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X 夕陽はまだ頂に照る -1-

小屋には寄付をした槇有恒の写真が飾られていた。現在は小屋は移転され博物館になっている。 swissinfo.ch

アルパインクラブ百年祭

 一九五七年(昭和三十二年)十一月、私はアルパインクラブの百年祭に招待された、前にも述べたように、イギリスの山岳会だけは国名をつけないで世界に通っているのである。他の国々の山岳会は、いずれも国名をつけなければ通用しないのであるが、イギリスだけが、その必要のないのは、世界の山岳会として、最初に設立された老舖の、のれんのいたすところで、自他ともにゆるしているのである。一八五四年、イギリス人、サー・アールフレッド・ウイルスが、アルプスのヴェッターホルンの初登頂に成功したときをもって、スポーツとしての登山が始まるというのは一般の認めるところで、この刺激でアルプス登山に参じた仲間二十八人が、一八五七年十一月六日、バーミンガム近くのマシウ家に集って、山岳会を設立した。百年後の同月同日に、百年祭を行うわけである。このときから、一八〇〇年代の終りまで、いわゆるアルプスの黄金時代という。巨峰への初登頂のけんらんたる時が続いたのであるが、この間に三十以上の高峰の初登頂に、その中の五つの場合をのぞいて、他はみな山岳会員によって成し遂げられたという。山岳会発足当時にうたった、登山者間の友好の促進、世界を通じての登山と探検、また文学、科学、美術によって、山へのより良き知識を求めるという主張はその後も隆盛に成長して、アルプスからコーカサスヘ、ロッキーへ、アンデスへ、ヒマラヤへと向うと同時に、登山のもつ教養面の産物も多種多様であるとともに、うるわしい成果を世に寄与したのであった。
 十一月六日夜、ロンドンのドルチェスター・ホテルの大広問で、創立百年の記念祭が催された。私はマナスル頂上の石をみやげに持って行った。アルパインクラブの一室にはウィムパーの初登頂のとき持って来たマッターホルンの頂上の石を初め方々の頂上の石が飾ってある。会員多数が、世界各国から参集したが、会長サー・ハントのあいさつの中にも、会員松方三郎君の遠い日本からの参会を喜ぶ言葉が加えられた。各国山岳会代表者の数は、二十数ヶ国に及び、私もそのひとりであったが、会長の客として、テンジンも来ていた。総勢四百人におよぶ男ばかりの会なので、まことににぎやかだった。
 イギリスの山岳会は、婦人会員を認めないのみならず、正式の集会には夫人同伴ということがないのである。サー・アーノルド・ランのあいさつの中に「このような宴会で婦人連が座席を去るときの、あのホッとした気分が味わわれないのが残念だ」といって満場を笑わせたが、古老の会員をつかまえて「どうして婦人を会員に入れないのか」と聞くと、男は山に登り、女は家事にいそしむのが本分だといっていた。もっとも百年祭行事目録によれば、十二月九日には、女王とエディンバラ公を迎えて、会員家族同伴の会合が催されることになっている。晩餐会は、会長サー・ハントの司会のもとに進められたが、女王からのメッセージも、かっさいのうちに読み上げられた。いくつかの祝辞や追憶談もあったが、やはり長老のロングスタッフ氏の話は貫録があった。五十年祭にも出席し、また百年祭にも出席できて嬉しいというのであった。同氏のアルパインクラブ入会の推薦者はウェストン師であり、わが国を訪ねたこともある。
 女王への乾杯が終ると一斉にパイプを吸いはじめた。勲章をおびた正装で、パイプを吸うこの異例は山岳会自慢のものである。スイスのツェルマットの、ホテル・モンテローザを中心に生れた山男の会であるので、このような正式の晩餐会にもその風習を持ち込んでいることは前にも述べた。
 私も各国の人たちと話し合ったが、イギリスの老人会員たちの間では、いくどか故秩父宮殿下の追憶が語られ、ご早逝をいたむのであった。スイスのルッチンガー氏とは、昨年パトナ(ネパール)以来の再会であり、レビュファ氏は、日本訪問のときの歓待を、いまに感謝していた。ブルークス氏は、カナダ山岳会会長であるが、アルバータの話をもち出していた。アルパータを、私に続いて二回目に登ったオーバーリン氏は合衆国山岳会代表として参列していた。テンジンは、私たちの贈ったシェルパのバッジの礼を述べて、ガルツェンの健在を伝えていた。私もこの集りでは、老齢組の方にはいっているので、ロングスタッフ氏やその他三十年前によく語り合った人たちとの思い出話に走りがちであった。
 晩餐会は午後七時にはじまって、十一時半までも歓談はわいていた。招待を受けた各国代表は会員のあたたかいもてなしに深い満足をもって、あたかも山小屋に相会して語り合うような、打ちとけた喜びをもったのであった。ちなみに私は戦前までは会員であったが、戦争を通じて、今は会員でない。この記念晩餐会の他に行事として、会の百年間の業績を示す展覧会が開かれていたが、まことに興味深いものであった。八日夜、日本大使館ではアルパインクラブの人たちを招いて晩餐会を催したが、その席上依田君撮影の第三次マナスル登山の映画を披露した。この映画には、今西君の頂上から撮ったものも編入されている。サー・ハントは所用あって見えなかったが、ロングスタッフ氏は私に「完全な組織と完全な指導」とほめてくれた。
 久し振りのロンドンなので、早速キュウガーデンのロックガーデンに遊びに行った。高山植物の種子を分けてもらいたくて行ったが、係員が休んでいて用をたしかねた。しかしいつ行っても見事な植物園で楽しい。

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