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アルプスの地下へ神話の旅

Lucienne Fontannaz

小さな客車の金属製のドアがバタンと閉められた。客車はスイス西部のベー ( Bex ) の近く、豊富な岩塩を内蔵するアルプスの山の地下を降りていく。神話の旅の始まりだ。

スイスとオーストラリアの国籍を持つアーティストのルシエンヌ・フォンタナ氏によるスイスの伝説の絵画展が、この歴史的なそして現在も操業中のベー岩塩坑で開催中だ。

地下で塩を作る小人たち

 客車はきしんだ音を立てながら、15分後に大きなオープンスペースの地下貯蔵庫の入り口前で止まった。岩塩坑の人気は高く年間約7万人が訪れるため、地下貯蔵庫はレストランとアート・ギャラリーも兼ねている。

 「典型的なアート・ギャラリーではないような場所で展示するのも好きです」
 と長年の海外生活の末、現在オーストラリアのシドニーに住んでいるフォンタナ氏は語った。ヴォー州のアルプス地域の歴史的な神話や伝説を題材にした絵画を、生まれ故郷の奥深い地下で展示する喜びをフォンタナ氏は隠しきれない。
 「わたしはベーで生まれました。わたしの家族は何世代もこの地で暮らしてきたのです。毎回戻ってくるたびに、こんなところは世界のどこにもないと思い知らされます」

 過去10年間フォンタナ氏は、スイスアルプスの記憶や地元の伝説、そして昔の旅行者が運んできた物語に焦点を当てて絵を描いてきた。展覧会は、「ジャン・ドゥ・ブイユの伝説」と「アルプス・ヴォーの住民、わたしたちの伝説」の2部に分かれており、何世紀も昔の地元アルプスの神話や伝説を題材にした油絵が40点以上展示されている。

 「ジャン・ドゥ・ブイユの伝説」は、地元の歴史家アルフレッド・セレゾルによって書かれた原作に基づくベーの岩塩発見についての伝説だ。フォンタナ氏の油絵には、地中に住む大地の精で小人のノームが洞穴の岩盤に小さなつるはしをふるっているところを、地元の農夫ドゥ・ブイユが偶然発見した様子が描かれている。岩塩のがれきは小さなかけらに砕かれ、塩の結晶を作るために煮詰められた。

 ドゥ・ブイユは村へ帰り、目撃したことを村人に話し、彼らの足の下には「白い金」、すなわち「塩」があると説得した。

ホワイトゴールド

 今日、塩は世界中どこにでもあるが、何世紀も前のスイスでは、塩は生産されていなかった。そのため、バターの塩分添加、チーズ作り、皮のなめし、肉や魚、野菜の保存、そして家畜ために必要な大量の塩をヨーロッパ各地からの輸入に頼っていた。
「自分たちの塩を持ち、それを売ることができるのは計り知れない強みでした」
 とフォンタナ氏は説明する。

 15世紀に塩水の湧き出る泉がベーの北部の高地で発見された。それ以来、1684年に初の岩塩掘削が始まるまでの200年間、塩水を蒸発させて塩の結晶が作り出されていた。

今日、岩塩坑で働く地元の労働者は、現在でも年間約100トンの岩塩を採掘している。そのうち約70%が、冬の間ヴォー州の道路上に滑り止めとして撒かれる。しかし、さまざまな種類の食塩や、風呂に溶かして使う珍しい塩も生産されている。

 「素晴らしいのは、この岩塩鉱では今も年間約3万5000トンが生産されていることです。これは現在も続いているうれしい話です。ここの労働者は、この場所と歴史に誇りを持っています」
 とフォンタナ氏は語った。

教訓的な物語

 「アルプス・ヴォーの住民、わたしたちの伝説」の作品は、巨大な洞穴の中、「ジャン・ドゥ・ブイユの伝説」の向かい側に展示されている。フォンタナ氏の作品は、1855年に書かれ今でも重版が続くセレゾルの名作『アルプス・ヴォーの伝説』から選ばれた20の物語をよみがえらせた。

 セレゾルは、伝説が忘れられたり、放浪者が持ち込んだ新しい考えや物語にとって代わられたりする前に、それらの伝説を探し出して書き起こした。セレゾルの書いた物語は、常に風景と密接に結びついており、感動的だが厳しい山の生活条件を描いている。フォンタナ氏が描いた「ガルガンチュアの巨人」やカンディンスキー調の3点「黄金時代」の題材となった物語は、人間の貪欲さによって緑豊かな牧草地が不毛になってしまうことを描き、環境保護についての強力なメッセージを持っている。

 「物語には教訓的なものが沢山織り込まれています。厳しい一日の終わりに子どもたちのための娯楽として語られていた物語が、どんなに教育的なものだったのかが分かります。伝説は子どもたちだけのものと思いがちですが、大人の生活や不安について語ったものが多く、誰にとっても興味深いものです」
 
 多くの物語が代々語り継がれ、信じられ、それを聞く者たちに強い影響を残した。

超自然的存在

 物語の中では、自然の力が守護者、または悪魔のような登場人物に擬人化され、山の人々と毎日の生活の中の全ての面で関わりを持つ。そうした超自然的存在は、山の霊、親切な妖精、巨人、ドラゴン、悪魔、魔法使い、幽霊など、さまざまな形で表れる。
 「オーストラリアの先住民の物語と似通っているものが多いことに驚きました。先住民は、自分たちが生まれた土地、風景、言語、物語、伝統に強い愛着を持っています。スイスでも昔は同様だったに違いありません」

 これらの昔話の原点は多種多様だ。アルプスの生活から直接生まれたものもあるが、ローマ時代の習慣、ドルイド僧やケルトの異教の儀式、そしてインドや東洋の神話にさかのぼることのできるものさえもあるだろう。さらにサラセン、ゲルマン、ゲリアなどの文化に影響されたものもある。

 キリスト教の普及もまた、昔話の口承に大きな影響を与えた。
「キリスト教が台頭してきた時代に作られたもの、あるいは受け入れられ易くするために古い異教の伝説から採り入れられたものもあります」
 とフォンタナ氏は説明した。

 フォンタナ氏は以前すでに、近隣のグリェール地方の伝説を題材にした作品の展覧会を開催している。そして次回はヴァレー地方をと計画している。フォンタナ氏は、地方伝説が再び注目されることを信じている。

 フォンタナ氏がグリェールで各地域に伝わる地元の伝説を語ったところ、それらの地域が観光スポットとなった。フォンタナ氏は現在も定期的に地元の伝説の口承を夜に行っている。
 「わたしたちはエジプトやインドの文化の物語を聞いて育ちましたが、最近は地元の物語に対する興味が復活しています」
「( 地元の伝説を知ることによって ) 人々は、自分のルーツを振り返り、どうやって自分の世界観を形作ってきたのかを理解できることを喜んでいると思います」
 
サイモン・ブラッドレー 、swissinfo.ch
( 英語からの翻訳、笠原浩美 )

展覧会は2010年12月21日まで、スイス西部のベー岩塩坑 ( Mines de Sel de Bex ) の内部のレストラン「タベーン・ドゥ・デサロワール ( Taverne du Dessaloir ) 」で開催されている。

展覧会の中心は、スイス/オーストラリア人アーティストのルシエンヌ・フォンタナ氏が地元の神話や伝説を題材に描いた40点以上の油絵。フォンタナ氏はベーで生まれたが、現在はオーストラリアのシドニーに住んでいる。

フォンタナ氏の作品はスイス国内のさまざまな美術館やアート・ギャラリーで展示された。

展覧会の作品は、『アルプス・ヴォーの住民、私たちの伝説』( 2007年発行、仏、独、伊、英語 ) と 『ジャン・ドゥ・ブイユの伝説 ― ベーの岩塩坑』( 2010年発行、仏、英語 ) の 2冊の本の中に納められている物語を描いた。

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SWI swissinfo.ch スイス公共放送協会の国際部

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