強者による政治が行きつく先は 「人新生史」研究者が見るインド総選挙
インドでは今月19日から5年に1度の総選挙が実施される。今回の選挙やインド中央政府と州政府の対立、そしてインドではあまり注目されなかったスイス・欧州との自由貿易協定について、チューリヒ大学のデブジャニ・バタチャリヤ教授に聞いた。
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デブジャニ・バタチャリヤ氏は西ベンガル州コルカタ(旧カルカッタ)出身で、グローバルサウス出身の女性としてチューリヒ大学で初めて歴史学の教授になった。「人新世史」の講義を開設した初の女性でもある。人新世(じんしんせい、ひとしんせい)とは、人類が地球の環境を激変させた時代を表すために地質学の専門家たちが提案している用語。人類の経済活動や核実験による相互作用で自然のシステムを変えてしまった新たな地質時代を意味する。
バタチャリヤ氏の研究では、英国の植民地支配がどのようにコルカタの生態系に影響を与え、巨大都市が形成されていったかをたどった。
swissinfo.ch:あなたはインド東部にある西ベンガル州の大都市、コルカタの出身だが、インドの総選挙に向けた主要な争点は、その他の地域と同じか?
デブジャニ・バタチャリヤ:いや、全く違う。西ベンガル州は全インド草の根会議派(TMC)の勢力が強く、ナレンドラ・モディ首相率いるインド人民党(BJP)の与党連合には属していない。
西ベンガル州の主な関心事の1つは、モディ政権が推進する市民権改正法の阻止だ。同法は2019年に政府が発表し、今年3月初頭に議会を通過したが、最高裁の判断はまだ下されていない。
西ベンガル州は、州として正式に反対を表明していると?
その通りだ。バングラデシュとの国境にある多くの州や、インドの他の地域も反対している。
市民権法の改正は何を目的にしているのか?何が問題なのか?
隣国から迫害を逃れてインドに来た少数民族がインド市民権を取得しやすくするものだ。だが対象となるのはシク教徒、仏教徒、キリスト教徒で、例えばミャンマーで迫害されているイスラム教徒は除外されている。
改正法はまた、市民権取得に証明書の提出を義務付け、申請期限を設ける。しかし既に施行が始まっているアッサム州では、(自己や祖先のインド居住を証明できず)戸籍を持たない市民が約200万人外部リンクおり、無国籍の危機に直面している。
例え本当に市民であっても、それを証明するのは難しい。出生証明書や就学証明書が必要になるが、貧困層の底辺にあるこういった村の多くには学校がない。特にアッサムには、一時的にバングラデシュとの国境を挟む地域を行き来して暮らしていた人も多い。
(インドが英国から独立した)1947年以来、そして1971年にバングラデシュがパキスタンから独立して以来、インドの国境は常に流動的だった。数年前まで、インドには71のバングラデシュの飛地(とびち)があり、バングラデシュにはインドの飛地が3つあった。
現在、どの地図にも載っていない村に暮らす人たちが約1万人外部リンクいる。川沿いの平野部を季節ごとに転々として暮らす人たちもいる。こういった人たちは完全に権利を奪われるだろう。
これは大きな問題で、今回の選挙の激しい争点となっている。
インドは連邦国家だが、西ベンガル州にはどの程度自治権が与えられているのか?
インドは連邦制を取っていた。しかしこの10年間、様々な形で中央集権化が進んだ。その1つに、「物品サービス税(GST)」による財源の集権化がある。
(中央・州政府が独自に課していた間接税の一元化は)2000年以降、州境を越えた経済促進に向けて数々の州政府が構想を練ってきたが、最終的にはインド人民党が2017年に導入した。GSTの税収は全て中央政府の財源となる。
インドがスイスなど欧州自由貿易連合(EFTA)と結んだ貿易経済連携協定(TEPA)ついて、インドの各種メディアはどう報じたのか?スイスでは大きく取り上げられたが。
スイスのドイツ語圏の日刊紙NZZを見てその事を知った。私が毎日読んでいるインド3紙ではなかったので、実に変な感じだった。
調べてみると、経済専門誌以外、インドのメディアではほとんど取り上げられていなかった。ドイツやフランス、英国、米国、オーストラリアで何かが起こればインドでも注目されるが、スイスはまだそうではない。
スイスの存在はインドでも浸透しているので、興味深い。私の教え子の1人はインドにおけるネスレについて研究しているが、その歴史は1950年代までさかのぼる。インド経済は当時、非常に閉鎖的だったにもかかわらず、だ。
あなたは「ネルー初代首相はダムを寺院化(神格化)していた」と言うが、モディ氏もダム建設とヒンドゥー寺院にインドの未来を見出しているのか?
そう言えるだろう。モディ氏は、礎石を据えてから半世紀以上も放置されていたサルダール・サロヴァール・ダムを完成させた。同氏が初当選した頃は、宗教ではなく開発が推進力の要であり、(インフラ整備などで飛躍的に発展した)グジャラート州は、インド全体に応用できる開発モデルだと発言していた。モディ氏はダム建設と寺院再建に力を入れている。ダム、寺院、そして大きな像だ。
ドイツのコンラート・アデナウアー財団外部リンクは、既に1年前にモディ氏が今年3度目の当選を果たすだろうと予測した。再選はほぼ確実ということか。
3期目を務める可能性は十分にある。インド歴代首相の中で任期最長になるだろう。
ここ数年で、インドは世界的な権力を取り戻しつつある。私たちは中国に対する防壁だ。だからインドで民主主義が失われようが不平等が広がろうが、米国や西部欧州、オーストラリアにとっては二の次でしかないのだ。
インドは武器の大口輸出先でもある。地政学から見た現在の国際情勢において、インド洋は極めて重要な地域だ。モディ氏の下で、インドは国連安全保障理事会の議席を獲得できた。
多くのインド人、特に国外に住む富裕層は、モディ氏のインドを「強者が率いる強い国家」として肯定的に受け止めている。
そのような「強者」が現在多くの国で政治を支配しているように感じる。そうした強者は、あなたの研究する「人新生史」を象徴する存在なのか?
そうだ。このような強者たちは、生態系の変化が進行する真っただ中に登場する。石油・ガス産業が生態系の変化を否定し、インドにおけるウランといった資源の採掘に歯止めがかからなくても、既に私たちは世界的な転換期を迎えている。人類の目指すエコロジーへの転換でさえ、致命的な事態になってしまうのではないかと危惧している。
致命的と言うと?
私たちは複雑な時代に生きている。私たちは自然を保護区に変えてきた一方で、高度技術化社会に代わるものとして環境保護を謳うポピュリズムが出現している。
例えばインドでは、代替療法への大きなシフトが見られる。欧米では代替療法がロマンチックに語られる面もあるが、結局のところ、国家が公的医療制度のインフラを保証できない現実に蓋をしているにすぎない。
もう1つにガンジス川がある。ニュージーランドでは、政府が先住民であるマオリ族の権利と文化を認め、ワンガヌイ川に「法的な人格」を与えた。この宣言は世界中で肯定的に受け止められた。
これに触発され、インドでもガンジス川に「法的人格」が付与された。開発に伴う環境汚染から川を保護するのが主な狙いだが、実際のところ、ヒンドゥー教の宇宙観におけるガンジス川の神話的地位を強化したにすぎない。
それでもインドの政治的な発展にまだ希望を持っているか?
今の情勢では難しいかもしれないが、長期的には大いに期待している。モディ氏は確かにこれまでで最も人気のある首相だ。ただインドも変わりつつある上、反対勢力も数多く存在する。
インド人民党が苦戦している州も多い。経済格差はいつまで広がるのか?政治システムはいつまで宗教的、民族的、そしてカースト的な分断の上に構築できるのか?この状態が永遠に続くとは考えにくい。
つまり長期的には楽観視していると?
インドが英国の植民地主義から脱却するまで300年かかった。私は歴史家なので、長期的な視点で物事を見ている。
短期的には何を期待するか?
議会で政府をコントロールできる強力な野党だ。
今日のインドは「非自由主義的な民主主義」だと専門筋では言われているが、あなたも同じ考えか?
そうだ。報道の自由は崩壊し、もはや第4の権力とはほとんど言えなくなった。多くのメディアは政権寄りか、そうでなければほとんど情報がなくゴシップばかりだ。
市民権改正法について最高裁の判断が下されるが、司法はまだ独立していると言えるか?
過去10年間、裁判所は様々な判断を下してきた。公平な判断もあれば、政権寄りの判断もある。ただ裁判のプロセスに時間がかかる傾向にある。あまりに遅れると、公平さもある時点から不公平になる。
例えば、獄中で非常に長い間判決を待たされる政治犯などがそうだ。法体系の一部は政争の具と化している。基本的にはモディ政権以前からそうだったが、現政権下でその傾向が強まったと言える。
編集:Mark Livingston、独語からの翻訳:シュミット一恵、校正:ムートゥ朋子
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