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スイスで「好き」を仕事に 起業でスイスに自分の道を切り開く日本人女性

バーゼルの寿司教室「TATEISHI」を営む立石容子さん

バーゼルで寿司教室「TATEISHI」を開く立石容子さん。旅行業界からの大転身だが、レッスンには添乗員時代の経験が役立っている

(swissinfo.ch)

外国人、女性。スイスで働くにはハンディといえる条件を抱えながら、経験を生かして自分らしく活躍する日本人がいる。そのしなやかな働き方を可能にしたのは「起業」という道だ。

 「お寿司に使うお米はどれでしょう?」。不定期で開かれるバーゼルの寿司教室「TATEISHI他のサイトへ」のレッスンは、お米に関する豆知識から始まる。教室を主催するのは立石容子さん。参加者は主にスイス人で、レッスンはドイツ語で進行する。「この菜箸はどこで買えるの?」「握り寿司のエビは尻尾も食べるのかしら?」――四方八方から不意に飛んでくる質問にも動じず、初対面の参加者同士をまとめあげるのには、添乗員時代に培ったスキルが役立っている。

起業

スイスでは、外国人を含め誰もがスイスで事業の経営や会社の設立など経済利益を追求できると連邦憲法で認められている。  しかし、それには一定の条件がある。法律上、スイスで起業を許されるのは、有効なC許可証(第三国出身者に対する定住許可)の所持者とその配偶者、もしくはスイス人配偶者のみ。 ...

 容子さんがバーゼルに移り住んだのは2004年。研究者でドイツ人の夫がバーゼルで職を得たのをきっかけに、添乗員として7年働いた日本の旅行会社を退職した。1歳の娘を抱えて添乗員の仕事を再開するのは難しく、子育てに専念する日々が始まった。

 転機は夫と別居することになった2012年。扶養手当で経済的には安定していたが、生活力をつけるために仕事を始めようと考えた。だが子供はまだ小学生。添乗員として国内を飛び回るわけにも行かず、言葉の壁もあって自分にできそうなのはスーパーのレジ係や介護スタッフか。悩んだ末、行き着いたのは「日本の食文化を伝える仕事がしたい」という、10年来心の奥底で温めていた思いへの挑戦だった。

 その原点は容子さんの出身地である食いだおれの町・大阪。バーゼルで専業主婦をしながらも、「いつかは」と考えドイツで日本人が開く寿司教室に足を運んでいた。

「全部完璧にやる必要はない」

 起業の手続きで容子さんを強力にサポートしたのが、移民女性の社会統合と自立を支援する非営利組織(NPO)「Crescenda(クレシェンダ)他のサイトへ」。04年にバーゼルで設立され、自己啓発や起業志望者向けコースを提供している。その存在を知人から聞いた容子さんは15年1月、経理やマーケティング、衛生管理などを学ぶ起業コースを履修した。日本人としては3人目の受講生だった。
 
 だが学べば学ぶほど、資金、知識、言語力など自分に足りないものばかり見えてくる。尻込みする容子さんの背中を強力に押したのは、担当講師のある一言だった。「全部完璧に準備して始める必要はない。まずは出発させないと、いつまでたっても進められない」

 完璧に始める必要はない、とにかくまず始めよう。そう決心した容子さんは15年11月、講習の卒業プレゼンテーションで、200人の聴衆を前に寿司教室のアイデアを披露した。聴衆の一人が「教え子」第1号となり、その日が「TATEISHI」の開業日となった。

 外国での起業はハードルが高いのではないか?そんな疑問に、容子さんは「スイスは失敗してもOKな国。やりたいことがあるのにやらない理由はない」と答える。生活保護や失業保険といったセーフティーネットが充実しており、失敗をおとしめる文化もない。必要なのは「覚悟と挑戦心、そして人間関係」(容子さん)だ。

刹那の決断

 チューリヒでシステムコンサルタントとして働く森友環莉(ゆかり)さん。ITコンサルタント「SISソフトウェア・インフォメーション・システムズ他のサイトへ」の個人事業主だ。起業の道を切り開いたのは、1993年に下した瞬時ながら大胆な決断だった。

ITコンサルタントの森友環莉さん

森友環莉さんはチューリヒでITコンサルタント会社を営む。依頼主のオフィスで仕事をすることが多いが、信頼関係を築き「社員と同じように接してもらえる」という

(swissinfo.ch)

 札幌で育ち、日本のソフトウェア開発専門会社に7年半勤めた後、92年にスイス人の夫についてチューリヒに移住。システムエンジニア(SE)の経験を生かした仕事がしたいと、スイス企業に片っ端から履歴書を送ったが、面接にさえ進むことができなかった。

 そんななか、たまたま引き受けたデータベースのメンテナンスの依頼主から「ドイツのソフトウェア会社がチューリヒに支店を出す。ポストがあるかもしれないが会ってみないか」と打診があった。3日後にはデュッセルドルフ行きの便に乗った。

 面接で突きつけられたのは「給料は出せない。だが開業は全面的にバックアップする」との条件。無給の二文字にひるむことなく「やります」と即答した。どうしてもエンジニアとして働きたい。その思いをかなえられるなら、就職でも起業でも構わなかった。

「また来てほしい」と言われる仕事

 起業当時は「Microsoft Office」に初めて日本語版が登場し、ワープロからパソコンへの転換期が訪れていた。チューリヒで企業向けにセミナーを開くと、日本の金融機関のスイス支店をはじめ早速多くの引き合いが来た。1日8時間の業務時間をアポイントで埋める目標は半年で達成した。

 友環莉さんのポリシーは「『また来て欲しい』と言われる仕事をする」。個人経営の場合、1社の顧客にしがみつくのは共倒れになるリスクがありタブーとされる。だが友環莉さんは1つの取引先を徹底的に大事にして、継続して依頼をもらうことを是としている。

 こんなことがあった。あるスイスの資産管理会社から顧客データベースの作成を依頼されたが、アップグレードの際に誤って1年半分のデータを消してしまった。血の気が引き、体が震えるほど焦ったがもはや手遅れ。「責任をとります」と宣言し、最初からからデータを入力し直した。依頼主のオフィスに深夜まで残り土日もこもる日々を4カ月続けた。当初はいちいち鍵を開けてもらわなければならなかったが、次第に信頼され鍵を渡してもらえるようになった。

 インターフェースの作成、本店・支店間のデータ転送、現地法令への適合、アップグレード……仕事は引きも切らない。日本では競争の激しい世界だが、スイスでこれらの仕事に日本語で対応できるエンジニアとなるとライバルがいない。「自分にしかできないことをやる」主義で、今はスイス企業からの依頼は断り日本企業に集中している。

 余計な偏見に苦しむ必要もない。「日本では『女性には無理』『起業は難しい』と言われるが、ここではそうした先入観がない。何をしても『それが日本人のやり方』と解釈されて済む」(友環莉さん)。のびのびと働けるのがスイスで起業するメリットだと話す。

 履歴書すら通らなかった20年前と打って変わって、今は「うちで働かないか」という転職口の紹介も絶えない。だが友環莉さんは「仕事しなくても給料がもらえたら、怠け者になってしまいそう」と笑う。

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