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究極のこだわり 本物より本物に近いアイガー

石膏のモデルは現在手がけるエンゲルベルク地方。ティトリス山から南方の一帯。このほかに、チューリヒの1000万年前、200万年年前、2000年前、現在の様子を描く4部作品も作成中 swissinfo.ch

トニー・マイヤーさん ( 68歳 ) はおもむろに自宅の地下に降りて行った。仕事場の扉を開けるとそこには、ダン・ブランシュ山 ( Dent Blanche ) のミニチュアが斜めに当たるスポットライトに浮き出され鎮座していた。この地下で彼はこれまで、岩や崖と格闘しながら何百時間も過ごしている。

細かく彫り削られた表面は山肌の起伏をしっかりと捉え、石灰岩と花崗岩の違いさえも分かる。氷河は白とエメラルド色で表現され、流れるような雰囲気が絶妙だ。ここから登山者がひょっこり顔を見せるはずはないのだが、そんな風景が一瞬目の前を横切る。

レリーフ模型

 マイヤーさんは学生時代、大学の講義で取り上げられた地図を見ても、実際の風景を立体的にイメージできなかった。そこで、自分で地形の模型を作ってみたいと思ったという。
「第1作は今でも保管しています。できあがったのは、いま思うとお恥ずかしい限りの模型でしたが、この時、自分には模型を作る指があると感じました」
 それから約35年間、高校で地理を教えながら山や町の風景を手がけてきた。マイヤーさんの手がける作品は科学と芸術の共存とでもいえるレリーフ模型で、風景模型とはまったく異なる。

 マイヤーさんが全国的に有名になったきっかけは、1986年にルツェルンの氷河公園で開催された、レリーフ模型作家の第一人者エドヴァルト・イムホーフを追悼する展示会だった。マイヤーさんはイムホーフ教授の優秀な跡継ぎとして紹介され、ベルニナ山脈の模型を作る提案があったという。今年、ユネスコの世界遺産に指定されたレーティシュ鉄道 ( Die Rhätische Bahn ) が通る名所だ。

 この作品のために現地へ30回ほど出向き、100泊はした。航空写真を撮るためにセスナ機で3回飛び、斜面を撮影し回った。写真は特殊な眼鏡で見ると立体に見えるように同じ場所を少しだけずらして連続撮影する。生前のイムホーフ教授にはピンポイント的なアドバイスを受けていたが「自宅では練習に練習を重ね、自分で試行錯誤しながら」独自の技術を取得していったという。ベルンの連邦アルペン博物館の1階、一番奥にあるのが、マイヤーさんの努力の結果だ。

4ミリの木を3500本植え込む

 製作に取り掛かる前に、まず地形地図を用意する。なだらかな地形であれば枚数は少なくて済むが、急斜面では何枚も必要だ。それぞれベニア板に貼り付け、1枚目の標高線の、例えば1000メートルと1500メートルに印を付ける。2枚目には1020メートルと1520メートルに印を付ける。こうして必要な枚数分の地図にそれぞれ標高線をずらして印を付けた後、電動糸鋸で印の通り切り抜く。切り抜かれリングの形になった板を重ね合わせた後、内側に石膏を流して型を取る。石膏の厚さは5センチ程度だ。

 「上に乗っても壊れない」という重くしっかりした石膏の型の表面を、地図や写真などの資料を逐一参考にしながら、何種類もある小刀などで削り石膏で付け足しながら、起伏を浮かび上がらせていく。
「この作業が一番楽しい。精密さが要求されますし、自然界のニュアンスを出すことが大切です。石灰岩でできたとんがりには、地層がくっきり現れますが、花崗岩は地層は見えません。こうした違いを彫り出していきます。氷河と地面の境界線を見てください。内側に向かって斜めに切ってあるでしょう」
 細かいメスの入れ方次第で氷河が流れるように見えるかどうかが決まるのだ。
 
 最後の作業は色塗り。真っ白い石膏の上に、アクリル染料で色を付けていく。修正はできないので、ここでも正確さと慎重さが要求されるという。1万分の1の縮小だと森林は茶色やニュアンスの違ういろいろな緑で塗られた砂で表現する。ベルニナ山脈は4000分の1の縮小だったので、木は4ミリメートルから5ミリメートルになる計算だ。そこでマイヤーさんは、森を約3500本の爪楊枝で埋めた。湿地に生える木は濃い緑、乾地には明るい緑の木など違いも出した。
「砂より爪楊枝の方が美しいでしょう」
とあくまでも美観にこだわる。

コンピュータは子どもがするスキー

 マイヤーさんをレリーフ模型作家のスターダムに押し上げたベルニナ山脈の完成までには、本来の教師としての仕事もあったため、5年かかった。幸いにも4つの博物館から受注があったが、そのためのコピーにかかった費用は合計3万5000フラン ( 約365万 円) 。オリジナルは壊れて廃棄処分にかかったお金が500フラン ( 約5万200円 ) といった実費のほか、現地への旅費や写真を撮るための飛行機代、写真代なども換算すると「8万フラン ( 約833万円 ) の収入では、何も残りません」。
 
 崖が複雑に入り組みマイヤーさんにとってもっとも難しいというアイガーの5000分の1の模型 ( 80×52センチメートル ) なら、いまやベテランとなったマイヤーさんでも300時間はかかる。
「正規の値段を要求したらだれもオーダーしてくれない。オーダーがあったら正規の値段を要求できない。発注者も10時間くらいでできるとでも思っているようですが、そのような仕事は自分のプライドが許しません。ナンセンスなほどの正確さとでも言うのでしょうか」
 と自分の完璧主義を皮肉る。
 
 アールガウ地方の模型は90×70センチメートルのブロックが53個集まった作品だ。展示場で行ったブロックを組み合わせる作業には31日かかった。結局、約5800時間が費やされたという大作だ。コンピュータに作らせれば、楽な上より正確なのではないかという疑問が当然のごとく浮かんでくる。
 「コンピュータに入っているデータは自分の手と頭にインプットされている情報の3割に満たない。コンピュータは子どもがする庭スキー。わたしの作品は国際大会の滑降レースです」
 とマイヤーさんは自負する。
「バーチャルの3Dイメージにしてもそうです。コンピュータが浮かび上がらせた山は手でつかめません。レリーフ模型の美しさに魅せられ、需要はむしろ増えています」

swissinfo、ウンターエゲリ ( ツーク州 ) にて 佐藤夕美 ( さとう ゆうみ )

マイヤーさんの著作
「風景レリーフ -科学と芸術の共生」 ( Landschaftsrelief Symbiose von Wissenschaft und Kunsthandwerk ) Hier und Jetzt出版 
78フラン

マイヤーさんの作品の一部
アイガー 1:5,000 80 ×52 cm 
マッターホルン 1:10,000 40×40 cm
ダン・ブランシュ 1: 5,000 90×70 cm 
ベルニナ山脈 1:4,000 270 ×270 cm
アールガウ州 1:10,000 23 平方メートル
氷河期のアールガウ州 1:50,000 162×114 cm
マダガスカル マソアラ国立公園 1: 75,000 137×124 cm,
エチオピア セミエン山国立公園 1: 10, 000 195×95 cm

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SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部

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