみ。昨年11月に行われた州レベルの国民投票で可決された。

数年以内に、給与格差是正を目的とする二つのイニシアチブの国民投票が行われる予定。

「暴利」イニシアチブ

無所属の全州議会(下院)議員トマス・ミンダー氏が2008年に提出したイニシアチブ。取締役会と企業幹部の報酬額を株主総会で毎年定めることを要求。

取締役会およびその会長は、毎年再選されなければならない。

退職金、報酬の前払い、企業売買時のプレミアムはすべて廃止する。

役員の業績目標などを定款に明記する。

イニシアチブ「1:12-公平な給与のために」

2011年に社会民主党青年部(Juso)が提出。マネージャーの最高月給額は同社内の社員の最低年給以内に収めることを求めるイニシアチブ。

労働組合トラバーユ・スイス(Travail Suisse)の調べによると、スイス第2の大手銀行クレディ・スイス(Credit Suisse)の最高経営責任者(CEO)であるブラディ・ドゥーガン氏は、2010年、同社の最低給与の1812倍の報酬をもらっていた。

(独語からの翻訳、小山千早)

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