チーズ大国スイス 輸入大国になぜ転落?
スイスのチーズ輸入量が今年初めて輸出量を超える。牛乳作りから離れる農家は後を絶たず、歴史的に築いてきたノウハウが危機に瀕している。
この7月、フランス語圏の日刊紙ル・タンに掲載された牛乳生産者団体スイスミルク(SMV/PSL)のボリス・バレ会長(46)のインタビューが国内外に衝撃を与えた。同氏は今年初めてスイスが輸出量を上回るチーズを輸入することになると嘆いた。バレ氏は「このニュースに対して、世界中から多くの反響があった。ラスベガスに暮らす在外スイス人はとても気を揉んだ」と振り返る。
チーズ業界団体の1つ「スイスチーズマーケティング」のモニーク・ペロット氏は「2007年の市場自由化以来、輸出入量の差は縮小してきた。輸入チーズはスイス製よりもはるかに安い」と説明する。
バレ氏は「16年前にチーズ市場が自由化されたとき、オランダなどのチーズが店頭に並んだ。価格はスイス産より3割安く、売上げは増え続けている」と話す。貿易自由化は、理論的にはスイスチーズの輸出量も増やすはずだった。だがスイス産はニッチ市場向けの高級品としての位置づけを抜けられず、国際市場での競争力は弱いままだ。
減り続ける農家
チーズ販売量の減少に伴い、牛乳作りを止める生産者が増えている。そこには牛乳の販売価格が業界にとって低すぎるという問題もある。2022年の牛乳の生産者価格は1キロ当たり0.75フラン(約120円)。2009年以降上昇傾向にはあるものの、生産者の求める1フランを大きく下回る。「今の生産者価格では生産コストを賄えない。採算が取れず、農家は農場を閉めざるを得ない」(バレ氏)
酪農家の数は他の農業部門の2倍の速さで減っている。スイスミルクのまとめ外部リンクによると、1950年に13万8380軒あった酪農家の9割近くが姿を消し、2022年時点で1万7603軒。このペースが続けば2095年まで生き残る酪農家は2000軒程度になる。
スイスのアイデンティティに直結する牛乳生産のこうした悲観的見通しは、スイス人の感情を揺さぶっている。酪農の伝統は、広い田畑での穀物栽培に適さない険しい地形に起因する。バレ氏は「スイスの気候は農地の8割を占める牧草地にも適している。草を食べ物に変える方法として、牛乳を生み出す牛を超える存在をまだ見たことがない」と笑う。
補助金頼み
スイスの酪農は外国に比べてはるかにコストがかかる。これにはいくつかの理由がある。農場が抱える牛は30ヘクタール当たり平均29頭と小規模だ。400頭を飼育するスペインのようには規模の経済が働かない。さらに人件費をはじめ、あらゆる費用がスイスは他国に比べて高い。
アールガウ州フリックにあるアグロエコロジーサイエンス研究所のウルス・ニグリ所長は、チーズ部門の品質の高さにも原因があるとみる。品質は連邦経済省農業研究センター(Agroscope)が認定する。「スイスには、世界でも類を見ない生乳生産文化がある。1990年代のオーガニックブームで小規模チーズ工場や農場でもチーズが加工されるようになり、チーズの多様性はさらに広がった」。だが現状はこうしたノウハウにも危機をもたらしている。
農民の収入の2割は連邦政府による補助金や直接給付に賄われている。多くの農場はこの政府支援なしには経営が成り立たない。バレ氏は「このお金は贈り物ではないが、景観や生物多様性、水質の面で高い要求を満たさなければならないことが背景にある」と説明する。
フランス語圏消費者連盟(FRC)は他の業界関係者と同じように、地元の生産者を支援するためにあるはずの農業補助金が、実際には流通業者のマージンに回り、消費者への恩恵を奪っていると指摘する。
小売業者の中抜き?
連邦経済省農業局(BLW/OFAG)によると、食料品売上高の76%が小売2大大手コープとミグロ(子会社のデナーを含む)に集中する(2020年)。これらの小売業者は強い価格交渉力を振るっている。
フリブール州の酪農家ティエリーさん(仮名)は、「私の農場がうまくいっているとしたら、それはひとえに農業補助金のおかげだ。大手卸売業者は短期的な視野でしか値決めしない。生産コストをカバーしない価格では、制度は機能しない」と憤る。ティエリーさんの村の酪農家は過去20年で12軒から4軒に減った。「大手小売業者に対するパワーバランスは全く不均衡だ」
卸価格の分配について卸売業者は固く口を閉ざしており、推算するしかない。ル・タンの2023年6月の記事によると、卸売業者の粗利益率は46~57%の間でばらつきがあった。フランスの乳製品企業の粗利益率は売上高の24.3%だった(Observatoire de la formation des prix et des marges des produits alimentaires調べ)。フランス語圏消費者連盟外部リンクは食料品売上高から生まれるキャピタルゲインの透明性を高めるよう求めている。
コープの広報担当キャスパー・フレイ氏は「コープは市場に見合った価格で買い取り、サプライヤーに対して公正に向き合う。売上高1フランあたり0.017フランの利益を得ているが、これは営利企業に比べると小さい」と話す。
ミグロの広報トリスタン・セルフ氏は「他の業界では10%以上のマージンを得ていようがコスト構造を開示する必要はない。なぜ小売業者だけが透明性を上げなければいけないのか」と述べた。
消費者の責任
生産者側は酪農部門の将来を守るため、利益分配を改善すべきという意見で一致している。スイスチーズマーケティングのペロット氏は「牛乳生産はスイスの食料主権に非常に大きく貢献している。その重要性はコロナ危機やウクライナ戦争が証明したばかりだ。だが生産力の維持にはバリューチェーン(価値の連鎖)における主体がそれぞれ利益を得られることが不可欠だ」と強調する。
バレ氏は現状打破に向け、消費者へのアピールも欠かさない。「個人の選択は生産者の立ち位置を大きく左右する。スイスのグリュイエールチーズではなくオランダのエダムチーズを買うことが何を意味するのか、人々は知る必要がある」
例えばオランダのルールでは、牛舎内に牛1頭ずつが横たわるスペースを確保する必要はないが、スイスでは明文で義務付けられている。水質の保護基準もオランダははるかに緩い。
「最終的な決定権を持っているのは消費者だ」――バレ氏はこう結んだ。
編集:Samuel Jaberg、仏語からの翻訳:ムートゥ朋子
生産性の低いオーガニック製品
国際的に著名なスイス人農学者ウルス・ニグリ氏は「オーガニック(有機)製品の市場シェアは20年間伸びていたが、ウクライナ戦争を機に欧州全体でわずかに低下した。今は8%程度で安定している」と話す。スイスの乳製品市場では、2022年の有機製品の割合は9%だった。
有機製品の生産性は通常生産より5〜15%低いため、値段が高くなる。「安価な濃厚飼料は限られた量しか使わない(飼料配給量の最大5%)。有機セクターは、生産の量より質を志向して交配させた牛と関係を築いている」
集約畜産では牛は3回目の搾乳後に屠殺されるが、有機式では牛の寿命がモノを言う。抗生物質の使用量も少なく、生産効率を悪化させる。
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