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チェルノブイリ25年 ベラルーシから現地リポート

事故以来、チェルノブイリ付近では無人化した村もいくつかある swissinfo.ch

大地震と津波が引き金になった今回の福島第一原子力発電所の事故。「フクシマ」は絶えずトップニュースとして報道され続けている。

事故発生当初、メディアはこれを25年前の4月26日に旧ソ連・ウクライナ北部で起きたチェルノブイリ原発事故と比較した。

25年前の惨劇

 25年前、放射能雲は国境など関係なくチェルノブイリ原発からヨーロッパ中に広がった。その範囲はフィンランドからイタリアにまでおよび、極度に高い放射線量が計測された。おそらく爆発時に最も被害を受け、未だにその傷跡を残している国はベラルーシだろう。チェルノブイリ原発から国境までは数キロメートルしか離れていない。

 当時、ベラルーシ南西部に住む何千人もの人びとが避難勧告を受けた。この地域の最大の町ブラヒン ( Bragin ) はチェルノブイリから35キロメートルの場所にあり、住民の3分の2が首都ミンスクやほかの都市へ移転させられた。避難した住民1万人のうちこの町に戻ってきた人はほとんどいない。

 チェルノブイリの大惨事から25年、爆発事故が残した傷跡は今もなお消えずにいる。原発周辺に広がる無人化した村々。道路を包む不気味な静寂。廃墟と化した無数の家屋。屋根からは草や木が生えている様子が見て取れる。

 ブラヒンの中心地にあるレーニン広場には、爆発後にチェルノブイリに入った最初の地元の消防士ヴァシリー・イグナテンコさんの胸像がある。その2週間後、イグナテンコさんは亡くなった。この記念碑と並んで、事故により完全に壊滅した周辺地域の12村を追悼する記念碑も立っている。

健康への被害

 ベラルーシに対するスイスの人道支援プログラムはこうした放射能汚染の最も深刻な地域に重点が置かれた。その細やかな対応のおかげで住民はなんとか比較的普通の生活を取り戻すことができている。予測されるさまざまな危険性に関する教育指導には多くの時間と資金と労力が割かれてきた。

 NGOグリーンクロス・スイス ( Green Cross Switzerland ) のブラヒン地域代表ジャンナ・チュブサ氏は、ほぼ17年間にわたり現地支援活動を行っている。事故当時、チュブサ氏は11歳だった。一家は事故後もブラヒンに残った数少ない家族のうちの一つだ。現在、チュブサ氏は母子サークルと家族クラブを運営し、健康安全を主題にした地域社会の支援と教育を目指している。

 「住民が知りたがっていることは、例えば、森で採った果実の放射性物質の有無を計測するためにはどこへ行けばいいのか、庭で栽培するじゃがいもの放射能汚染のリスクをどうしたら軽減できるのかなどということだ」

 中にはこうした指導を真剣に受け止めない大人もまだいるが、チュブサ氏は若い世代の全面的な支持を得ているという。

「指導に従わない母親に対して子どもたちの方がはっきりと注意するケースをよく目にする。自宅訪問の際『ママ、ジャガイモをきれいに洗って。肉は最初に茹でなければだめよ』という子どもの発言を数え切れないほど聞いた」

 年に2、3回、住民たちは健康診断を受け、地域研究所で食料品の放射線検査や指導を受けられる。科学者の見解では、原発周辺地域の土壌は人体にはまだ有害で、セシウム137が完全に土から消えるまでにはあと300年は必要だという。

 道路脇や森の入り口付近には土壌汚染の危険性を警告する標識が立っている。住民は森でのきのこ狩りや果実の採取を控え、食用目的の狩猟も控えるように言われている。

地域社会の復興

 ベラルーシ南西部の復興には連邦外務省開発協力局 ( DEZA/DDC ) も極めて重要な役割を果たしてきた。2010年11月に終了した10年計画では、生活基盤の向上、医療施設や緊急サービスの強化が実施された。

 ブラヒンにある病院に超音波診断機器を寄付し、学校には新しいコンピューターや高速インターネット接続を提供したほか、コンピューター言語に詳しい若い世代を育成するためのワークショップを開いた。

「若い人たちはにわかに自分たちのウェブサイトを作れるようになり、外の世界と初めて交信し、何が起こっているのかを伝えられるようになった」

 と、連邦外務省開発協力局プログラムのプロジェクトマネジャーを務めるスラヴァ・クルチツキ氏は言う。

 農村地帯であるこの地域では農業の発展もまた非常に重要だ。社会的、経済的機会の欠如が住民を消極的にし、援助への依存を招いた。連邦外務省開発協力局では、汚染されていない農作物を生産するよう地元の農家を支援した。その結果、収入は25%増加した。

 連邦外務省開発協力局 ( DEZA/DDC ) の最大の貢献は、首都ミンスク近くにある国際救助隊員訓練所 ( International Rescuer’s Training Centre/ IPPK ) の発展だとクルチツキ氏は続ける。

「元スイス軍のトラックを訓練と救助用の専用車に変えた。欧州連合 ( EU ) 加盟国の3カ国を含む15カ国以上の救助チームをすでに訓練し終え、東欧では一番の訓練所とみなされている」

 チェルノブイリ原発事故は大規模な放射能汚染を招き、多くの命を奪った。この大惨事は今後何十年間にもわたり社会に根本的な影響を与えるだろう。しかし、最も被害の深刻な地域でも、支援プロジェクトにより住民が再び暮らせるようになり、地域社会が前向きに未来を見据えられるようになっていることは確かだ。

チェルノブイリ原子力発電所で発生した原子炉の爆発・火災事故

による放射能雲はほぼヨーロッパ中に拡散した。

しかし、最初に放射性物質の大量放出の事実を報告したのは旧ソ連ではなくスウェーデンだった。

事故2日後の4月28日、ストックホルムの北120kmにあるフォルスマルク ( Forsmark ) 原発の作業員の作業服に放射性粒子が確認された。チェルノブイリ原発から約1100km離れた場所だった。

その後、スウェーデンは放射性物質の出所を突き止め、旧ソ連西部に重大な原発事故を確認した。

1994年に設立。その2年前にブラジルで開かれた地球サミットで旧ソ連元大統領ミハイル・ゴルバチョフ氏が「環境の赤十字」を提唱。これを受け、グリーンクロス・インターナショナル ( Green Cross Internationl ) が発足。ゴルバチョフ氏は現在もこの団体の会長を務め、世界30カ国以上に支部を持つ。

グリーンクロス・スイスの活動は「レガシープログラム ( 遺贈 ) 」に重点を置いてきた。迅速で、直接的で、効果的な支援を通して現地での自助努力を促すことが特徴。

チェルノブイリ原発事故は広範囲にわたる放射能汚染を招いた。何千人という人びとが今もその被害を受けている。ベラルーシ、ロシア、ウクライナでは、地元のグリーンクロス事務局が定期的に子どもたちや若者を対象に非汚染地への疎開を企画している。

少なくとも4週間、空気のきれいなところで過ごし、放射性物質に汚染されていない食べ物を食べ、総合的医療を受けることで免疫システムが高まり、精神的にも元気になるという考えだ。この疎開の前後には、医者の移動チームが子どもたちの世話をする。

( 英語からの翻訳・編集 中村友紀 )

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