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V アイガー東山稜登攀 -3-

ベルナーオーバーランドの登山

 スイスの夏は乾燥期である。ヨーロツパ大陸の一般的気象はこのようであるが、高山の多いため地域的な変化はある。各山岳地方に、それぞれ観天望気の慣習のあるのは面白い。山村の生活が長引くにつれて、私にとって山々はしだいに近いものになって来た。目前に数千メートルの断崖をもって聳え立つアイガーやヴェッターホルンなどは、まだ登ってはいないが、その崖の一つ一つのスケールとか、尾根の厳しさや、風の強さなど、いつの間にか実感をもって了解できるように思われた。いままでの登山の経験ではなかった、性質の異った別のスケールの山であった。この心理的に納得した状態は、地図や写真の上では求められないもので、山に直面して初めて総合的に感得できるものである。それは、山自体はもちろん、これを囲む天候、植物などの複雑な要素を、一つに総合して生れる結果のようである。登山の指導者に経験を重く視るのも、こんなところに理由があろう。
 真夏を迎えて、私のトレーニングは充分であった。かねてからの計画を、天気模様と睨み合わせながら、私の登山は始った。
 最初のものはヴェッターホルン(三七〇八メートル)であった。案内人はエミール・ストイリと弟のフリッツ・ストイリであった。山小屋も初めての経験であり、ラヴィーネツッフ(雪崩の常時落ちるところ)を氷雪が凍っておる問に通過するため、夜半に小屋を出て、山ランプの光を頼りに登ることなどは珍しかった。
 次に登ったのはメンヒ(四一〇五メートル)からアイガー(三九七五メートル)への縦走であった。これは前のヴェッターホルンよりは手強い相手であった。広い氷河上で終日強烈な太陽に照りつけられ、体は焼かれその熱に不眠の登山を続けた。氷河と、鋭い雪稜と、岩壁の連続であった。次の登山はフィンスターアールホルン(四二七五メートル)に登り、さらにグロッセシュレックホルン(四〇八〇メートル)を続けて登った。この登山はベルナーオーバーランドの最高峰と、岩登りの難物として知られるアンデルソンスグラートをもつ、両者をかけたものであった。オックスフォードに勉学中の私の兄が同行して組を二つに分けた。兄の組の案内人はブラヴァンドにフリッツ・ストイリ(エミールの叔父でウェッグエンドのストイリといっていたが、最年長でベルナーオーバーランド切っての古強者であった)、私の組は、例によってエミールと弟のフリッツであった。この夏の登山は天気の都合もあって、以上の山々で季節一杯過ぎてしまった。私のアルプス登山についての詳細は嘗て発表しているので省略したい(拙著『山行』大正二年改造社発行 戦後復刻)。

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