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トリノの聖布 その秘密はまだベールの中

トリノの大聖堂にある聖なる布が、2000年一般公開された Keystone

キリストの遺体を包んだとされる「トリノの聖布」は、キリスト教会内でもっとも神聖で神秘的な布だ。中世のものだとされている、出所はそれ以前の可能性があると英BBCテレビが報道した。

番組ではスイスのテキスタイル史の専門家、メヒチルト・フリューリー・レムベルク氏が、これまで信じられてきたCarbon-14による聖布の想定年代は疑わしいと答えた。

 1260年から1390年のものだという結果を出したのは、オックスフォード、アリゾナ、チューリヒにある研究所。1988年の調査結果で、「炭素14」によって算出された。しかし、最近の調査で、紀元1世紀までさかのぼるという証拠がいくつか上がったという。

炭素14

 トリノの聖布は長細く、人の前後の姿が映し出されている。これは、キリストが磔になった後、その遺体を包んだ布であると言い伝えられ、キリスト教徒などの中で信じられてきた。しかし、この聖布について言及したもっとも古い文書はフランスで書かれた14世紀のものだ。

 「もし私が判断したなら、炭素14を使った年代調査はしなかっただろう」
 とフリューリー・レムベルク氏はスイスインフォの取材に対して語った。長い間置かれた環境に聖布が大きく影響され、データが左右される可能性があるというのだ。フリューリー・レムベルク氏が始めて聖布を目近に見たのは、2002年のことだった。聖布の保存の依頼があったためだ。布の保存のため、綿密にその繊維を分析したが、紀元1世紀に由来するであろうという彼女の意見はその後も変わっていないという。

 1532年、聖布は、保存されていたチャペルの火災で大きなダメージを受けた。保存していたケースの銀が溶け落ちたため、布に大きな穴が開いてしまった。修道女たちが開いた穴に新しい布を裏打ちして縫い、修繕した。450年もの間そのままになっていた裏打ちの布が、フリューリー・レムベルク氏とそのアシスタントにより初めて取り除かれることになった。布を取り除くと、そこには灰が固まって残っていた。その灰は、当然のことながら、裏打ちの布や、展示のために拡げたり巻き戻したりした聖布自体の繊維にも飛び散ったはずである。フリューリー・レムベルク氏はこの灰が炭素14テストに影響を与えた可能性があるという。

 さらに、フリューリー・レムベルク氏は、調査に使った水の染みがある部分についても
「布が水でずぶ濡れになれば、汚れなどはすべて洗われてしまう。そのため、布をたたんだ際の角になった部分は汚れが溜まる。よって、1988年の調査に使った部分は、非常に汚れていたはずだ。また、角の部分は人が何度も触る部分でもある。つまり、この部分を炭素14で検査しても意味が無い」
 と指摘した。

コンスタンチノープルの古文書

 以上の指摘は、1988年の調査結果についての単なる疑問に過ぎない。しかし、テキスタイル史の専門家であるフリューリー・レムベルク氏が新しいテーゼへの糸口として興味があるというのが、コンスタンチノープルで1190年代に書かれた「祈りの古文書」だ。それによると、12世紀後半にはトリノの聖布が知られていたことが分かる。
「古文書の画家はトリノの聖布を自ら見たと思われる。それがキリストの遺体を包んだと知られていたことも確かだ」

 現在、ブダペストのセーチェニ国立図書館に所蔵されているこの祈りの古文書に描かれている絵には、キリストが白い布に横たわり、彼の腕は前で交差し、4本の指だけが見える。
「キリストが横たわる布がこのように描かれているのはトリノの聖布以外に、この古文書だけだ。ほかの絵は、手の平に釘の痕が描かれている。磔刑では体重を支えるため、釘は手首に打たれる。そのため、親指が自然と内側になる」
 とフリューリー・レムベルク氏は指摘する。

 トリノの聖布にも釘が手首に打たれた様子があることは、すでに指摘されていることだが、テキスタイルの専門家であるフリューリー・レムベルク氏はそのほかにも、古文書の絵にある布が「矢はず模様 ( ヘリンボーン ) 」の織りで、それがはっきりスタイル化されて描かれていることや、畳まれていた布に油が流れL字の跡として残っている様子がはっきり描かれている。

「この2つの特徴により、古文書に描かれているキリストが横たわる布が、トリノの聖布であることを示している。そのほかにもオックスフォードなどの研究所の結果が疑わしいと思われる点がある」
 矢はず模様の布は、キリスト生誕以前からずっとある。長方形の布の長い方の1辺にだけ縫い目が施されているといったスタイルは、1世紀にイスラエルのマサダ城からも発見されている。

立証は不可能

 テキスタイル史の専門家としてフリューリー・レムベルク氏は、聖布の作られた年代を確定することは難しいという。
「布の検査の結果、紀元後1世紀のものであることを否定するデータは無いということは少なくとも言える。歴史家にとって、必ずこうであると証明できることは無い。しかし、布は1世紀のものである可能性があるというだけでは世間は納得しない。科学者は認められるが、測定し数字で示す結果を得ることはできないため、歴史家の言うことは信用されない」
 と言う。

 フリューリー・レムベルク氏はその仕事を、ばらばらの断片をモザイクのように組み合わせることだと表現するが、その仕事の結果は、証明できないものだという。
「キリストについても科学的証明が無いのと同じ」
 布にキリストの影が写っているメカニズムが説明できないことも、14世紀に作られた贋作の聖布ではないことを証明する、とフリューリー・レムベルク氏は言う。
現在の技術でもこうした贋作が不可能なことを、7世紀前にできたとは考えられないからだ。

 カトリック教会の本山であるバチカンにとって聖布は、信仰への証を示す道具だ。だからといって、フリューリー・レムベルク氏の論理はバチカンの圧力を受けているわけではない。
「バチカンは『もしあなたが証明できるのなら、証明してみなさい。それまではカトリック教会の象徴であり、本物であろうが贋作であろうが、重要さには変わりない』と言ってくれている」

swissinfo、ジュリア・スラッター 佐藤夕美 ( さとう ゆうみ ) 訳

「トリノの聖布」についてはフランスの14世紀の古文書で初めて言及された。これによると、コンスタンチノープルから1204年に十字軍によってもたらされたという。
1532年の火災により、大きく修繕された。1578年からトリノの大聖堂が所有するが、バチカンのローマ法王に帰属する。1988年に行われた炭素14による年代検証では、中世の布だと断定された。しかし、人の姿がどのようにして布に写ったのかは解明されていない。
その後の研究で、人の姿の手にある傷の痕は、古代ローマ時代に磔になった際に刺される釘の痕に酷似していることが分かった。

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