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腸チフス 死に至る伝染病に襲われたツェルマットの過去

Typhus Zermatt 1963

1963年3月26日、シオン駅でツェルマットから運ばれた腸チフス患者を救急車に乗せる医療軍

(Keystone / Str)

新型コロナウイルスが流行するよりずっと前の1963年、スイスのリゾート地ツェルマット(ヴァリス州)でチフスの一種が流行した。437人が感染し、うち3人が死亡した。今のスイスと同じように、ホテルやバー、レストラン、スキー場が閉鎖された。

それはコロナウイルスではなかったが、やはり恐ろしい病気だった。腸チフスは細菌性の伝染病で、かかると高熱が出て臓器が壊れる。病原体や便や尿に含まれる。死亡率は10~30%と極めて高かったが、抗生物質のおかげで1%に下がった。数週間の潜伏期間があり、症状は季節性インフルエンザによく似ている。

1963年3月15日金曜日。ツェルマットのホテル・宿は7千人の観光客で埋め尽くされていたこの日、当局は2人の腸チフス感染者が報告されたと発表した。当時、イギリスの日曜新聞は、ツェルマットから十数人の感染者が本国に送還されたと報じた。40人が現地で治療を受け、30人がヘリコプターや特別列車で周辺の病院に搬送された。ヴァリス州保健局のピエール・カルピーニ局長は、パニックが広がると警告した。

軍の派遣

すぐに兵士30人から成る医療チームが患者搬送用の専用車両とともにツェルマットに派遣された。衛生司令部は実験室を設置し、住人からサンプルを採取。病室やキッチン、トイレを消毒した。

最初の警告から1週間後の3月23日、3人の死者が出たと発表した。ツェルマット出身で13人の子を持つ62歳女性、22歳のホテル従業員、スキー休暇中の25歳の英国人船員だった。3月末、当局はすべてのホテル、ペンション、別荘の閉鎖を命じた。村はゴーストタウンになった。「ツェルマットにはもう誰も来ない」と村人たちは不安がった。

Typhus Zermatt 1963

1963年3月22日、病院に転用されたツェルマットの学校の地下室で、洗濯物を消毒するスイス軍の医療チームと赤十字の看護師

(Keystone / Str)

4月上旬には流行は過ぎ去った。イタリアのアプリア州レッチェからダム建設工事のためにスイスのツムッテンに滞在していた越境労働者が腸チフスを持ち込んだという噂は、デマだったことが分かった。検査した細菌は一致しなかった。

真実はその後明らかになった。当時、ツェルマットから約20キロ西にあるグランド・ディクセンス・ダムに、長さ100キロの給水トンネルを掘削していた。飲料水源の上で働いていた鉱夫が、オーバー・ヴァリスの給水所のアッパー・ヴァレー駅の水質を汚していたのだった。

ある特派員の記憶

結果的には住民やスイス、フランス、ドイツ、英国、米国人観光客の計437人が感染した。ツェルマットは当局やホテル経営者らが風評を取り払おうと大キャンペーンを張った。感染した人は3週間無料で宿泊し、医療費や休業期間の収入まで補償された。

元ラジオ記者のダニエル・ファーヴル氏は当時のことを覚えている。「観光業について記事を書くために招待され、ツェルマットに2日滞在していた。ある朝、当局の記者発表で水道水が汚染されチフスが発生する可能性があると知った。その前の晩、水道水でアンズを洗っていた。私はすぐにでもそこを立ち去ることができたが、ローザンヌにいるラジオ・ロマンディの幹部は14日間自宅で過ごすよう丁重に指示したのをよく覚えている」

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(Übertragung aus dem Französischen: Joëlle Weil)

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